2025年1月24日

肛門性格

 

心理学の概論書を読んでいると、とにかく驚くことばかりだ。

「エーッ、そうなの?」「どうしてそんなことがわかるの?」

ひとりで叫んでいる。

例えば、精神分析の祖ジークムント・フロイトは、人は生まれた時から性欲(小児性欲)を持っていると論じた。

0歳から1歳半までが「口唇期」。性欲が口に集中していて、授乳による快楽が満たされないと、大人になってから依存的な性格になる(口唇性格)。食べたり飲んだりタバコを吸ったりといった、口で得る快楽を好むようにもなる。

1歳半から3歳までは「肛門期」(アナル・ステージ)。トイレトレーニングのこの期間、排泄による快感が満たされないと、大人になって頑固・倹約・几帳面という性格傾向が生じる(肛門性格)。

こ、肛門性格! あんまりなネーミングだ。

そして3歳から6歳までが「男根期」。男児はペニスの勃起を経験し、女児はペニスがないことに違和感を持つ。性欲が男根(男児のペニス、女児のクリトリス)に集まった結果、エディプス・コンプレックスという葛藤が生じる。

果たして自分は子どもの頃、エディプス・コンプレックスを経験したのだろうか。ほとんどの人には3歳以前の記憶がない(幼児期健忘)というが、私の場合3歳どころか、昨日の昼飯も思い出せない(逆行性健忘)。

そこにちょうど、5歳の男児を育てる旧知のママが旅行でやってきた。さっそく聞いてみた。

「いまSくんはエディプス・コンプレックスの真っ最中で、

   ペニスの存在から自分が男であることを意識し始める

   最も身近な女性であるママに性愛感情を抱く

   ママへの性愛感情を実現するため、パパに敵意を抱き、排除を考える

   同時にパパからの報復を恐れる。特に、罰としてペニスを奪われると考える(去勢不安)

   最終的に、ママへの性愛感情とパパへの敵意を無意識に抑圧する

…らしいけど、これってホントのこと?」

「…………………………………………………………………はい?」

まったく心当たりがない様子。

変なこと聞いてゴメンナサイ。

 

フロイトの弟子だったユングやアドラーは、フロイトの性発達理論に反発して、次々と彼の許を去った。

でも、今だに多くの心理学概論書に載っているということは、例外こそあれ、それは一面の真実なのだ。

心理学って、面白そう!

Matsumoto Japan, winter 2025


2025年1月17日

「しょせんは漫画家」

 

小学校時代の同級生に、その後音大を出て漫画家になった人がいる。

コンクールで優勝するほどのピアノの達人なのに、「音楽は親が勝手に敷いた路線。私は私の道を行く」と、音大在学中に漫画家としてデビューした。

「天は二物を与えず」なんて、大ウソじゃん!

世の中、不公平にできている。

とはいえ、漫画家というのは、かなり大変な職業らしい。

日経ビジネス電子版に載ったヤマザキマリさんのインタビューが面白かったので、一部を紹介します。

2010年に『テルマエ・ロマエ』の映画が大ヒットした時、映画の興行収入60億円に対して、原作者の私に支払われる原作料は100万円だった

・イタリア人の夫からは「自分が原作の映画が大ヒットしているのに、その利益の外に置かれているのは、君が事前にきちんと契約しなかったからだ」と詰め寄られ、家庭不和になった

・現場はいまだになあなあ。漫画家や作家が出版社に「これ、最初に契約書ください」と言えているかと言ったら、言えていない

・昭和一ケタの母には、私が漫画家になったことをなかなか受け入れてもらえなかった。「漫画なんて下劣」と思っていた人は彼女の世代では少なくない

・私はイタリアの美術大学で油彩、美術史、古代西洋史などを学んできたが、海外でも日本でも、漫画家だと名乗ると、お絵描き一辺倒で生きていけてるラッキーな人、と急に目線を変えられてしまう

・漫画作品を生むというのは、並大抵な気合では太刀打ちできないほど力が必要な作業。プロットを描いてから清書にいたるまでの労働時間を割ったら、おそらく学生のアルバイト時給くらい

・そうやってエネルギーを駆使して作品を描き、その作品がヒットしたとしても、「しょせんは漫画家」という意識が出版業界に漂っている

(以下は、近年のオーバーツーリズムについての発言)

・かつて京都に留学していた息子が久々に戻ってみたら、大学の帰りに寄っていたカフェで好き勝手に騒いでいる外国人がいる。変なたばこの匂いもした。京都に来ている外国人の様子が違ってきている、といっていた

・昔は京都といったら、確かに観光ではあるけれど、日本に興味を持つレベルの人たちが来ていた。今では日本がどんな国なのかもろくに知らず「安くて楽しいらしいよ」というノリだけで訪れる外国人が増えた

