2018年6月30日

眠り姫の行き先は②


 ミホちゃんを迎えに、障害児の預かり施設へ。

ファミリーサポートで、ママが働く病院まで送り届ける日だ。

 今日の彼女はご機嫌ななめ。先生に靴を履くよう促されて、いつまでもグズグズしている。

 施設を出たとたん、背負っていた赤いリュックを投げ捨てた。駐車場とは反対の方に、猛然と歩いていく。リュックを拾って後を追った。

 おぼつかない足取りながら、踏切を越えて、田んぼの中の一本道をずんずん進む。名を呼んでも振り向きもしない。

 ミホちゃんを病院に送ってから、デイサービスのお年寄りを送迎する仕事が入っていた。出社時間が迫る。

「ミホちゃん・・・もう帰ろうよ」 「やだ!」

 NOという時のミホちゃんは、NONという時のフランス人並みに毅然としている。拒絶の意志を言葉だけでなく、小さな体全体で表現する。

 手を引くと、その場に座り込んでしまった。引きずられても、がんとして動かない。

 仕方なく抱き上げて、全身全霊で泣き叫ぶミホちゃんをクルマまで運んだ。

嫌がる幼女を連れ去る怪しい中年男の図。

昼寝が足りない日のミホちゃんは、たいてい不機嫌だ。お絵描きのための色鉛筆を、車内にばらまく。車検証や保険証を見つけ、クシャクシャに丸めて投げる。

今日は輪をかけてすごかった。窓を開けて、ボールペンその他、目につくものを車外に投げ捨てている。

ミホちゃん今日はごめん。なんとか機嫌を直してもらおうと、彼女が好きな歌のCDをかけた。すると、すかさず横から手を伸ばして最大音量にした。

まるでカーステレオを大音響で鳴らして走る暴走族だ。でもかかる曲は、「となりのトトロ」や「アンパンマン」。

隣の車の女性がギョッとしていた。

大学で児童心理、発達心理を学んだ妻にミホちゃんのことを話したら、「もしかしたら施設の先生が厳しくて、帰りに発散したいのでは?」という。

なるほどそういう目で見ると、行動の辻褄が合う。

そして「この際、ミホちゃんにとことんつき合ってくれば?」と。

数日後。ミホちゃん以外の予定はすべて白紙にして、万全の態勢で施設へ。今日は地の果てまでも、散歩につき合うぞ。

あれ? こういう日に限って、脇目も降らずに助手席に乗り込んだ。

施設で水遊びをしたらしく、濡れたままの水着や水泳帽、タオルをビニールから取り出すと、得意げな顔で、運転する私の足に並べ始めた。

Saigon, Vietnam
そして、すやすや寝息を立てて寝てしまった。

私の足は物干しざおか? 水がパンツまで沁みてきた。20キロを抱っこした背中も痛む。

でも彼女の寝顔を見ていると、本当に心が洗われる。

 魂が、浄化されていく。




2018年6月23日

世界の大家さん



 ちょうど30歳のとき、阪神大震災が起きた。

 取材で神戸市内の私鉄駅に降り立つと、全てが斜めだった。

 駅前広場に面したビル、マンション、民家や電柱が、軒並み大きく傾いている。一見無事に見える建物も、よく見るとわずかに傾いている。

 地面から直角に立つものが何もない世界は、とても不安な気持ちにさせた。

 この時、「家を買うのだけはやめよう」と思った。



 その後も仕事で、新潟県中部地震、スマトラ沖地震、パキスタン北部地震、中国・四川省大地震、東日本大震災の現場を歩いた。あらゆるものを根こそぎにする、津波の威力を目の当たりにした。

「家を買うのだけはやめよう」との思いの強さは、いまや鉄壁だ。



 報道カメラマンとして似たような風景を見ているはずの同僚は、意外にもマイホーム派が多かった。結婚して、当たり前のように家を買う。

 勇気あるよなあ。



 江戸の町民は、もっぱら長屋などの借家暮らしだった。木と紙でできた日本家屋は、すぐ倒れたり燃えたりする。買うより借りた方が合理的だ。

 自分は江戸時代のメンタリティから脱していない。



 ずっとマイホームとは無縁の暮らしだが、REITは持っている。

REITは、ショッピングモールやオフィスビル、マンションなどの不動産を小口に切り分けて証券化したものだ。ネット証券で簡単に買える。



 私が持っているREITは、アメリカ、カナダ、ドイツ、イタリア、フランス、オランダ、スペイン、ベルギー、アイルランド、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、香港、シンガポール、イスラエルなど海外の不動産。



