2025年7月4日

幸福な75歳

 

八ヶ岳山麓で生まれ育ったシゲちゃん(75)とミネちゃん(75)は、小学生の頃からの仲良し同士だ。

時々、ふたりの同窓会に混ぜてもらっている。

そのたび、農家の食卓って豊かだなぁと思う。

けさ畑から採ってきたばかりの野菜で作った、てんぷら、おひたし、胡麻和え等々5~6品と、自家製米の炊き込みご飯が、テーブルいっぱいに並ぶ。

「コロナの頃、県民割で1泊数万円の温泉旅館に泊まってみたけど、出てきた『ご馳走』がウチの夜ご飯みたいだったのよね~」

と、シゲちゃん。

いやホントこれ、高級旅館の夕食みたいでございます。

「今日の材料費、ほぼ0円よ!」

ミネちゃんは、朝3時に起きて畑仕事に精を出す。採れた野菜は近くの農産物直売所に持っていくが、夕方、売れ残りを回収する手間もあるという。

「朝から晩まで働いて、もうけはたったの300円よ~」

それでも、ふたりとも元気いっぱいだ。

 

彼女たちが話題にしていたのが、倍賞千恵子主演の「プラン75」という映画。配給元のあらすじ紹介によると、

「少子高齢化が一層進んだ近い将来の日本。満75歳から生死の選択権を与える制度「プラン75」が国会で可決・施行された。夫と死別し、ひとり静かに暮らす78歳の角谷ミチは、ホテルの客室清掃員として働いていたが、ある日突然、高齢を理由に解雇されてしまう。住む場所も失いそうになった彼女は、「プラン75」の申請を検討し始める…」

実際に見てみると、「プラン75」は政府が現金10万円をエサに、元気な高齢者に安楽死を選ばせるという、かなり露骨な話だった。

そして映画の後半には、アウシュビッツさながらの光景が描かれる。

アウシュビッツ絶滅収容所を題材にした洋画「シンドラーのリスト」や「戦場のピアニスト」は、史実を元に描かれている。辛いシーンも、がんばって見なければと思う。

でも100%フィクションのこの映画は、高齢化社会の捉え方が一面的で、あまりにも悲観的。75歳のふたりには、とても勧められない。

クールで優秀な市役所職員を演じる磯村勇斗クンの大ファンだというなら、無理には止めないけど…

 

別れ際、「熱中症に気をつけて下さいね」と言うと、

「その瞬間まで畑で仕事して、あれ?と気絶して、やがて息絶えて…なんて悪くないなぁ! 天からのご褒美みたいな死に方!」と、ミネちゃん。

さすがは生粋の農家さん、腹が据わっている。

Bangkok Thailand, 2025


2025年6月27日

真夜中の避難と正常性バイアス

 

名古屋のビジネスホテルの、午前4時。

突然鳴り響いた、けたたましいサイレンに飛び起きた。

12階で火災発生! すぐに避難して下さい!!」

人工音声のアナウンスが流れる。

げ…

たしかこの部屋は、最上階の14階だ。

これは…マズいかも…

と焦りつつ、その一方では「正常性バイアス」が働いて、

「どうせ大したことないでしょ…」などと考えてしまう。

パンツ一丁で逃げて何事もなかったら、赤っ恥だ。しっかり着替えて、財布とケータイを持って廊下に出た。

屋外に設置された非常階段は、避難者たちで大渋滞。ちょうど火元とされる12階あたりでつっかえて、それより下に降りられなくなってしまった。

もし、ここで火や煙が見えたりしたらパニックだ。

幸い、その気配はない。

見渡すと、他の人も漏れなく「正常性バイアス」が働いたとみえ、皆さんしっかり着替えてきた。両手に大荷物を抱えた人や、妙にヘアスタイルが決まった女の人もいる。

ある高齢の避難男性は、背広上下にオシャレな帽子をかぶり、手にはステッキといういで立ち。まるで、「東京物語」の笠智衆さんみたい。

午前4時の、笠智衆。

その頃になって、ようやく制服姿の従業員が階段を上がってきた。12階の非常扉から、館内に入っていく。

「ただいまの火災警報は誤報でした」

というアナウンスが流れ、みんな「やっぱりね~」という顔をして、三々五々、部屋に戻っていった。

服を脱いでベッドに入り、さぁもうひと眠り…と思ったあたりで、サイレンとともに、階下に消防車が到着した気配。

遅いよ。

さらにひと騒ぎあって、やれやれ今度こそ眠れる…と思ったあたりで、

「ただいまの火災警報は誤報でした」の館内放送が、今度は中国語と英語の大音量で繰り返された。

 早く眠らせてくれ~


県外への予備校通いでこの半年、週末ホテル泊を繰り返すことになった。

なんだかんだで、今年は(今年も⁈)外泊が100泊を超えそう。

毎年こんなことをしていると、いずれ旅先で客死することになるのかも。

文豪みたいでカッコいいじゃん!

