2016年10月15日

人生を変える南の島 ②


・・・飛び立つ気配がない。ニアス空港が、救援機で満杯だという。

インドネシア空軍の輸送機が着陸してきた。担架に乗せられたけが人が、次々に運び出される。頭に巻かれた包帯から、血が滲んでいる。

ニアス島に向け折り返す空軍パイロットと交渉し、乗せてもらうことに成功。しっかり金を取られたが、これぞアジアの寛容だ。

離陸後1時間のフライトで、あっけなくニアス島上空へ。見下ろすと多くの建物が全半壊し、黒煙を上げている。バンコクを出て30時間、ついに現場に到着した。

空港から街までの道は、寸断されている。若者のバイクの後ろに、腹と背に大荷物をくくりつけてまたがった。亀裂を避けながら街に入ると、異様な光景が目に飛び込んできた。

建物が倒壊し、廃虚と化した街並み。死んだ女性の首が、がれきから出ている。抱き合って泣き叫ぶ親子。重機の轟音の中で続く、生き埋めになった人の救出活動。

死臭と砂ぼこりにまみれながら、機械的に写真を撮った。

すぐに夕闇が迫る。宿も全滅、今夜は被災者と公園で野宿だ。

 辛うじてつながった携帯電話で、東京に状況を伝える。カメラの画像をパソコンに取り込み、キャプションをつけて電送。だが電波が不安定で、何度も途中で切れてしまう。もう締め切り時間だ。

切り札として背負ってきた重い衛星電話機を出し、宇宙経由で写真を送った。

ふと我に帰ると、すっかり暗くなっている。自宅をなくした人が家族ごとに固まり、黙って地べたに座っている。

言葉が通じないので笑顔を向けると、すぐに人懐こい笑顔が返ってきた。そして男たちが、手早く廃材で、即席の机とイスを作ってくれた。おばちゃんが隣に座り、蚊をうちわで追い払ってくれた。

送信も終わって一息つくと、どこからともなく、カップラーメンと白いご飯が運ばれてきた。急に空腹を感じて、無心で食べた。

みんな笑顔で見ている。食事をする気配がない。

まさか・・・彼らのなけなしの食料を食べてしまったようだ。

やがてすっかり日が暮れた。島中が停電し、何も見えない。赤道直下なのに、夜風の冷たさが身に染みる。

暗闇から手が伸びて、今度は毛布が差し出された。

温もりを感じながら、地べたに寝ころぶ。惨禍を闇が覆い隠して、空には満天の星が輝いていた。


2016年10月9日

人生を変える南の島 ①


「人生を変える南の島々。」という本がある。

この冬はどこに行こうか。パラパラめくっていたら、バリ島やプーケットと並んで、ニアス島が載っている。

手が止まった。

ニアス島。インドネシアのスマトラ島から、さらに海を渡った小さな島。インド洋の大波が打ち寄せ、サーファーの人生を変える島。

10年ほど前、サーフィンもしないのにこの島に行き、忘れられない経験をした。



バンコク着任6日目。その日も外務省や大使館で、タイで働くための手続きに追われた。並行して新居と車探し。夜は仮住まいのサービスアパートで、荷物の山に埋もれていた。

出し抜けにケータイが鳴る。東京本社デスクからだ。

「インドネシアでマグニチュード8.2の大地震発生、すぐ出動準備を」

まだ引っ越しも済んでないのに。正直、ため息が出た。CNN臨時ニュースを見ながら、外が明るくなるのを待つ。

震源地のニアス島は、空港があるメダンから車で10時間、さらに船で10時間の彼方だ。かなり被害があるようだが、情報は錯綜している。

一夜明け、ジャカルタ経由で空路メダンへ。到着ロビーには、CNNテレビの大取材班が陣取っている。

同僚のシンガポール特派員は、すでにニアス行きの船に乗った。マニラ特派員も、隣のシムルエ島に向かっている。気ばかり焦るが、夜を徹して動くより明朝、一気に飛行機で海を越えることにした。

市内のホテルはどこも満室。怪しげな男に連れられて、窓のない連れ込み宿で、見知らぬ街の夜を過ごす。

翌未明、外は土砂降りの雨。バイクに座席をくくりつけた3輪タクシー「ベチャ」をつかまえ、ずぶ濡れになって空港に向かう。途中、検問所で「ベチャは空港乗り入れ禁止」と言われ、50キロの撮影機材を抱えて立ち往生。通りがかった車を強引にヒッチハイクして、なんとか空港ターミナルにたどり着いた。

