週1~2回、認知症グループホームに通っている。
今のところ、お世話になる側ではない。かろうじてお世話する側だ。
行くとまず、食料の買い出しに同行し、運転手兼荷物運びをする。賄いのおばさんは、たいていの入所者より自分の方が年上、が自慢の元気な人だ。20人分の食材は半端な量ではなく、いい運動になる。そしてホームに戻れば、食事の配膳をしたり、病院通いに付き添ったり、掃除や草むしり、おしゃべりや散歩のお相手などなど。
介護スタッフは女性が多いので、男の私は、認知症のおばあちゃんたちのアイドルだ。
この状況、果たして喜んでいいものだろうか・・・素直に喜ぼう。
病気に関する知識はまったくなかったが、別に怖がることはなかった。人によって症状に濃淡があり、自分の世界に入っている人もいるが、たいてい話しかければ応えてくれる。毎度毎度、初対面のあいさつから始まる人もいれば、そのうち顔を覚えてくれる人もいる。
「お兄ちゃんはどこに住んでるの?」「はい、ハマチョウというところです」といった会話の数分後、「お兄ちゃんはどこに住んでるの?」と真顔で聞かれることがある。何度でも、まるで初めて聞かれたかのように答えている。
ある女性は、施設周りをぐるりと散歩する間、問わず語りに東北の寒村で生まれたこと、父が米軍の機銃掃射で亡くなったこと、缶詰工場で懸命に働いたこと、娘3人に恵まれたことなどを話してくれた。亡夫が工場の責任者にまで出世した、とうれしそうだった。昭和の貴重な個人史だが、10分ほどで突然、テープが巻き戻されたかのように、まったく同じ話が再生された。
会うたび「私は若いころ卓球選手だったのよ」といい、庭でつんだ野花や、たまにはトイレットペーパーを笑顔でプレゼントしてくれる女性がいる。ありがたく受け取っていると、背後で「あの人、またあんなでたらめ言って・・・」と嘲笑するおばあちゃんたちの声が聞こえた。それぞれが個室を持ち、中央のリビングで入居者同士が顔を合わせる暮らし。いろいろあるらしい。
午後になると決まって
「家に帰ることにしました。タクシーを呼んで頂けますか?」
と、支度を整えてくる人もいる。その場は「はい、それでは電話して参りますので、少々お待ちください」と受け、しばらくしてから「明日の午後、娘さんが迎えに来るそうですので、もう一泊なさって下さい。夕食をご用意します」と答える。
「ああそうですか、〇子が明日、迎えに来ますか」
と、男性は満足げに戻っていく。
経験豊富な介護スタッフの手で、毎日が淡々と過ぎていく。
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