2023年1月27日

白内障です。まだ若いけど

 

「ウチの眼科は、腕も性格もイマイチよ」

 少し前から右眼がかすむようになり、勤務先の病院の眼科を受診した。いきなり、まだ若いけど白内障です、と告知された。

「まだ若いけど」は余計じゃね?

緩和ケア病棟に戻り、看護師さんにその話をしたら…

 あの眼科医、やっぱりイマイチだったか!

手術は順番待ちで秋になる、と言われたのを、渡りに船。紹介状を書いてもらい、さっさと町のHクリニックに移った。

クリニックへの最初の電話で、何度も「ありがとうございます」と言われて驚く。放っておいても患者が押し寄せ、「紹介状があれば診てやる」という態度の大病院とは、えらい違いだ。

待ち時間ゼロで、各種機材を使って、3時間かけて眼の状態を調べてもらう。そして、さっそく翌々週の手術が決まった。なんてスピーディな!

手術は日帰りで、所要15分。準備と説明を合わせても、2時間ほどで帰れるらしい。勤め人にはとてもありがたい。

そして当日。手術室に案内されると、4台並んだ手術台におじいちゃんが寝ている。眼科の患者は圧倒的に高齢者が多い。看護師さんが、耳の遠い人に声を張り上げている。確かに、私だけ場違いな若造だ。

両眼を覆われた状態で待っていると、「ハイ終わりです、お疲れさまでした~」という声が聞こえた。さぁ次は自分の番だと身構えていると、今度は隣の人のオペ。まさに「俎板の鯉」で、心臓に悪い。

やがて、わが耳元にも「ハイ終わりです、お疲れさまでした~」の声を聞く。右眼に眼帯をつけて、クリニックを後にした。

外に出てみると、ゆっくり歩くのさえ怖い。今までもずっと、眼が「冬のラーメン屋に入った直後のメガネ」状態だったのに、ぼんやりとでも両眼が見えるのと、片方がまったく塞がれるのとでは、大違い。

「手術当日は、なるべく家族同伴で」と言われた意味が、よくわかった。

 翌日、晴れて眼帯が取れた。HOYAの眼内レンズが装着された右眼は、0.01のド近眼が、0.3に改善されていた。そして、視界に何の曇りもない。

「ありがとうございます!私の手術、ずいぶん時間がかかったようですね」

「いや。18分でしたよ。近眼の方は目玉が大きいので、麻酔を多めに入れて、効くまで待つんです」

私の主治医、ハタケヤマ先生は、少女漫画の主人公みたいに眼が大きい。そして、キラキラ輝いている。

「さすがに眼科の先生は眼がおきれいですね」

「そう?私はミヤサカさんよりひどい近眼なんですよ」

 なるほど、それで眼が大きいのか! 

 誠実なお人柄のハタケヤマ先生は、50がらみの男性医師である。

Karuizawa, Japan


2023年1月21日

マスオさんと波平さん

 

 ヒマラヤの高峰に挑んだ登山家が、頂上直下で悪天候に遭遇した。着の身着のまま、岩陰でビバークを強いられた。

 マイナス30度の寒さと烈風、酷薄な酸素を生き延びて、翌日なんとか仲間が待つキャンプへ。

たったひと晩で、彼の頭は白髪で真っ白になっていたという。

 

 入浴介助が一段落した日の午後、その日の明け方に亡くなったOさん(80歳)の病室を訪ねた。ずっと付き添っていた奥さんが、ベッド脇で所在なさげに座っている。

 声を掛けると、夫の横顔を見つめながら、ふとつぶやいた。

「人って…亡くなってからも歳を取るものなんですね…」

 奥さんの言うとおり、Oさんは、生前とはまるで別人。年の割に黒々としていた頭髪が、ひと晩ですっかり白くなっていた。

 

 遅めの冬休みを取った後で、一週間ぶりに出勤する。お昼になり、各病室にお茶を配って回った。

 ノックしてオサナイさんの部屋に入ると、ツルツルに禿げた、見知らぬ男性の後頭部が目の前に。

「お、お茶ここに置いときますね。まだ熱いですから気をつけて」

 緊張して言いながら、ベッド周りを見渡す。名札は、間違いなくオサナイさんだ。彼が好きなビートルズのCDも、変わらず散乱している。

 この病棟では、患者さんの病状が急変することがままある。でもたった一週間で、「サザエさん」のマスオさんが波平さんに変身!なんてことある?

同姓同名の別人?

