自分に残された時間が短いとわかった時、人はどんな本を持って緩和ケア病棟に向かうのだろう。
妻は最初、歌人・穂村弘の軽妙なエッセイ集を持って入院した。
でも途中で、
「やっぱり人生最後の読書が穂村さんじゃねえ」
と言って、20代の頃から愛読してきた村上春樹を手元に置いていた。
504号室の主、ヤスコさん(70代・女性)の枕元には、分厚い「会社四季報」があった。
ずっと小遣いで日本株の売買をしてきたという。
「個室代もかかることだし、入院費用ぐらい稼がなくちゃ! でも、あんまり読む気にならないのよね」
元公務員のOさん(80代・男性)がアマゾンで取り寄せたのは、
「牛乳とタマゴの科学~完全栄養食品の秘密」
自身は五分がゆさえ喉を通らない病状だったが、それでも、がんばって栄養ドリンクを飲んでいた。
そのOさんは、ある日の明け方に亡くなった。
「夫は最後まで『絶対に退院するんだ』と言ってたんです」
駆けつけた奥さんが、しんみりした口調で教えてくれた。
高校の社会科教師だったIさん(90代・男性)が手にしていたのは、斎藤茂吉の「赤光」。
私が何げなく「あ、赤光ですか」と言うと、
「あなた、赤光をシャッコウと読めるなんて大したものです!」
思わぬ賞賛を受けた。
「五七五七七で余白が多いから、この体でも読めるかと思いましてね」
しばらくして、奥さんに持って来させたのが
「戦艦大和~生還者たちの証言から」(岩波新書)
でもあまり面白くなかったと見えて、
「あなたに差し上げます」
途中でほっぽり出していた。
その代わりに、Iさんが熱心に読み始めたのが
「西遊記」 全10巻 岩波文庫
すごい勢いで、もう4巻めに入った。
たとえベッドで管につながれていても、毎日が孫悟空。
Iさんの心は、雄大な大陸を飛び回っている。
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