2015年11月25日

管理職からの逃亡と、無理やりダイバーシティ


 日本や外国を旅して、写真と文でルポルタージュを作る。時には、会社の金でヒマラヤ登山もしたい。

 新聞社に就職した当初の入社動機は、断続的に20年余り、かなえられてきた。

 いずれ自分も現場を離れ、管理職になる。その日が来ることはわかっていたが、見て見ぬふり。報道カメラマンを志す者にとって、朝から晩まで社内にこもって管理業務をすることは、キャリア上の〝死″を意味した。

 40代になり、いよいよその時が近づく。先輩たちを見て、自分も本心を偽りながら管理職を務めることができるのではないか、と都合よく考え始めた。

甘かった。

 朝夕刊を作るための編集会議。社内では「立ち合い」とか「土俵入り」と呼ばれている。初めて出た時の絶望的な気分は、今だに覚えている。

 会議スペースを埋める、見渡す限り灰色一色の群れ。政治部、経済部、社会部、国際部、地方部などなど、取材部デスクたちのくたびれたスーツ姿が並ぶ。LGBTもクソくらえとばかり、揃いも揃って「日本人・中高年・男」たちだ。みな、苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。澱んだ空気に、窒息しそうになった。

 私自身、立派な「日本人・中年・男」である。自分の属性だけは変えられない。見かけだけでも個を貫こうと、スーツやネクタイを着けず、柄シャツを着用。勇気ある行為、と自画自賛したが、最後まで無視された。

 (他本社には、短パンとサンダルで編集会議に出席し、局長に「ここはビーチか」と言わしめた豪快な先輩がいる)

 弱小部署の中間管理職は、権限がないに等しい。新聞製作の中枢に飛び込んでみて、写真はしょせん、記事の添え物としか扱われないことを思い知らされた。そのくせ、自分や部下が失敗した時だけは責任を取らされる。割に合わない。

 恵まれていた現役時代との、あまりのギャップに夜、眠れなくなった。心療内科の門を叩く。毎日ジョギングしていると言ったら、門前払いを食いそうになる。なんとか大量の抗不安剤を処方してもらい、規定の2倍ずつ飲んで、苦難の日々を乗り越えた。

やがて無能ぶりが認められ、配置転換してもらうことができた。

 中高年の日本人(男)が作る、中高年の日本人(男)のための新聞。そんな新聞に未来はあるのか。

 携帯電話で世界を席巻したノキアが、あっという間に没落した一因は、経営陣が「フィンランド人・中高年・男」という画一的な集団で、変化に対応できなかったためと言われている。

 政府が管理職の女性比率を引き上げる数値目標を課すせいか、最近会社が急に女性管理職を増やし始めた。「立ち合い」にも、女性の姿が目立つようになったという。その陰で、ろくな準備期間もなしに登用された一人が、心を病んで休職したと聞き、私は言葉が出なかった。その人には在職中、とても世話になっている。 

 女性はもちろん、レズやゲイやバイやトランス、オカマちゃん、外国人などなど、が参加すれば、会議はがぜん楽しくなる。議論百出、面白い新聞ができそうだ。でも会社側が、体面だけで多様性を追求すれば、ただ犠牲者を生むだけ。組織はむごいことをする。

 与えられた仕事が辛くて、心身にまで影響が及びそうになったら、とにかくその場を逃げてほしい。仮病でも降格願いでも脅しでも、どんな手を使ってもいい。世の中、病気になってまでやらなければならない仕事など、ない。

 逃げてもいい。逃げるが勝ち。逃げた方が楽しい。会社を辞めても大丈夫。

 私が証明する。



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