昨年4月にネパールを襲った大地震から、もうすぐ1年。平穏さを取り戻したカトマンズを離れ、タクシーで震源地へ向かう。
もう新聞記者でもないのに、いったい何やってんだか。今後どのような支援ができるか探りに行く、という気持ちもあるが、大半は好奇心、野次馬根性だ。
もはや締め切り時間を気にせずに済み、「ネタを持って帰らなければ」という重圧もない。いまの心境で何が見えるか、自分に興味がある。
当てにしていた旅行会社の車は、ガソリンが手に入らず動かない。国全体がエネルギー不足の時節に、遠足まがいのことをするのは気が引ける。代わりにつかまえたタクシーに、行きは帰省する被災女性を村まで同乗させ、帰りも病気の女性をカトマンズの病院まで送った。貴重なガソリンの有効活用ができた。
渋滞するカトマンズから1時間30分、最後は未舗装の山道を登って、目指すナングルバザールに着いた。谷を隔てた先に、震源地のシンドパルチョークを望む。空気が澄んだ時期には、遠くエベレストが見える尾根上の村だ。
車を捨て、村を歩く。家々の屋根を真新しいトタン屋根が覆い、太陽に照らされて光っ
ている。地震では家屋の土壁が崩れ、多くの2階建が平屋になってしまった。建てなおす金もなく、トタンを被せて借り住まいにしているのだ。
村の小学校を訪ねた。校舎の壁には大きな亀裂が入っている。子どもたちは代わりに、竹の掘っ立て小屋に机を並べて勉強していた。
校庭にはレンガが積まれ、新校舎の建設が始まっている。ノルウェーが資金援助し、今年中には完成する。ただ、被災した周辺住民が、住まいと仕事を求めて村を出ていった。地震前に200人いた児童が、いまは半分しか残っていない。
カトマンズで旅行会社を経営する日本人社長は地震直後、テントと毛布をこの村に送った。最近は、村から市内に転校してきた子たちの学費を援助しているそうだ。
社長の話では、世界各国からの義援金は、機能不全かつ腐敗したネパール政府の元で滞り、いまだ現地に届かない。国際NGOも、ネパール側スタッフに信頼できる人材が少ない。唯一確実な支援方法は、日本から現金を持ち込み、被災地に行って直接自分の手で配ることだという。登山家ら数人が、日本で集めた義援金をこの方法で配ったそうだ。
帰り道、サクーに寄る。カトマンズから17キロのこの町の被害は壊滅的で、全家屋の9割以上にあたる1300棟が倒壊、163人が亡くなった。密集していた5~6階建の建物が軒並み崩れ、がれきの山と化している。
年老いた女性がひとり、自宅を再建するため、崩れたレンガをひとつひとつ素手で積み上げていた。
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