 まさか…

 ナースステーションに戻ると、ちょうど担当看護師のフジタさんがいた。

「フジタさん、504号室のオサナイさんって、あんな人でしたっけ?」

 すると彼女、黙って、頭をカパッと外して横に置くしぐさをした。

 目がニコニコ笑っている。

「オサナイさん、最近お疲れ気味で…身なりに構ってる余裕ないんです」

 

 その数日後に、病棟恒例の正月行事。お雑煮とお汁粉をワゴンに乗せて、スタッフ全員で病室を回った。お次は、504号室。

「はいオサナイさん、みんなで写真撮るから、これかぶりましょう!」

「あれ?前後が逆だったか!」

 カメラのファインダーをのぞくと、若い看護師さんにいじられながら、まんざらでもない表情のオサナイさんがいた。

いつものマスオさんに戻って、真ん中に納まった。

※登場人物はすべて実在しますが、一部は仮名です

Funabashi Japan


2023年1月13日

分数ができない人の末路

 

今から40年前、東京の私立大学が、小論文と英語だけで生徒を募集した。

 からきし数学がダメな高校生が、これ幸いと受験し、まんまと合格。

長じてその人物が、よせばいいのに、貧困家庭の子を集めた無料塾の講師を引き受けた。

「先生、分数の割り算を教えて下さい!」「よし、どれどれ…えっ?…ん?」

 数学どころか、算数もお手上げ…

この私だ。

 人間、分数がわからなくても、半世紀は余裕で生きられる。

 人として世の中に役立っているかどうかは別として…


「算数のテストで計算機を使ってもいいのではないか?」

「漢字を鉛筆で書ける必要があるのか? キーボードで打てればいい」

「英語を全員が全員、学ばなくてもいいのではないか?」

これは東大先端研シニアリサーチフェロー、中邑賢龍氏の提言だ。算数のテストに電卓!これは朗報だ(以下、日経ビジネス電子版より)。

・急増する不登校の原因として大きいのは、学習の困難。知能が正常でも「学校の勉強」に困難がある子は散在する

・いじめも不登校の直接の原因ではない。文字が書けない、勉強ができない結果として、いじめが起きている

・鉛筆だと書けなくても、パソコンやスマホを使えば、困難を感じずに文章を書ける子はたくさんいる。鉛筆で書くことにこだわらず、とにかく自分の頭のなかにあるものを文章として外に出す習慣をつけることが大事

・英語圏では読み書き障害が10%ほどいて、日本語圏やスペイン語圏などより高い。英語の読み書きは、それだけ難しいということ。そのために、数学が抜群にできる子がいても、英語が必修だと行きたい高校に行けない

・英語を必修から外し、入試科目から外しやすくすることで、才能のある子がもっと花開いていくはず

・ギフテッド教育の弊害も、もっと知られるべき。わが子はギフテッドだと主張する親の根拠は、たいてい知能検査。でもクイズやパズルをたくさんやって、子どもの「知的反射神経」を鍛えれば、IQは高く出る。

IQ130以上もあって大変なんです」と真面目な顔で相談に来る親に、「安心してください、お母さん。小学校5年生ぐらいになったら普通の子になりますから」と言うと、ものすごく不快な顔をされる

・でも「普通になった自分」に親ががっかりすれば、子どもが傷つく

・とりあえず勉強する、とりあえず学校へ行かなきゃいけない、そういう価値観から抜け出し、好きなことを見つけて、好きなことを思いきりやる。変わった子が、変わったままで生きられるのが一番

・大人は子どもに、変わることを当たり前のように求めるが、子どもではなく制度や社会を変えたほうがいい

My house, 2022-2023 winter


2023年1月6日

心は孫悟空

 

 自分に残された時間が短いとわかった時、人はどんな本を持って緩和ケア病棟に向かうのだろう。

 妻は最初、歌人・穂村弘の軽妙なエッセイ集を持って入院した。

でも途中で、

「やっぱり人生最後の読書が穂村さんじゃねえ」

 と言って、20代の頃から愛読してきた村上春樹を手元に置いていた。

 

 504号室の主、ヤスコさん(70代・女性)の枕元には、分厚い「会社四季報」があった。

 ずっと小遣いで日本株の売買をしてきたという。

「個室代もかかることだし、入院費用ぐらい稼がなくちゃ! でも、あんまり読む気にならないのよね」

 

 元公務員のOさん(80代・男性)がアマゾンで取り寄せたのは、

「牛乳とタマゴの科学~完全栄養食品の秘密」

自身は五分がゆさえ喉を通らない病状だったが、それでも、がんばって栄養ドリンクを飲んでいた。

そのOさんは、ある日の明け方に亡くなった。

「夫は最後まで『絶対に退院するんだ』と言ってたんです」

 駆けつけた奥さんが、しんみりした口調で教えてくれた。

 

