2015年11月8日

マラリア発 破傷風行 ②


 さっそく飛行機を押さえなければ。パプアニューギニアからパキスタン、気が遠くなるほどの距離だ。いったい、どうやって行けばいいんだ。

インターネットさえ通じれば、すぐに最短経路や空席状況を検索できる。だがここニューギニアのジャングルにネット環境はなく、宿のフロントに怪しげな固定電話があるだけ。とりあえず、バンコクのタイ人助手を電話でたたき起こそうか。

ふと思いついて、クレジットカード会社が会員向けに提供している24時間アシストサービスに電話してみる。ニューヨークのコールセンターにつながり、女性スタッフは私の窮状を聞くと、さっそく調べてくれた。

パキスタンのイスラマバードまでは、ポートモレスビー、ケアンズ、シンガポール、ドバイ、カラチ経由が最も早いとのこと。ケアンズ~シンガポール間は席も押さえてくれる。他のフライトは、空港で直接空席を当たるしかないというが、親身な対応に感激する。

翌未明、宿の車でウエワク空港まで送ってもらう。チェックイン後、手荷物検査もなしで飛行機に乗り込むことができた。この辺の空港は、乗客をテロ犯と疑ってかかる習慣はないようだ。

途中マダンを経由して、まずポートモレスビー着。治安が悪いことで有名な空港だ。国内線ターミナルから国際線ターミナルへ、強盗に用心しながら駆け足で移動する。

ポートモレスビーから、同じくエア・ニューギニーでオーストラリアのケアンズへ。次にエア・オーストラリアでシンガポール。シンガポールから、エミレーツ航空の夜行便で砂漠の街、UAEのドバイ。ドバイから同じくエミレーツで、アラビア海を越えてパキスタンのカラチ。カラチからパキスタン航空国内線で、被災地にほど近い首都イスラマバードへ。

飛行機を5回乗り継いで、30時間。ウエワクを出た翌日の夕暮れに、イスラマバードにたどり着いた。すぐに車で、日本の緊急援助隊を追って夜の山岳地帯に分けいる。

その晩は、車中で夜を明かした。被災地の夜は、氷点下近くまで冷え込んだ。

やがて夜が明けると、石積みの民家が軒並み倒壊し、あたり一帯ががれきの山と化した光景が目に飛び込んできた。死者9万人、負傷者10万人余に及んだパキスタン北部地震。この日からカメラを担いで、震源地を駆けずり回った。

病院は倒壊し、仮設テントの救護所には負傷者があふれている。手に入る食料は、ビスケットと水ぐらい。電気や上下水道などのインフラが破壊され、衛生環境は日に日に悪化していく。

バンコク赴任時、破傷風と狂犬病の予防接種を受けてきた。学生時代のアジア放浪で、A型肝炎と赤痢に罹ったので、その免疫も残っている気がする。

でも数日前まで、マラリア汚染地域であるニューギニアの密林で、毎日蚊に刺されまくった。

この状況でマラリアを発症したら、生きて帰れないかも知れない。

ふと我が身を省みて、背筋に悪寒が走った。




 

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