ナナカマドが真っ赤に色づく森から、祭り囃子が聞こえる町に下りてきた。
海を見下ろしながら、毎日のジョギング。送迎ボランティアも再開した。
「今日は注射を10本、打つんですよ。おでこに打つのが太くて痛い。もう慣れましたけど・・・」
マンションに夫と暮らすおばあちゃんは、脳梗塞と白内障。朝は歩けたのに、3時間後に病院に迎えに行くと、目がうつろ。車いすに乗せられて出てきた。
白内障の手術後、ますます目が見えなくなった。病院では訴えを信じてもらえず、「ウソ発見器のような装置にかけられた」と怒っている。
田んぼの中に暮らす別のおばあちゃん。1年前のひざの手術後、かえって痛みが増した。病院はいつも3時間待ちのうえ、医師が横柄で、話を聞いてくれない。別の病院にかかると言うので、高速道路に乗って大学病院に連れて行った。
丘の上にそびえ立つ、巨大構造物。ひと目で病院とわかる、陰気で無機質な造りは、近づくだけで気が滅入る。不安げな後ろ姿を見送り、向かいのスターバックスで、ソイラテを飲んで待つ。
病院内は、いつも患者でごった返している。診察に2~3時間待ちは当たり前だ。会計にも時間がかかり、健康な人間でもしんどい。
診察と会計の後、薬の処方に2時間待ったという話さえ聞いた。
3人め、川沿いのアパートから人工透析に通うおじいちゃん。週3回、朝9時から午後まで、病院のベッドで管につながれる。
夕方、透析室まで迎えに行くと、ウナギの寝床のように並んだベッドに、びっしりと人が横たわっている。点滴がぶら下がった棒が林立し、沈黙が支配する病室のあちこちで、ランプが青白く点滅する。
おじいちゃんは淡々とした人だが、1年前と比べて、足元が危うくなってきた。歩行器にすがってゆっくり歩き、車に乗るのも大儀そう。ボランティアの会合で相談すると、「転んだら大変だし、車いすに乗せて運んだら?」と言われた。
彼らを見ていて、西洋医学はしょせん、対症療法にすぎないと思うことがある。根治を期待して病院に群がり、医者にすがるのは、時間の無駄でしかないのかも。病気の多くが細胞の老化だとすれば、老化は医者には止められない。
老いや病を受け入れながら、自分らしい生き方をして、最後は平然と死ぬ。これからの時間で、心の準備をしておこうと思った。
会社に行かない、雇われない暮らしを始めて、2年経過。2年前は「ボーイズ・ビー・アンビシャス」だったが、最近は「置かれた場所で咲きましょう」な気分。
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