ところがニアス行き定期便は、救助隊員らですでに満席。東京から来た、NテレビとS新聞の取材班も足止めを食っている。3社で有り金をはたいて、古ぼけたプロペラ機をチャーター。呉越同舟で乗り込んだ。


2016年10月2日

ランプの青白い点滅


 ナナカマドが真っ赤に色づく森から、祭り囃子が聞こえる町に下りてきた。

海を見下ろしながら、毎日のジョギング。送迎ボランティアも再開した。



「今日は注射を10本、打つんですよ。おでこに打つのが太くて痛い。もう慣れましたけど・・・」

マンションに夫と暮らすおばあちゃんは、脳梗塞と白内障。朝は歩けたのに、3時間後に病院に迎えに行くと、目がうつろ。車いすに乗せられて出てきた。

 白内障の手術後、ますます目が見えなくなった。病院では訴えを信じてもらえず、「ウソ発見器のような装置にかけられた」と怒っている。

 田んぼの中に暮らす別のおばあちゃん。1年前のひざの手術後、かえって痛みが増した。病院はいつも3時間待ちのうえ、医師が横柄で、話を聞いてくれない。別の病院にかかると言うので、高速道路に乗って大学病院に連れて行った。

 丘の上にそびえ立つ、巨大構造物。ひと目で病院とわかる、陰気で無機質な造りは、近づくだけで気が滅入る。不安げな後ろ姿を見送り、向かいのスターバックスで、ソイラテを飲んで待つ。

病院内は、いつも患者でごった返している。診察に2~3時間待ちは当たり前だ。会計にも時間がかかり、健康な人間でもしんどい。

診察と会計の後、薬の処方に2時間待ったという話さえ聞いた。

3人め、川沿いのアパートから人工透析に通うおじいちゃん。週3回、朝9時から午後まで、病院のベッドで管につながれる。

夕方、透析室まで迎えに行くと、ウナギの寝床のように並んだベッドに、びっしりと人が横たわっている。点滴がぶら下がった棒が林立し、沈黙が支配する病室のあちこちで、ランプが青白く点滅する。

おじいちゃんは淡々とした人だが、1年前と比べて、足元が危うくなってきた。歩行器にすがってゆっくり歩き、車に乗るのも大儀そう。ボランティアの会合で相談すると、「転んだら大変だし、車いすに乗せて運んだら?」と言われた。

確かに、その方が時間短縮にもなる。でも、こちらの都合で車いすを使ったら、彼はすぐ自力で歩けなくなりそうだ。そして、一度寝たきりになったら・・・あとは、坂道を転がり落ちるようなものだろう。

彼らを見ていて、西洋医学はしょせん、対症療法にすぎないと思うことがある。根治を期待して病院に群がり、医者にすがるのは、時間の無駄でしかないのかも。病気の多くが細胞の老化だとすれば、老化は医者には止められない。