 高校の社会科教師だったIさん(90代・男性)が手にしていたのは、斎藤茂吉の「赤光」。

 私が何げなく「あ、赤光ですか」と言うと、

「あなた、赤光をシャッコウと読めるなんて大したものです!」

 思わぬ賞賛を受けた。

「五七五七七で余白が多いから、この体でも読めるかと思いましてね」

 しばらくして、奥さんに持って来させたのが

「戦艦大和~生還者たちの証言から」(岩波新書)

 でもあまり面白くなかったと見えて、

「あなたに差し上げます」

 途中でほっぽり出していた。

その代わりに、Iさんが熱心に読み始めたのが

「西遊記」 全10巻 岩波文庫

 すごい勢いで、もう4巻めに入った。


 たとえベッドで管につながれていても、毎日が孫悟空。

Iさんの心は、雄大な大陸を飛び回っている。



2022年12月30日

師走の病棟にて

 

 寝たきりの体勢から勢いよくパンチを繰り出すMさんに、メガネを吹き飛ばされてから1週間。

 彼女はやたら人を引っ掻く癖もあり、今や看護師さんほぼ全員の腕に、流血の痕が残る。

 そして再びやってきた、Mさんの入浴日。万全を期して、介助要員は6人に増えた。広い浴室に女性の笑い声が渦巻き、ほとんどお祭り騒ぎだ。

そしてその間、ナースステーションはもぬけの殻に。

ダイジョーブなの?

 

1時間ほど前に息を引き取ったFさんの、お見送り入浴にも立ち会った。

眼を閉じて、もの言わぬFさん。がんと闘ってできた、体の傷が痛々しい。

「ミヤサカさんが買って来たイカの塩辛、Fさんはひと晩で全部食べちゃったんです。『好きなものはいっぺんに食べる主義なの』って威張ってましたよ!」

 ていねいに体を洗い、上品な黒い着物を着せながら、思い出話に花が咲く。

この病棟の看護師さんは、どんな時も明るい。

 

「駐車場で野ざらしになってるボクの車、バッテリーが上がってやしないかな。ちょっと見に行ってくれませんか?」

 Oさんに頼まれてキーを預かり、病院の片隅に停めてある彼の愛車へ。エンジンをかけて、広い駐車場をひと回りする。八ヶ岳山麓に移住して20年、奥さんを乗せて、紅葉の名所をあちこちドライブして回ったという。

 ひと月前、この車を運転して病院にやってきたOさん。今はもう、廊下を自力で歩くことができない。

「あぁ、とうとう車いすになっちゃった…」

 彼のつぶやきを聞いたときは、返す言葉がなかった。

 

 病棟の仕事を早めに終えた日は、患者さんの個室を訪ね歩く。夕暮れのベッドサイドに座っていると、天井を見つめながら、今の思いを聞かせてくれる。

「緩和ケアに入る時に死ぬ覚悟はして来たつもりだけど…検査で腫瘍マーカーの数値が悪いと、やっぱり落ち込んじゃうよ」

「可愛いがってる姪っ子が、会社をリストラされちゃったの。私に子どもはいないから、貯金を彼女に遺してあげたい。それだけが気がかり」

「どうして、オレの体はこんなになっちゃったんだ!」

「今までさんざん好き勝手やってきたから、天罰が下ったのかな」

塩辛が大好きなFさんから聞いた生前最後の言葉は、ただひと言、

「お世話になりました」

だった。



2022年12月24日

ひとりだけ霧の中

 

 すごい寒波がやってきて、各地に雪を降らせた。

 こういう日にマスクをして外出すると、呼気ですぐメガネが曇る。

 でも最近は、マスクをしなくてもメガネが曇る。

 それも、なぜか右側だけ。

 メガネを外して拭こうとすると…

 ぜんぜん曇ってない。

 …曇っていたのは、実は自分の眼のほうだった。

 

 手で左眼を覆い、右眼だけで周囲を見ると、まるで霧がかかったよう。「近眼の度が進んだ」なんていう、生易しいもんじゃない。近くも遠くも、全くピントが合わないのだ。

 このことに気づいたときのショックといったら!