 数年前に新興国REITも買ったので、メキシコ、ギリシャ、トルコ、ポーランド、マレーシア、タイ、台湾、南アフリカの不動産だって持っている。



 しがない借家暮らしの仮面を被った、実は世界の大家さん。

Saigon 2018


 しょせん私の資金力では、「アメリカの高級コンドミニアムのキッチン床タイル3枚分」とか「南アフリカのスーパーマーケットの男子トイレ個室1個分」しか買えていないと思う。

 でも毎年数パーセントの配当がもらえるし、壮大な空想ができて気持ちいい。


2018年6月16日

昭和の新人 平成の新人


 生活保護の子たちの学習会を手伝いに行ったら中2のリョータ君が連立方程式を教えてくれと言い、40年前に習ったはずなのに完全に忘れてしまっており、悶絶していたらダイスケ君が見かねて助けてくれた。

ダイスケ君はこの春、大学を出て社会人になった。世間の荒波に揉まれているかと思いきや、やけに血色がいい。

いわく、「仕事って楽なもんですね」

 彼は大手コンビニ・チェーンに入社し、研修を終えて、私鉄沿線の店に配属された。学生時代のバイト先もコンビニだったので、すでに現場はお手のもの。「あいさつの声が小さい!」と、バイト女子を叱って泣かせている。

 新入社員のくせに、もう部下がいるのだ。

 しかも残業はない。残業をしないよう、人事部が見張っている。

「そもそもダイスケ君、キミなんでここにいるの?」と聞くと、今日は有給休暇を取ってきたそうで、会社から有休を取るよう言われているのだそうだ。

もう半年もすれば店長になれる、という。

聞けば聞くほど妬ましい。

私の新人時代は、奴隷そのものだった。「おれが帰っていいと言うまで帰るな」と上司に言われて毎晩残業。休日はいとも簡単に召し上げられた。たまたまそういう会社に当たったのか、そういう業界だったのか、時代のせいなのか・・・

「24時間 戦えますか? ジャパニーズ・ビジネスマン!」

勇ましいCMソングを、悲しく聴いた。



昭和な頃に新人だった私も、最近新しい仕事を始めた。

デイサービスの送迎ドライバーを週2回。

前任者が心臓発作で急逝し、ヒマそうな私に白羽の矢が立った。若い人はやりたがらず、シルバー人材センターからも応募がないと社長のCさんは嘆く。

仕事を教えてくれる先輩ドライバーは70代。デイサービスの利用者は80~90代。高齢者が高齢者を支えている。

気安く引き受けたものの、やってみると難しい。お年寄りの家はたいてい、狭い道の奥にある。Uターンできない袋小路にも3軒。図体の大きな車で、延々とバックしなければならない。

人生も車の運転も、前進は大好きだがバックは苦手だ。

出勤初日にいきなりバンパーをぶつけた。会社の車を傷だらけにして、秋を待たずにクビになりそう。ここが広々としたアメリカの郊外ならいいのに。

この世にたやすい仕事はない。社会人生活は楽勝だというダイスケ君にも、そのうち試練が訪れるだろうか。いや絶対訪れて欲しい。

24時間 働きますか? ジャパニーズ・・・コンビニマン!



2018年6月9日

ニコタマこわい



 東京近郊で小学生の子を持つ親には、子どもの安全を確保すべく、怪しげな人物についての情報が逐一メールで送られてくるという。

 社会学者で一児の母の水無田気流が「居場所のない男、時間がない女」に書いている。

 怪しい人物として報じられるのは、たいてい昼間に住宅地をうろついている男性。「事案」にはこんな内容が多く含まれている。

「児童が道を聞かれた」事案。

「この道を行くと駅ですか?」と尋ねられた事案。

「落とし物だよ!」と声をかけられた事案。

 さらに「道を男性が歩いている」という事案まで。

・・・読んでいて、まるで私のことかと思った。

基本的に職場が居場所とされる年齢の男性が「昼間から」「ぶらぶらしている」という事実は「犯罪」を予期させるとされ、「事案」として警察や自治体に通報されるのだという。

 都心に通うサラリーマンだった私は仕事が不規則で、午後に出勤して夜中に帰宅したり、夕方に出て朝帰りしたりした。だから平日、白昼の住宅地がどんなに疎外感を覚える場所か、当時からよくわかっていた。