老いや病を受け入れながら、自分らしい生き方をして、最後は平然と死ぬ。これからの時間で、心の準備をしておこうと思った。

会社に行かない、雇われない暮らしを始めて、2年経過。2年前は「ボーイズ・ビー・アンビシャス」だったが、最近は「置かれた場所で咲きましょう」な気分。


2016年9月25日

バラマキ、海を渡る


 市街地が晴れていても、我が家は雲の中。

雲の中にも、手紙は届く。

 夏を信州ですごす前に、転送手続きをしておいた。律儀な日本の郵便制度はありがたいが、残念ながら、届くのは請求書ばかりだ。

 電気、ガス、水道代の請求が、毎月それぞれ2軒分。税金と社会保険料。賃貸マンションの更新料。火災保険の請求書。

 そして海の向こうから、ヨコ文字の請求書まで舞い込んだ。

差出人は、泣く子も黙る「タイ王国警察」。

20の春、チェンライでマリ○ァナ吸ったのがばれたか? 違った。スピード違反の反則切符だ。時速90キロ制限の道を112キロで走ったのだと。

まったく身に覚えがないが、オービスで撮られた証拠写真がついている。今年、タイに滞在したときの日付だ。

 そして、レンタカーを借りる時に使ったクレジットカードから、有無を言わさず1000バーツ(約3000円)がチャージされた。

 タイの幹線国道は6車線あり、流れは日本の高速道並み。時速90キロで走ったなら、路線バスにも抜かれてしまう。

これは、警察とレンタカー会社がグルになった、外国人狙いの税金稼ぎに違いない。



そして今日、住民票を置く自治体から封書が届いた。

健康保険の納付書か、それとも年金? この前振り込んだばかりなのに。時がたつのは早い。

ところが、中身は書類だけで、お約束の振込用紙が見当たらない。書類は独善的なお役所ことばで、とてもわかりにくい。タイ警察の英語より難解だ。

わが読解力を駆使すると、お金を払うのではなく、お金がもらえる、と読める。

目を疑う。どうやら、低所得者への給付金らしい。

私が、低所得者。

初めて知った。

2年前まで、けっこうな額の税金を、給料天引きされた。会社を辞め、昨年は収入が激減。今年になって、所得税はもとより、住民税も免除された。

行政のくくりでは、住民税が非課税になった人は、低所得者なのだ。

新聞で毎日見かける単語が、まさに自分だったとは。目からウロコ。図らずも、バラマキ政策の受益者となってしまった。

いくらもらえるかが、とても小さく書いてある。

ひとり3000円。何度ゼロを数えても、3万円ではない。

もし本当に支給されたら、そのままタイ王国の国庫に納めさせて頂こう。

2016年9月19日

頭上の魔術師たち


近くに別荘を持つ友人が、来客用の寝具を譲ってくれた。

彼女の義弟は、サッカー界のレジェンド。純白に輝くこの布団を、彼が使ったことがあるかも知れない。

うわさが口伝てにリレーされ、夏の終わりに「かも知れない」が抜け落ちた。

我が山荘を訪れる女性たち、泊まり客はもちろん、お茶を飲みにきた人まで「カズが寝た布団、見せて!」と、押入れをのぞいていく。

「カズが寝た布団に泊まる信州1泊2日の旅・シカとの遭遇体験つき」

 旅行商品として売り出せそうな勢い。



元ジャンボ機パイロットの山荘を訪ねた時のこと。

バサッ。玄関に立っていると、いきなり大きな枝が降ってきた。

見上げれば、はるか頭上に人影。誰かが木に登っている。ハシゴも命綱も使わず、とんでもない高さで枝払いをしている。

おそろしく身軽な彼は、実はネパールから来たシェルパだった。これまで何度も一緒に、ヒマラヤ登山をした仲だという。

その手があったか。今までじゃまな枝があると、木ごと切り倒していた。持つべきは山岳民族の友だ。

そして我が喫緊の課題は、キツツキが家に開けた、げんこつが入る大穴6つ。

落ちぶれたとはいえ、私も元山岳部員だ。ヘルメットとハーネス姿も勇ましく?バルコニーの手すりによじ登って、軒先の穴3つまで塞いだ。でも、地上から10メートルほどにある残り3つは、とても手が届かない。

業者に頼むと、鉄骨の足場で家を取り囲むといい、数10万円の見積書をよこすらしい。たかがキツツキの穴に、だ。東南アジアの業者だったら、たとえ20階建てでも、竹とひもで足場を組んで、スルスル登っていくのだが。

先日、救世主が現れた。

ロープを肩に海外の大岩壁を渡り歩く、現役アルパイン・クライマー夫妻。山好きが高じて、信州に移住してきた。教職やアルバイトで稼ぎながら、クライミング最優先の暮らしをしている。

1歳のかわいい娘を車に乗せ、我が家に来てくれた。

ギアをジャラジャラいわせて、いざ出陣。ロープを柱に固定し、アッセンダーをかませて登っていく。宙吊りになりながら手を伸ばし、岩に支点を打つための電動ドリルで、穴に板を固定する。

軽やかな身のこなしで、魔法のように、すべての穴を塞いでくれた。

さて、一件落着とくつろいでいた、その夜。

ガサッ ゴソッ 屋根裏から、不気味な物音がする。

そこにいるのは、誰だ。私には小鳥の羽音に聞こえるが、妻は「爪の生えた小動物に違いない」という。

いずれにしても、屋根のどこか、7つめの穴から侵入したようだ。

やれやれ・・・

森の暮らしは、キツツキとのイタチごっこ。

2016年9月12日

ケータイ圏外生活の終わり


 バルコニーに出ると、外は闇。

 森の中で7つ、窓の明かりが漏れていたのがお盆の頃。1軒、また1軒と雨戸を閉ざしていき、9月に入って最後の明かりが消えた。

 最寄りのコンビニは、家から10キロ離れていて、近所には街路灯さえない。夜の戸外は、「鼻をつままれてもわからない」暗さになる。

 そんな夜が明け、誰もいない森で木を切る。刃渡り20センチのノコギリでも、けっこう大きな木が切れる。

 運動がてら、バッサバッサと調子に乗って切りすぎる。前の住人が丹精したシャクナゲを、単なる枯れ木、と丸坊主にした。失業男がエネルギーを持て余すと、ろくなことをしない。