 この先、もし左眼まで悪くなったら、クルマを運転して旅行に行けなくなる。本も読めない。きれいな景色も見られない。きれいな女の人も…

 いやいや「撃墜王」坂井三郎は、空戦で片眼の視力を失う重傷を負いながら、その後もゼロ戦を繰って終戦まで戦い続け、天寿を全うしたじゃないか。

 心は千々に乱れた。

 

 こういう時、職場が病院だと便利だ。わざわざ通院しなくて済む。

 仕事の合間に、アポなしで眼科へ。受付だけ済ませて5階の病棟で働いていたら、診察の順番がきたと内線で知らせてくれた。

 問診の後、瞳孔を開く目薬を差し、眼に強烈な光を当てられる。

やがて向き直った男性医師が、そっけない口ぶりで言った。

「まだ若いけど…白内障です」

「簡単に治す方法はありません。手術することになります」

 な…なんちゅう言い方するねん!

 

 思い当たるフシは…大ありだ。日本の雪山やヒマラヤを、ろくにサングラスもかけず、眼にガンガン紫外線を浴びながら登ったせいだろう。自業自得。

でもまぁ医者になんと言われようと、これは考え得るベストシナリオだ。白内障は、手術で治る。医療が整わない一部の国では、いまだに白内障で失明する人もいるらしいから、日本に生まれたことに感謝したい。

 

「ぼくずっと手術室で働いてたけど、50代の白内障は珍しくなかったですよ。術後はみんな『世界が明るくなった』って」

 心優しきは、ヤマモト看護部長。

「白内障の手術で、ついでに近眼も治らないかって? そんなことはないわねぇ。ただ元に戻るだけよ」

 クールなリアリストの、マルヤマ看護師長…



2022年12月17日

秒速パンチを浴びる

 

 今年の師走は、雪が来るのが早い!家と市街地を結ぶつづら折りの山岳路は、もう完全な雪道だ。

気温が氷点下になる早朝や日暮れ時、路面は凍ってツルツル滑る。ハンドルを握る手に全神経を集中させながら、通勤する。

さらに、いつも平和な緩和ケア病棟にも、ちょっとした異変が。

新しく入院してきたTさんは、寝たきりの体勢から、誰彼かまわず秒速パンチやキックを見舞う特技の持ち主だった。

さらに、長く伸びた爪で、我々の腕を思い切りつねる必殺技も繰り出す。

看護師さんと2人がかりで、両手を押さえて爪を切る。これでTさん最大の武器を除去!と安心していたら、風呂場で彼女の右ストレートが、ものの見事に私の顔面にヒット。かけていたメガネが、すごい勢いで空中を飛んでいった。

戦い済んで日が暮れて…

もはや家に帰る気力も失せ、「全国旅行支援」で安く泊まれるビジネスホテルを渡り歩いてます。

 

サッカーW杯で、ドイツに続いてスペインまで破った日本代表チーム。その主将を務めたのが吉田麻也選手だ。前は優しそうな顔をしていた気がするが、今や声を掛けるのも憚られるような、威厳に満ちたオーラを放っている。

ロンドンでヘッジファンドを運営する浅井将雄氏は、吉田選手と親交がある。吉田選手が重ねる驚くほどの努力の日々を、浅井氏が日経ビジネスで証言している。

・今は自分の言葉で英語インタビューに応じているが、英国に来たときの彼は何一つ英語を話せなかった。必死で英語習得に取り組み、練習後に毎日最低2時間勉強していた

・2年前にイタリアのサンプドリアに移籍をした際には、今度は毎日4、5時間イタリア語を勉強し、4カ月後にはイタリア語を話した

・こうして現地の言葉でコミュニケーションができるからこそ、欧州のクラブチームで主将や副主将を任されている

・体のケアに対する意識も非常に高い。私の家に遊びに来ると、まず「ジム貸してください」と2時間トレーニングをして、プールで1時間クールダウン、最後にマッサージ、そしてようやく「焼き肉を食べに行きましょう」となる

・イタリア・セリアAのサンプドリアでの食事は基本パスタだが、吉田選手は3年前からグルテンフリー。小麦粉を摂らず、水も冷やさず、常温の水しか飲まない。内臓まで強くしないと、試合で走りきれないと考えている

 

サッカー選手として大ベテランの部類に入る34歳の吉田選手が、今なお続ける不断の努力。いや、励みになるなぁ。鼓舞されるなぁ。

危険なTさんのパンチをかわすために、自分も不断の努力をしなければ。
まずは軽快なステップを踏みながら、ホテル周りをジョギングだ!




HIKIKOMORI

  不登校や引きこもりの子に、心理専門職としてどう関わっていくか。 増え続ける不登校と、中高年への広がりが指摘されるひきこもり。 心理系大学院入試でも 、事例問題としてよく出題される。 対応の基本は、その子単独の問題として捉えるのではなく、家族システムの中に生じている悪循...