バルコニーに出ると、外は闇。
森の中で7つ、窓の明かりが漏れていたのがお盆の頃。1軒、また1軒と雨戸を閉ざしていき、9月に入って最後の明かりが消えた。
最寄りのコンビニは、家から10キロ離れていて、近所には街路灯さえない。夜の戸外は、「鼻をつままれてもわからない」暗さになる。
そんな夜が明け、誰もいない森で木を切る。刃渡り20センチのノコギリでも、けっこう大きな木が切れる。
運動がてら、バッサバッサと調子に乗って切りすぎる。前の住人が丹精したシャクナゲを、単なる枯れ木、と丸坊主にした。失業男がエネルギーを持て余すと、ろくなことをしない。
もし今20歳だったら、ノコギリを奮う相手が、木では物足りなくなるのかも。失業率の高い国で犯罪が多いわけを実感できた。
生ゴミを捨てに出る。徒歩10分、国道わきのゴミ置き場に、「文芸春秋」を発見。今年の芥川賞「コンビニ人間」の掲載号だ。すかさず持ち帰る。
高原の別荘地でゴミを漁る中年男。
雨の日の読書では、低酸素に頭が慣れたのか、古典や哲学書、何巻もある歴史小説に手が伸びる。テレビやネットに気を取られ、都会のマンション暮らしで放置していた本を、一気に片づけた。
「物を考える人にとって、あらゆるニュースはゴシップである」「けっして古くさくならない物事を知る方が、どんなに大事なことか」(H・D・ソロー)
今日は携帯電話会社の人が来て、電波の増幅器を置いていく。
これまで、ケータイ圏外生活を謳歌していた。着信音が鳴らない、静かな暮らし。緊急地震警報も鳴らない、自己責任の暮らし。
この20年余、日曜日のトイレの中にまで、業務連絡が追いかけてきた。ケータイが手のひらサイズになり、インターネットが普及し、会社が社員にスマホを配るようになって、自分の時間が消滅した。
昭和の頃までは、ひとたび会社を出てしまえば、時間は家族のものだった。ICTの発達も善し悪しだ。
やっと、ケータイの圏外に住む自由、メールチェックの頻度を自分で決める自由を手にした。
ささやかな勝利。
夏の終わり、水道の水が出なくなり、業者を呼んだ。ケータイが通じないのに驚かれた。通信会社が無料で機器を貸してくれることを、彼に教わった。
窓辺に増幅器を設置。ついに、和室の畳一畳分に限って、アンテナが立つようになった。
タダに目がくらんで、山上暮らしの自由を、ひとつ失った。
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