・外国人たくさん来て何が悪いのさ、と反論したくなる人もいるだろうけど、世の中にはそれが向いている国とそうじゃない国がある

(以下、ガルシア・マルケス「百年の孤独」の文庫版化について)

・知性というものは、本を読んだり、ひたすら勉強をしたりしていれば得られるものではない。物理的な意味でも精神的な意味でも、積み重ねてきた経験に、書物などで習得した教養が、時間をかけて結合して生まれてくるもの

Tateshina Japan, winter 2024-25


2025年1月10日

「どうすればよかったか?」

 

一本の映画を見に、「特急しなの」に乗って名古屋へ。

かな~り地味な映画のはずだが、小ぢんまりした館内はなんと満席。

急きょ、通路にもパイプイスが並べられた。

100分間の上映が終わり、エンドロールが流れて、スクリーンは真っ暗に。

でも、館内も真っ暗なまま。

まさか、映写技師が居眠りでも…?

数分待って、やっと明かりがともる。余韻を胸に、三々五々、出口に向かう。

最後に出ようとしたら、誰かのスマホがひじ掛けに置きっ放しになっている。

足元にも、A4サイズのノートPCが入った手提げが転がっている。

「これとこれ、誰のですか~⁈」

お客さんの後ろ姿に向かって、大声を出す羽目になった。

もしここがパリやロンドンだったら、ものの3分で持って行かれちゃうよ。

あっという間にSIMカードを抜かれて、転売されて終わりだよ。

200万都市・名古屋の住民は、かな~り緩い人たちみたいだ。

 

この時見た映画のタイトルは、「どうすればよかったか?~言いたくない家族のこと」。藤野知明監督によるドキュメンタリー作品だ。

ある日、頭脳明晰で大学の医学部に進学した姉が、突然、支離滅裂なことを叫び始める。

「統合失調症」が疑われたが、医師であり研究者でもある両親は、それを認めようとしない。

精神科への受診から、姉を遠ざけた。

姉の精神状態は急激に悪化。罵詈雑言を叫び、奇異で突飛な行動を繰り返す。

ついに両親は、玄関に南京錠を掛けて、姉を自宅に閉じ込めた。

映像制作の道を選んだ弟(藤野監督)は、両親のその判断に疑問を覚えながら、姉と両親にビデオカメラを向ける。

以後20年間、社会から隔てられた家族の姿を記録し続けた…


統合失調症は、以前は「精神分裂病」と呼ばれた。

19世紀までは「早発性痴呆」というすごい病名もついていた。

昔から世界中に存在する病気だが、発病の原因は、いまだわかっていない。

私にも、統合失調症と診断され、障害者手帳を頼りにひとり暮らしする友人がいる。たまに会ってランチするが、とてもきちんとした人だ。

そして歳を重ねても、心にピュアな面を保っている。会うたび、それと比べた自分の俗物ぶりを思い知らされる。

映画では、30年経ってようやく精神科の治療を受けた姉が、劇的に回復する。

やっと訪れた平穏な日々。だが、その姉に別の病魔が忍び寄る。

残された人生の時間は、長くはなかった。

「どうすればよかったか?」 この言葉が、胸に突き刺さってくる作品だ。

Nagoya Japan, January 2025


2025年1月3日

日本を背負って立つ人

 

この春、去年一緒にヒマラヤ登山をした学生たちが、社会に向けて旅立つ。

ヨコさんは見事、外交官試験を突破して外務省に入省。

ゆくゆくは、中国に赴任するらしい。

なっちゃんは、防衛産業系の商社へ。

ヨコさんもなっちゃんも、「大好きな母国、日本のために働きたい」と言う。

そしてあいさんは、水まわり住宅総合機器メーカーに就職。

ヒマラヤ登山中に見たネパールの村のトイレ事情に衝撃を受け、「途上国のトイレをなんとかしたい」のだという。

みんな海外志向が強く、「日本のために」「途上国のために」働くという明快な意志を持っている。

立派だなぁ。

ヒマラヤでひと月、寝食を共にしたのに、ぜんぜん気がつかなかった。


自分が大学生だった時は、ほぼ100%、私利私欲で就職先を選んだ。

「カナダ・エスキモー」「ニューギニア高地人」「アラビア遊牧民」を著したジャーナリストの本多勝一氏に憧れて、よし自分も辺境ルポルタージュを書くぞと、新聞社を志望した。

でも本多氏のような正義感は、これっぽっちもない。

「会社のお金で、いろんな国に行けそう」

それが志望動機のすべて

なんて軽薄な!


