2015年11月8日

マラリア発 破傷風行 ①


私が新聞社のバンコク駐在カメラマンだった2005年当時、海外駐在カメラマンは3人。それぞれニューヨーク、ロンドン、バンコクをベースに、世界を3分の1ずつカバーしていた。

 地球儀で見るの守備範囲は、西はアフガニスタン、東はニュージーランドや南太平洋の島々、北はモンゴル、南は・・・南極までのようだ。

 この範囲、厳密に決められている訳ではない。バンコク赴任前に上司に確認すると、
「どこ行ってもいいよ」
と言われた。

赴任した年の7月、ロンドンで同時爆破テロが起きた。出張先のシンガポールでBBCを見ながら「ロンドンは大変だなあ」と思っていたら、東京から電話でロンドン行きの指示が出た(結局は行かずに済んだ)。その後も東京の要請で、ロンドン管轄のはずのイランやヨルダンまで出張した。

「どこ行ってもいい」はつまり、「どこまでも行け」という意味だった。

戦後60年にあたる2005年10月、厚労省の遺骨収集団に同行して パプアニューギニアに渡った。バンコクからシンガポール、ブリスベーン、ポートモレスビーを経由して、ようやく3日目にかつての激戦地、ニューギニア島北岸ウエワクにたどり着いた。

 昼なお暗い熱帯雨林での遺骨収集も10日目、明日は遺骨を胸に帰国の途へという夜、携帯電話が鳴った。赤道直下のジャングルにいても、デスクの魔手からは逃れられない。
「今どこにいる? パキスタン北部の山岳地帯でM7.6の地震。相当の被害が出てるみたいだよ」
「なに? パプアニューギニアにいるの? じゃあちょっと無理かな」

「え、パキスタンのビザ持ってる? それを早く言えよ。取材が済んでるなら、すぐに向かってくれる?」
 余計なことを言ってしまった。先月、パキスタンからアフガニスタンに向かった日本人教師が行方不明になった。事態が動いた時のために、バンコクでパキスタンの取材ビザを取っておいたのが仇になった。

 さっそく飛行機を押さえなければ。パプアニューギニアからパキスタン、気が遠くなるほどの距離だ。いったい、どうやって行けばいいんだ。




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