でも「東〇イン」で焼け死ぬのは…なんかカッコ悪い。

もし焼き鳥になるなら、リッツカールトンかペニンシュラ、マンダリン・オリエンタルあたりがいいよね。

Midnight evacuation, Nagoya 2025


2025年6月20日

閉じたひと 開いたひと

 

心理系大学院受験のための予備校で、ちょっと意外に思ったこと。

う~ん、なんていうか……わりと「閉じた」感じの人が多いのだ。

社会人のクラスメートとは、講義が終わってから焼き鳥屋に行ったりもする。でも大学生たちは休憩時間もテキストを開き、マスクとイヤホンをして、ずっとうつむいている。

教室内はしんと静まり返って、取り付く島もない。

同じ大学生でも、セブ島の英会話学校のクラスメートはオープンマインドだった。週末も一緒に遊んでくれたんだけどなぁ。

比較の対象が間違ってるのか…? でも将来、心理職として対人援助の仕事をするなら、もっと周囲の人にも関心を持った方がいいかもよ。

 日経ビジネス電子版で、公衆衛生学者のキャスリー・キラム氏が「つながりの健康」について解説していたので、ちょっとだけ紹介します。

・これまで健康は「体」や「メンタル」の面から議論されてきたが、最近は「社会的(Social)」な健康が注目されている。人とのつながりや関係に由来するから「つながりの健康(Social Health)」

・どんなに体やメンタルを整えても、人間関係がうまくいかず孤独を感じていては健康になれない

・数十年にわたる研究により、人とのつながりは心臓発作や認知症、鬱、糖尿病などにも影響することが科学的に証明されている。感情論で重要といわれているわけではない

・米調査会社ギャロップの調査によると、世界では4人に1人が孤独感を抱えている

・結婚せずに1人で暮らす人は増えているし、スマートフォンにばかり気を取られてリアルの人間関係を構築できず、どんどん孤独に傾倒していく流れもある。米国では、孤独による経済損失は年間4000億ドルという試算がある

・私たちは人生の多くの時間を労働に充てている。一緒に働く人との関係性はイヤでも私たちのつながりの健康に影響する

・多くの調査により、職場に友人がいる人は生産性が高いことが分かっている。ギャロップの調査では、「職場に親友がいる」と回答した人は、いない人に比べて7倍もエンゲージメント(仕事への熱意)と生産性が高く、職場でけがをする確率も低い

・米マイクロソフトには「自分の失敗を認める会」がある。チームごとに自分の失敗談と、そこから得た学びを話し合う。ここで重要なのは、一番偉い人から話し始めること。失敗を共有する行為は、職場での心理的安全性にも寄与することが分かっている

・体を鍛えたり、メンタルケアをするように、つながりも鍛えたり、ケアしたりしないといけない

Bangkok Thailand, 2025


2025年6月12日

人生最後に残る趣味

 

「結局、人生最後に残る趣味は何か」 林望 草思社

(こんな本を手に取るようになった自分に、驚く)

果たして、御年75歳になったリンボウ先生がたどり着いた境地とは?

ほんの一部だけ紹介します。

・普段から仕事一辺倒で、人間としての「余白」がまったくない人は、周囲からつまらなそうに見えてしまう

・つまらなそうに見える人は、周囲の人との関りが乏しくなり、ますます退屈な人生を送るという負のスパイラルに陥る

・名誉ある孤立を保つ人は「秘密のポケット」を心に持っている。その中には、その人にとって大事な宝物が入っている。この宝物こそが趣味というもの

・趣味を持つことの意味は、人間関係を豊かにすることでもあり、自分の人生を楽しみ多いものにすること

・でも最初から「趣味で友だちを作ろう」とは考えない方がいい。そこで良友を得るかどうかは「結果論」でしかない

・趣味を始めようとする人の中には、友だちを増やしたいとか社交の機会を増やしたいという目的を持つ人がいる。草野球よりも試合の帰りに居酒屋に寄って仲間と飲み食いするのが楽しみ、など

・飲み会でだらだらしゃべっているような仲間は、友だちと呼べるのか?何年も会わなくても、常に心を通わせている関係こそ友だちというのではないか

・そして、趣味は大真面目にやった方がいい。無限の向上心と熱意とを持って、やめることなく継続する。継続すれば必ず上達できるし、最終的には思いがけない自己実現につながる