そして、新聞社を早めに辞めた後は、職を転々とした。

認知症専門グループホームのレク係、デイサービスの送迎ドライバー、生活保護家庭の子の無料塾講師、在住外国人向け日本語教室講師、車いす利用者の送迎ドライバー、アマゾンの巨大倉庫でピッキング、自然学校インタープリター、ゲストハウスの客室係、居酒屋のホール係、末期がん患者専用病棟の看護助手…

ある時はNPOスタッフ、またある時は地方公務員として働いた。

職選びに大まかな傾向があるような、ないような…福祉関係が多いのかな。

どうも自分は、ひとつ事に熟達するよりは、いつも何かのビギナーでいる方がいいみたい。(ブログのネタにもなるし)


新聞社を退職した日から、「自分メディア」として毎週更新のブログを始めて、丸10年になりました。

私に面白いことを言ったばかりにブログに書かれてしまった皆さま、ごめんなさい!

でも大丈夫! 誰も読んでませんから!

いつまで続くかわからないけど、今年もよろしくお願いします。

Mt Tateshina, Japan



2024年12月27日

「好き」を仕事にしたら、そこにキョジンがいた

 

小さい頃から、趣味は写真。

高校では写真部に入り、撮影旅行と暗室作業に明け暮れた。

大学では主に山岳写真を撮り、卒業して報道カメラマンになった。

「好きなことを仕事にできてよかったね」

傍から見れば、そういうことになる。

でも現実は、そう簡単ではなかった。

 勇んで入社した新聞社は、プロ野球人気球団の親会社だった。

そして、数十人の同僚の中から選ばれる「G担」(キョジン担当カメラマン)は、出世コースど真ん中、花形ポジションとされた。

しかも「すべての報道写真の基本はスポーツ写真」が、不文律となっていた。

スポーツを撮れなければ、人間に非ず。

スポーツ取材に興味がなく、反射神経も鈍い人間(私)にとっては、実はかなりキビシイ職業なのである。

それでも、スポーツ以外に居場所を探して、なんとか20年余、在職した。

その間、栄えある「キョジン担当」には縁がなかったが、キョジン戦の応援取材には、有無を言わさず駆り出された。

3人で取材チームを組み、まずは球場近くで腹ごしらえ。油ギトギトの料理と一緒に、酒好きな先輩カメラマンに、飲めないビールを飲まされた。

この時点で、すでに戦意喪失。意識もうろう。

球場内のカメラマン席に戻って、さぁ試合開始だ。隣のベテラン・スポーツ紙カメラマンが、一球一球をレンズで追い、心地よいシャッター音を響かせる。

空調の効いたドーム球場は、暑からず寒からず、実に快適だ。

…これで寝るなという方が無理でしょう。

キョジンが勝とうが負けようが、ぼく興味ないし。

ウトウト…

カキーン!!

鋭い打球音と、大歓声。我に返ると、イヤホンのラジオ中継が「打った入ったホームラン! キョジン勝ち越しです!」と叫んでいる。

ししし、しまったぁ! 撮りっぱぐれたぁ!

もしこれが決勝点になってしまうと、会社に戻ってから地獄を見る。たちまち睡魔も吹っ飛び、その後は相手チームを熱烈に応援した。

すると、神風が吹いた。相手打線が奮起して、執念の再逆転!

あぁ、助かった…


もし自分が素直にキョジン軍のファンになっていたら…

タダで特等席から試合が見られて、さぞ楽しかったろうと思う。

仕事にも、もっと身が入っただろう。寝たりもしなかっただろう。

もしかしたら、人生そのものが変わっていたかも…

でも人間って、そう簡単には宗旨替えできないのです。

Tateshina Japan, December 2024


2024年12月20日

肉食女子

わが母校は、伝統的に女子がキラキラ輝いて、男子が冴えない大学。

現在の山岳部も、12人の部員を束ねる主将はナナコさんだ。

でも山岳部の場合、キャンパスを風を切って歩く「民放局アナ志望女子」たちとは、輝きっぷりが異なる。

今年大学を卒業して八ヶ岳の麓に就職したマソラさんの場合、趣味は狩猟。仕留めたシカを自分でばらし、アパートの冷蔵庫はシカ肉でいっぱいだという。

夏に会った時、マソラさんが肉食女子だという最重要事項を忘れて、よりにもよってヴィーガン・インド料理レストランに連れて行った。

肉という肉が、すべて大豆ミート。

どうせわかりゃしないだろう…という願い空しく、食後の彼女はとても不満そうだった。

一世一代の痛恨事!

