ヒマラヤを巡る山旅の途中で、イギリス人ロバートと出会った。
母国で配管工をしている彼は、ロンドンを出発して5か月目。ひとり、標高4100メートルのアンナプルナ峰ベースキャンプを目指す。
「山歩きなんてしたことないから、最初は毎日何時間も歩き続けるなんて無理だ、と思った。でも、ヘッドホンで音楽聞きながら歩くと、何とかなるもんだね」
ここまで来たのなら、ヒマラヤを吹き渡る風の音や、遠くから聞こえるカウベル、見知らぬ鳥の声も聞いてほしいが、人それぞれだ。
日が暮れると、彼はロッジの裸電球の下、カトマンズの古本屋で手に入れたモーリス・エルゾーグ「処女峰アンナプルナ」とジョン・クラカワー「空へ」を読んでいる。
「処女峰アンナプルナ」は、人類初の8000メートル峰登頂に成功したフランス隊の記録。帰路、快挙の代償として凍傷を負った隊員が、壊死した手足の指を1本ずつ切り落としながら生還する、壮絶な話だ。
「空へ」も、1996年のエベレストで起きた大量遭難を題材にしている。
「またすごい悲劇を選んだね」
「えっそうなの?まだそこまで読んでないよ」
2冊とも世界的に有名な山岳ノンフィクションだが、彼は知らずに買ったらしい。
夕食後、ロバート、韓国人女性トレッカーらで薪ストーブを囲んでいると、ネパール人ガイドが地酒ロキシー片手にやってきた。酩酊しながら「稜線の雪が少ない。この時期にラリグラス(シャクナゲ)が咲き始めた。地球温暖化のせいに違いない」と、崩れた英語で自説を吹聴する。
酔っぱらいはかなわないな、と思っていると、話の途中でロバートがいきなりガタン、と立ち上がった。目の前でがさがさっとダウンジャケットを着こむと、「ぼくは寝る」と、出て行ってしまった。
取り残された私と韓国女性。どちらが先に逃げるか、神経戦が始まる。徹底して場の空気を読まない、彼の行動がうらやましい。
翌朝ダイニングに行くと、ロバートが白いドロドロした謎の液体をすすっている。
「これオートミール。ちょっと試してみる?」
「うん。おいしいね」(ウソ。まずい。イギリス人にはこれがおいしいのか?)
「だろ。これを食べてエネルギーを蓄えなきゃいけないんだ」
地元産のポテト料理やリンゴ、チヤパティなど、他においしいものがあるのに、わざわざ高い輸入シリアルを食べている。
やがてジーンズに運動靴、頭にヘッドホンといった格好のロバートが、「会えてよかったよ!」と手を振りながら旅立っていった。クロックスで富士山に登ってしまう外国人同様、たぶん彼もそのいで立ちで、飄々とアンナプルナBCを極めるのだろう。
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