・「できなかったことができるようになる」ことが人間の大きな楽しみ

・適性がある趣味を選ぶこと。それをしている時間が楽しくて寝るのを忘れてしまう、ずっとやっていても苦にならないというのが適性がある証拠

・ピアノの適性がある子は、上手に弾けるのが楽しいからたくさん練習する。自分でも上手になるのが実感できるから、さらに練習する。先生や周りの大人からも褒められるから、さらに練習して上達するというサイクルに入っている

・芸術は、少しでも自分でやった経験を持っている方がより深く楽しめる。絵を描いた経験がある人は絵の見方に熱意と深みが出るし、音楽をやっている人は音楽の聴き方・味わい方が深くなる

・文学は、人に教わらず自己流で取り組んだ方がいい。夏目漱石や森鴎外の作品も、文章の先生について学んだわけではなく、その心の中から自発的に湧き出てきた世界。文学や絵画はほんらい誰からも独立の世界であるべき

・時間を節約するためのもっとも正しい方法は「やらなくてもいいことをやめる」こと

・人生において、時間を無駄にする一番の元凶は「惰性による人づきあい」

Bangkok Thailand, 2025


2025年6月4日

セラピストを目指すワケ②


「はるばる長野から来られてるんですか?」

予備校の教室で、見知らぬ学生や社会人から、声を掛けられる。

「泊りがけで長野から通ってくる人がいるのよ!」

予備校窓口のオグラさんが、誰彼かまわず言いふらしているみたい

心理系大学院受験のための予備校で、一番近かったのが名古屋。地方暮らしのつらいところだ。

でもこのぐらいの距離は、まったく苦にならない。

移動することで、かえって脳が活性化される…ような気がする。

 

心理学概論の講義は、ひとコマ120分。

我ながらすごい集中力で、先生の言葉をひと言も聞き漏らすまじ、と机にかじりつく。受講料、安くないし。

ところが…

私のすぐ後ろに、ガタイのいい、若い男が座るようになった。

顔もデカい。少なからず、圧迫感を感じる。

しかも、机の下からはみ出した30センチはありそうな足で、私のイスを蹴ってくる。

気が散るんだよ、このデ〇!

先日、ついにその男と言葉を交わす機会がやってきた。いよいよ決闘だ!


彼の名は、インさんという。

中国からの留学生だ。

内陸部の湖北省で日本語を学び、7年前に名古屋にやってきた。

「…インさんにとって日本語は外国語ですよね。日本語で心理学を? 大学院で研究したい? マジか」

ハルの動因低減説、アドラーの器官劣等、チョムスキーの生成文法理論、サピア・ウォーフの言語相対性仮説、コフートの双極性自己、帰納的推論と演繹的推論、丁度可知差異、般化勾配、特性不安と状態不安、論理情動療法…

私がなんとか理解しようと七転八倒するこれらの概念を、中国からきたインさんは、言葉のハンディを背負いながら勉強しているのだ。

「日本語の壁? あんまり意識したことないっすけど」と、インさん。

どんだけ優秀な人なんだ…

ゆくゆくは資格を取って心理クリニックを開き、在日外国人の心のケアをしたいという。

心理職の給料はとっても安いらしいけど…それでもいいのか?

 

「後ろの席のうざいデ〇」は、一瞬にして「イン様」へ。

彼を見かけるたび、その姿に後光が差す。

思わず、両手を合わせて拝んでしまう。 

Shanghai China, May 2025



2025年5月30日

セラピストを目指すワケ①

心理系大学院受験の予備校では、現役大学院生から直接アドバイスを受けられる。

アポを取って3人めにお会いしたKさんは、東京出身の50代女性。とても柔らかい雰囲気の人だ。

Kさんが大企業で働いていた時、同じ職場の女性が相次いで心を病み、離職していった。なすすべもなく、それを見送るしかなかった。

もし自分に心理学の知識があれば…

と、50歳で退職し、名古屋の大学に入学した。

「ど、どうしてまた名古屋に?」

「日本で最初に心理学部を作ったのが、名古屋のC大学なんですよ」

卒業後は公認心理士の資格を取り、産業カウンセラーとして働く女性を支援したいという。

 

早稲田大教授で人類学者の長谷川眞理子氏は、「女性活躍を本気で考えている日本企業はごく一部」だという。だが、希望もあるらしい。

以下、日経ビジネス電子版の同氏インタビューから一部を紹介します。

・米国で第2次トランプ政権が立ち上がり、DEI(多様性、公平性、包摂性)の方針を撤回する動きが広がっている。西洋文化は歴史的に女性に対する差別的感情が根深く、トランプ政権を機に逆回転が始まってしまった