もし今20歳だったら、ノコギリを奮う相手が、木では物足りなくなるのかも。失業率の高い国で犯罪が多いわけを実感できた。

生ゴミを捨てに出る。徒歩10分、国道わきのゴミ置き場に、「文芸春秋」を発見。今年の芥川賞「コンビニ人間」の掲載号だ。すかさず持ち帰る。

高原の別荘地でゴミを漁る中年男。

雨の日の読書では、低酸素に頭が慣れたのか、古典や哲学書、何巻もある歴史小説に手が伸びる。テレビやネットに気を取られ、都会のマンション暮らしで放置していた本を、一気に片づけた。

「物を考える人にとって、あらゆるニュースはゴシップである」「けっして古くさくならない物事を知る方が、どんなに大事なことか」(H・D・ソロー)

今日は携帯電話会社の人が来て、電波の増幅器を置いていく。

これまで、ケータイ圏外生活を謳歌していた。着信音が鳴らない、静かな暮らし。緊急地震警報も鳴らない、自己責任の暮らし。

この20年余、日曜日のトイレの中にまで、業務連絡が追いかけてきた。ケータイが手のひらサイズになり、インターネットが普及し、会社が社員にスマホを配るようになって、自分の時間が消滅した。

昭和の頃までは、ひとたび会社を出てしまえば、時間は家族のものだった。ICTの発達も善し悪しだ。

やっと、ケータイの圏外に住む自由、メールチェックの頻度を自分で決める自由を手にした。

ささやかな勝利。

夏の終わり、水道の水が出なくなり、業者を呼んだ。ケータイが通じないのに驚かれた。通信会社が無料で機器を貸してくれることを、彼に教わった。

窓辺に増幅器を設置。ついに、和室の畳一畳分に限って、アンテナが立つようになった。

タダに目がくらんで、山上暮らしの自由を、ひとつ失った。


2016年9月5日

木はどっちに倒れる


せっかくの田舎暮らし。晴耕雨読といきたいところなのだが、標高が高すぎて野菜が育たない。代わりに、晴れた日は木を切っている。

最初は、木に囲まれた暮らしは天国に思えた。そのうち、「昼なお暗い」「洗濯ものも乾かない」・・・どうも木が多すぎる、と結論した。

ひょろ長い夫が、細い木1本倒すのに悪戦苦闘。それを見た妻がひと言、「木が木を切ってる」。



新聞社にいた頃、インドネシアの森林違法伐採をルポした。

首都ジャカルタで、科学部のサトウ記者と待ち合わせる。彼とは新潟県中越地震で、自衛隊ヘリで一緒に震源の村に向かったことがあった。

プロペラ機を乗り継いで、ボルネオ島へ。マレーシア国境で四輪駆動車を借り、暗くなるまで山道を進む。集落に着いても宿はなく、民家の軒先で野宿する。

翌日から、道はさらに悪くなった。車を捨てて、村の青年のオートバイで奥地へ。路面の凹凸で体が宙に浮き、兄ちゃんの腰に抱きつく。

ほこりまみれで未舗装路を進み、ハエがたかる屋台で干からびた揚げ物とごはんを食べ、民家の軒先を借りて寝る毎日。

5日目、川にぶち当たる。救命胴衣をつけてモーターボートに乗り、急流をさかのぼる。水しぶきで、全身ずぶぬれになる。

ここでよくない知らせが届いた。「違法伐採の男たちは武装している」。我々も、自動小銃を担いだ国立公園レンジャーに護衛を頼んだ。

源流から、木材運搬用トロッコに乗って森に入る。最後は炎天下、トロッコの軌道上を延々と歩いた。

ジャカルタを出て7日目の午後。熱帯雨林の彼方から、チェーンソーの音が聞こえてきた。さらに進むと、木々が無残に横たわっている。

違法伐採の現場だ。

カメラを構える私を追い越して、サトウ記者が突進する。科学部は秀才タイプばかりで、彼ほど最前線で体を張る記者は珍しい。

半裸の男たちが、手に手にチェーンソーや斧を持っている。が、それを人に向ける気はないようだ。銃も見当たらない。

「もうすぐ木が倒れるよ。危ないからこっちに来なよ」

人相は悪いのに、以外に親切だ。

場所を移って安心していると・・・

 バキバキバキッ

20メートルはある大木が、我々めがけて降ってきた。


私はカモシカ

  ・もし、自分を動物に例えるとしたら? A 子「リス」  B 子「カモシカ」  C 子「飛べない鳥」  D 子「ウサギ」  E 子「フクロウ」 ・あなたが人生の最後に食べたいのは? A 子「オムライス」  B 子「あん肝」  C 子「寿司」  D 子「オムライス」 ...