3年前に晴れて自由業者になった時、住んでいた二子玉川から一目散に逃げ出した。

こんな所でウロウロしていたら、毎日「事案」化されてしまう。

日本の全就業者に対する自営業者の比率は、2014年に11%まで下がった。全国的にサラリーマン化が進んで、「男性は平日の昼間に居住地域にいない」傾向がどんどん強まっている。

いま暮らす街は、新幹線通勤の大企業社員を除けば、ほぼ東京通勤圏外。地元の人相手に小商いする自営業者も普通にいる。平日の住宅街を歩いても、ピリピリしていない。

ファミリーサポートでよその子をプールや体操教室や空手道場に迎えに行くと、午後4時に本物のお父さんが迎えにきていたりする。

同じくファミサポ依頼で保育園や学童クラブに行けば、6歳のおさげの女の子を「ハイッ」と手渡してくれる。私が品行方正に見えるから・・・ではなく、お母さんが周到に根回ししてくれているからだ。でもうれしい。

 引っ越してよかった、と心底思う夏の夕暮れ。

Saigon Zoo, January 2018

2018年6月2日

マーケットと子どもは・・・ままならない


 新幹線通勤のお母さんから、駅でYくんを受け取る。

 手を振ってお母さんを見送り、Yくんとローカル線に乗って保育園へ。

 道中、自転車の前と後ろに子どもを乗せて、ものすごい形相でペダルをこぐ女性を見かけた。

 2歳のYくんもまた、大人の都合につき合ってばかりだろう。今日はマイペースで歩いてもらおう。手をつなぐのをやめて、彼の後ろから見守った。

 好奇心いっぱいのYくん、あちこちで引っかかる。駅のコインロッカーを開けたり、売店のおもちゃをいじったり、マンホールの穴をのぞいたり。

「これなあに?」「これなあに?」と1分おきに連発しながら右往左往。

 このランダムな動き、何かに似ている。

そうだ! 株価のチャートだ。

 投資家として、長くマーケットに翻弄されてきた。だから予測できない物事には慣れている。ゆらりゆらりと、Yくんの後をついて歩いた。



 一見でたらめな株価の動きも、長い目で見れば法則がある。まともに経営されている会社なら、上下動を繰り返しながら、少しずつ少しずつ値を上げていく。

 ランダムなYくんの動きにも・・・法則が見えた。少しずつ少しずつ、保育園から遠ざかっていくようだ。

 保育園よりお母さんの近くにいたいんだね。

 これじゃ永遠に着きそうにないな。



 夕方、今度は小1のEくんを水泳教室から自宅まで送る。まだ5時前なのに、お父さんが玄関に出迎えた。たしか彼も、新幹線で東京まで通勤しているはず。

「妻が出張で遅くなるので、上司に話して早退しました」

 なんていい職場なんだ。

 会社がワークライフバランスを取り入れたのはごく最近、「高橋まつりさん過労自殺」の後だという。



 最近ある母さんに、ファミリーサポートを引き受ける私のような存在は「最後の砦」だと言われた。この私が「最後の砦」? 現代の子育てに、もう少しゆとりができるといいのだが。



 自由の味を覚えたYくんは、今日も我が道を行く。

 でも保育園と逆方向に行かないよう、しっかり手をつないで誘導する。

 Yくん、自由を楽しむのはまだ早いぞ。おじさんだって、こうして君と徘徊する時間ができるまで半世紀かかったんだ。

 お願いだから、まっすぐ保育園に行ってください。



2018年5月26日

The Top Five Regrets of the Dying②


「イギリス人には50キロ離れた場所は遠くだ」

と、著者ブロニーは驚く。

「オーストラリアでは、パンを一斤買うために80キロ車を走らせることもある」

「最寄りのパブへ行くにも飛行機で行かねばならない」地域まであり、みな自家用機を持っていて、自分の農場に半分酔っ払ったまま操縦して帰るのだそうだ。



 オーストラリアの牧場で生まれ育ったブロニーは、死を悟った時の牛の鳴き声に耐えられなくなり、やがて家族でただひとり、厳格なベジタリアンになる。

 彼女の幼少期は辛かった。「記憶もないような年頃からばかにされ、怒鳴られ、お前は救いようもないと言われてきた」。だから、「私はいまだに家族との関わりを楽しいと思ったことがない」



 大人になったブロニーは「家賃を浮かせるために」、住み込みの介護ヘルパーになる。その後も、旅行などで不在になる家の留守番の仕事をして、その家から終末期の患者の家に通った。