・そもそも米国は基本的に西部劇のような文化。白人の男性が荒野を切り開いて国をもり立ててきた。黒人や女性などのマイノリティーを差別してはいけないと頭では理解していても、文化の根本はやはり西部劇。DEIに嫌悪感を持つ白人男性は多い

1780年代から英国で奴隷貿易を禁止する動きが始まったが、最終的に制度が消滅したのは1888年。約100年もの歳月がかかったのは、奴隷がいなければ成り立たない経済ができてしまっていたから

・男女の溝は根深く100年以上かかると思われるが、ダイバーシティーを進めたほうが経済に良い影響をもたらすと明確になれば風向きが変わるはず

・日本政策投資銀行が特許の経済価値と開発チームの男女比の関係性を調べたところ、同性のみのチームよりも、男女混合のほうが経済価値の高い特許を生み出していた。様々な意見が出されることで、使い勝手の良い特許になる

・日本は男女が共に働く農耕社会だったため、本質的な対立は西洋ほど根深くない。明治時代に西洋文化を取り入れるまで、男女はほぼ平等だった

・男性ばかりの日本企業がうまくいっていたのは、やるべきことが明確な高度経済成長期だったから

・多様な価値観を持つ人が一緒に働くと最初は生産性が落ちて苦労するが、課題に対する新たな解決策が見つかるなどの効果も出てくる

・米国での反DEIの動きも、長い目で見れば一時的な揺り戻し。4年後には以前の状態に戻っていても何ら不思議ではない

・「反DEIの波に翻弄されるな。日本企業はぶれない軸を持て」

Nongkhai Thailand, 2025


2025年5月23日

快楽原則、道徳原則


久しぶりの横浜で。

昼過ぎのJR京浜東北線で横浜から関内に向かっていた時、初老の男性が、すぐ近くに座っていた中年女性に歩み寄った。

「携帯電話での通話はご遠慮ください」

その時初めて、女性がケータイを耳に当ててヒソヒソ話をしているのに気がついた。男性はそれを、遠くから目ざとく見つけたようだ。

そそくさと通話を終えようとする女性。その耳元に思い切り顔を近づけた男性が、今度は怒気を含んだ大声を出した。

「携帯電話での通話はご遠慮ください!」

女性に怯えた表情が浮かび、慌ててケータイを切る。その時ちょうど、駅に着いてドアが開いた。逃げるように、ホームに降りる女性。

その背中を追いかけて、3度めの大声が響く。

「携帯電話での通話はご遠慮ください!」

 

精神分析の創始者フロイトは、人の心が「イド」「自我」「超自我」の3つで成り立っているとした。快楽原則に基づく「イド」を、道徳原則に基づく「超自我」が検閲し、現実原則に基づく「自我」がその2つを調節する。

予備校で心理学概論を教わっていた時、講師のミヤガワ先生が呟いた。

「最近の日本人は、ちょっと超自我が強くなりすぎている気がしますねー」

 

名古屋から2時間半のフライトで向かった、週末の上海。

日が暮れると黄浦江沿いの西洋建築がライトアップされ、歩道は人であふれる。中国の人たちは元々声が大きいが、解放感に浸ってますますボリュームアップ! すごい騒ぎになっていた。

若いカップルの愛情表現もストレートだ。「公衆の面前で」なんて、ハナから気にしていない。あちこちで熱いキスを交わしている。

(思い返せば昭和のニッポンでも、カップルが電車内でキスしていたような…)

老若男女ともども、感情豊か。休日の高揚感がビンビン伝わってきた。

 

日本の子どもは、

「人さまに迷惑をかけないようにしなさい」と教えられる。

中国の若い世代は、

「人に迷惑をかけないで生きるなんてムリ! だから、あなたも他人に寛容でありなさい」と言われて育つのかも。

「イド」(快楽原則)を大切にする生き方も、それはそれで悪くない。

 

帰国の朝、空港行の上海地下鉄2号線に乗った。

平日の車内は意外にも(?)、東京メトロ並みに静かだった。 

Shanghai 2025


幸福な75歳

  八ヶ岳山麓で生まれ育ったシゲちゃん(75) とミネちゃん(75) は、小学生の頃からの仲良し同士だ。 時々、ふたりの同窓会に混ぜてもらっている。 そのたび、農家の食卓って豊かだなぁと思う。 けさ畑から採ってきたばかりの野菜で作った、てんぷら、おひたし、胡麻和え等々...