2015年5月24日

50年働く時代に


 「1年に360日、夜は外で食べる部長」

 数年前の社員手帳に、こんな書き込みを見つけた。

 毎晩深夜に帰宅する生活を、さも自慢そうに話す上司がいて、びっくりしたのを思い出した。

 遅くまで会社で働き、取材相手と飲むか、同僚と飲むか。私生活が欠落したそんな暮らしの、どこが自慢になるのか、いまだにわからない。たしか、妻も子もある人だったと記憶している。

 日本以外の国で「仕事はすべてに優先する」「仕事より家族や友人を優先するのは社会人失格」「まじめに働き、会社に貢献するのが当たり前」などと人に言おうものなら、「あなたは頭がおかしいのではないか?」と言われるそうだ。国連機関で働き、米英伊で暮らした谷本真由美が「日本が世界一貧しい国である件について」という本で書いている。生活が第一で、労働は生活の手段にすぎない、と考える人が海外の圧倒的多数なのだ。

 以前、出張で行ったベトナムのような途上国でも、午後5時にはバイクが路上を埋め、猛烈な帰宅ラッシュとなる。やがて、明るいうちから川べりで夕涼みをし、家族や友人と屋台で夕食を楽しむ光景がそこかしこに見られた。

 独身時代や、仕事が面白くて仕方がない、と(幸運にも)思えるような一時期、会社中心の生活になるのはわかる。実は私も、バンコク時代は年間200日も出張し、妻に大変な負担をかけてしまった。が、20年、30年、同じ働き方を続けられるものだろうか。

ドラッカーによると、年金の支給繰り下げと圧縮で、先進国では70、80歳まで働くのが当たり前になるという。20代で就職した後、半世紀も働く時代を想像すると、人より会社の寿命の方が、先に尽きてしまうように思う。新聞に限らず、商品の陳腐化、社員が持っている技能が陳腐化する速度は、どんどん早まっている。

運よく自分の会社が存続しても、全体のパイが縮小していく日本で、昇進のポストは減っていく。やりがいのある仕事が与えられるとは限らない。部下をマネジメントする能力より、自分の第2の人生をマネジメントする力を身につけた方が、だんぜん得する時代が来ている。

新聞社ではいまだに、会社での滞在時間が長いだけの人に高評価をつけ、暗に残業や休日出勤を肯定する雰囲気がある。成果を上げたらさっさと帰って、自分のキャリアを見つめる時間を作りたい。

長い職業人生の間には、家庭を優先すべき時、心身を休めて充電したい時、介護に時間をかける時、もあるだろう。友人や地域の人と交わる時間も大事だ。

いつまでも会社に入り浸っているヒマはないはずだ。

早期退職優遇制度やセカンドキャリア研修、それに退職時の人事部の対応から、会社側も「3年で辞めるのはけしからんが、20年以上しがみつかれるのも迷惑だ」と考えているのを感じた。それなのに、前の上司や同僚はいまだに「おまえの決断は自分勝手だ」と言う。

私はむしろ、会社に多大な貢献をしてしまった、と思っているのだが。

タイ・チェンマイの日曜マーケット

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