おまけに、小柄なのによく食べることも失念していた。去年一緒にヒマラヤ登山をした時、標高4000mの村でダルバート(カレーと野菜炒め、豆のスープにご飯がついたネパール定食)をお代わりしていた。

自分の胃袋を基準に、ものを考えちゃいけないな。

 

先日、絶好のリベンジの機会がやってきた。

親友のなっちゃんとやってきたマソラさんに、1泊3食、しこたま食わせた。

味はともかく、量に関してはご満足頂けたと思う。

そして、一部例外を除く「老若女女、甘いものに目がない」法則に従って、毎食後のデザートも欠かさなかった。

スイーツを前にした20代女子の、目の輝きといったら!

まるで、瞳に電飾がついているよう。

 

親友のなっちゃんはこの夏休み、北アルプスの山小屋に住み込みで働いた。

OBも泣いて喜ぶ、正統派大学山岳部員!

「山小屋でバイト中、何か面白いことあった?」

「そういえば、近くの登山道で60歳のおじいさんが低体温症で倒れて、間一髪で救助しました!」

60歳の…お、おじいさん…?

ボクってもう、おじいさんなのね。

ショック。

 

夜も更けて会話が途切れた頃、マソラさんが小声でつぶやいた。

「…でも何だかんだ言って、スーパーで普通に売ってる牛や豚、トリ肉が一番おいしいんですよね」

出たっ! ついに本音が!

冷蔵庫にいっぱいのシカ肉、がんばって食べてね~

ボク、手伝わないから。 

Varanasi, India 2024(写真と本文はあまり関係ありません)


2024年12月12日

エイジング・パラドックス

 早朝ジョギングに出かける時、ふと玄関先の温度計を見たら、マイナス10度。

今年は久々に、まともな冬になるかも…

砂利道に積もった雪が、踏むたびにキュッキュと音を立てて気持ちいい。

 

街に下りて勤務先の忘年会に出た夜、そのまま近くのホテルに泊まった。

すぐ隣は、大きな赤十字病院。夜中に何度も救急車のサイレンが聞こえた。

その病院は、地域のがん診療拠点病院だ。私がS病院で働いていた頃、ここで治療をやり尽くし、余命を告げられた患者さんが、わが緩和ケア病棟に移って最後の日々を過ごした。

その中の何人かは、田舎暮らしを夢見て、定年後に首都圏から移住してきた人だった。

田舎暮らしも元気なうちはいいが、いざ病気になると、医療の選択肢は限られる。そして、ここではクルマが生命線。夫が入院してしまうと、運転ができない奥さんは移動の足がなくなる。本人も家族も、本当に大変そうだった。

私が同じ都会からの移住組だと知ると、

「年を取ってからの田舎暮らしは、よくよく考えた方がいいよ」

と口々に言い残して、旅立っていった。

ホテル泊の翌日、農家の収穫祭にお呼ばれする。小さな集落の、白壁に屋号が刻まれた古い家で、ミネちゃん、シゲちゃん、ソエちゃん(揃って75歳、元気印の女性たち)と4人で食卓を囲んだ。

日本から出たことのない彼女たちにとって、カンボジア生まれ&フランス育ちの私と話すことは「異文化交流」なのだそうだ。

大きなすり鉢に山盛りのとろろ芋をメーンに、銀鱈の西京焼き、おでん、大根の皮とごぼうのキンピラ、漬け物各種。

炊きたての白いごはんは、目の前の田んぼで収穫したものだ。

ご馳走に舌鼓を打ちながら、立て板に水の如き女性たちのおしゃべりを聞く。

すると、いつも控えめで普段あまり笑顔を見せないミネちゃんが、

「毎晩、寝る時にいつも布団の中で、あぁ今日も幸せだった~って思うの」

といって、ニッコリ笑った。

特別、その日に何かハッピーな出来事があったわけでもない、という。

ただただ、幸せ。

発達心理学には、「エイジング・パラドックス」という言葉がある。高齢者は様々な衰退や喪失の経験を重ねるのに、なぜか幸福感が高いという。

また、「社会情動的選択性理論」によると、高齢者にはネガティブな情報を避け、ポジティブな情報に向かいやすくなる「ポジティブ選好性」が見られるらしい。

人間って、うまいこと出来てる!

願わくば15年後、自分もこの3人みたいに元気で、幸せな気分でいたい。

その後のことは…成り行き次第かな。あんまり考えないでおこう。

Varanasi India, 2024



肛門性格

  心理学の概論書を読んでいると、とにかく驚くことばかりだ。 「エーッ、そうなの?」「どうしてそんなことがわかるの?」 ひとりで叫んでいる。 例えば、精神分析の祖ジークムント・フロイトは、人は生まれた時から性欲(小児性欲)を持っていると論じた。 0歳から1歳半まで...