「私は介護の仕事を通じてたくさんの家庭と関わるうちに、程度の差はあれ、衝突のない家庭などほとんどないと知った」



荷物は車に乗せられる分しか持たないという、自由でシンプルな生活。

 でも時には留守番の仕事が見つからずに車で寝泊まりし、困窮してホームレス寸前になる。



「ずっと死にかけている人の周りにいてはだめよ。喜びを取り戻さなければ」臨終間際の苦しい息の下で、そう言ってくれた患者がいた。

彼女自身、「もう少し希望のあるところで、死に直面するよりももっと前に大きく人生を変えたり、成長したりできるチャンスのある人たちの近くで仕事をしたい」と思うようになる。

介護ヘルパーの仕事を辞めたブロニー。余命宣告を受けた人たちとの日々を綴ったブログが評判を呼び、やがて本になって世界中で出版された。現在は自然に恵まれた環境で、文章を書いたり作曲したりしながら生活している。



読書はいつも、知らない世界と知らない人生を垣間見せてくれる。

 私もひたすら「自由であること」に憧れて、今までそれなりにいい線いってるつもりだったが・・・

この人には負けた。

Saigon Zoo, January 2018

2018年5月19日

The Top Five Regrets of the Dying


「死ぬ瞬間の5つの後悔」~The Top Five Regrets of the Dying~ 新潮社

 著者ブロニー・ウェアはオーストラリアの女性。銀行などで働いたのち、家賃を浮かせるために住み込みの在宅介護ヘルパーになる。

「正しい手の洗い方と、移動介助のやり方の実演を見せられただけ」の研修を受けて、ブロニーは終末期の患者の家に派遣される。そして、たった一人で患者たちと向き合い、その最後を看取っていく。

「私はルース(患者)を自分の祖母と同じように扱っていた。それ以外のやり方を知らなかったのだ」

 死を前にして、人は何を語るのか。ブロニーがベッドの脇に座って聞いた、5つの後悔の言葉。

1 自分に正直な人生を生きればよかった

「いい、ブロニー。死を迎えようとしている私に約束してちょうだい。どんな時も自分に正直でいること。他人に何を言われても自分の望み通りに生きる勇気を失わないことを」(横暴な夫との辛い結婚生活を送ったグレース)

2 働きすぎなければよかった

「私は怖かったのだ。怯えていた。ある意味、地位が私の価値を決めていた。こうして死を控えてここに座っている今は、良い人間でいることだけで、人生には十分以上だと思っている。我々はなぜ、物質的な成功で自分の価値を計ろうとするのだろう」

「他人にどう思われるかなんて気にしなければよかったんだ。どうして死が迫ってくるまでわからなかったんだろうね」

3 思い切って自分の気持ちを伝えればよかった

「愛している人にはそれを伝えるべきよ。感謝しているというべきなのよ。相手がその率直な言葉を受け止めてくれなくても、期待とは違う反応をしても構わない。伝えたことが大事なんだから」

4 友人と連絡を取り続ければよかった

「日々の生活に流されないで。その人たちの居場所がわからなくならないようにして」「弱いところを見られるのを怖れないでね。私は自分のひどい姿を知られたくなくて、ずいぶんと時間を無駄にしてしまったから」

5 幸せをあきらめなければよかった

「今は1日1日を贈り物のように大切に感じるのよ。いつだって毎日は大切だったんだけど、こうして弱ってからは毎日の暮らしの中にどれだけたくさんのすばらしいことがあるかがわかるようになったのよ」

「人はみなたくさんのことを当たり前だと思いすぎている」

「いい人生だったよ・・・いい人生だった」(長男をベトナム戦争で、長女を交通事故で、次男を心の病で亡くし、愛妻も40代で病死したレニーの最後の言葉)

 最期を迎えた人々が一番大切だと思うのは、愛する人をどれだけ幸せにできたか、自分は好きなことにどれだけの時間を費やせたかだ、と著者は書く。

 これらの言葉を忘れないでいたい。でも自分は、絶対に何かを後悔しながら死ぬんだろうな、と思う。


HIKIKOMORI

  不登校や引きこもりの子に、心理専門職としてどう関わっていくか。 増え続ける不登校と、中高年への広がりが指摘されるひきこもり。 心理系大学院入試でも 、事例問題としてよく出題される。 対応の基本は、その子単独の問題として捉えるのではなく、家族システムの中に生じている悪循...