2023年6月30日

ゼロで死ぬ

 

病棟に、ネコが現れた。

余命数週間の患者さんへの、うれしい見舞客だ。

先日は、家族に抱かれたワンちゃんも来た。

ヒトにさえ厳しい面会制限を設ける病院がある中で、ウチの病棟のおおらかさが、好きだ。

 

付き添い家族のために、寝具セットを用意するのは私の役目。でも、臨終が近い患者さんに泊まり込みで付き添う家族は、意外に少ない。

救急救命措置を取らない方針のこの病棟には、心電図の電子音もない。患者さんは、窓から信州の山を望む部屋で、静かに旅立っていく。

人生という大仕事を成し遂げた、穏やかな表情。

最後に心に浮かぶのは、どんな思い出なのだろう。

 

DIE WITH ZERO」 ビル・パーキンス著 ダイヤモンド社

著者は1億ドル超の運用資産を抱えるヘッジファンドのマネージャー。いわゆる富裕層だ。その点を勘案して読んでも共感できたので、中身を紹介します。

・全ての年代の中で、75歳以上の家庭の純資産がいちばん多い。アメリカ人は70代になってもなお、未来のために金を貯めようとしている

・私は人生でいろんな体験をしたいと思っている。でも死んだり、年を取り過ぎてからでは金は使えない。だから「ゼロで死ぬ」ことを目指すべきと考える

・大切なのは、自分が何をすれば幸せになるかを知り、その経験に惜しまず金を使うこと

・何かを経験するのに、必ずしも金はいらない。だが価値ある経験には、ある程度の出費はつきものだ(一生記憶に残るような旅、素晴らしいコンサートのチケット、新しい趣味など)

・モノは買った瞬間の喜びは大きいが、次第にその喜びは減っていく。だが経験から得る価値は時間の経過とともに高まっていく。私はこれを「記憶の配当」と呼んでいる

・現代社会では、勤勉に働き、喜びを先送りすることを美徳とするアリ的な生き方が持ち上げられすぎている。そして、キリギリス的な生き方の価値が軽視されすぎている。キリギリスはもう少し節約すべきだし、アリはもう少し今を楽しむべき

・「人生でしなければならない一番大切な仕事は、思い出作りです。最後に残るのは、結局それだけなのですから」__英TVドラマ「ダウントン・アビー」カーソン執事の言葉

・もちろん、老後の備えは必要。だが、老後で何より価値が高まるのは思い出。だから、できるだけ早く経験に十分な投資をして欲しい

※「DIE WITH ZERO」著者のアイデアは、後半さらに具体的。次回に続きます

Pokhara Nepal, Spring 2023


2023年6月23日

9万ドル vs 933円

 

病院の看護助手として働く私の給料は、時給933円だ。

この4月に昇給したが、それでも県の最低賃金と同水準。

ランチタイムに院内の売店で牛丼弁当とサラダと豆乳を買い、レジで1000円札を出したら足りなかった。

物価高の折、この労働量でこの給料は…

なんだかなぁ、という気はする。

去年までいた病棟では、1日に患者さん20人の入浴介助をすることもあった。夏場はサウナそのものの機械浴室で、けっこうな地獄を味わった。

現在は念願の緩和ケア病棟に配属され、毎日とても貴重な経験ができている。自分の場合は本業が別にあり、この仕事に生活がかかっている訳でもない。

それでも、この時給は腑に落ちない。

 

廊下で会うたび「給料が安すぎる!」と怒るのは、看護助手仲間のHさん。

倹約家の彼女は、毎朝4時に起きて、家族3人分の弁当を作っている。

先日、スタッフ休憩室で弁当を食べているHさんの背中を見かけた。

おかずがなんと、丸い小さなカップ入りの納豆!

なんとなく声を掛けられず、素通りしてしまった。

 

別の看護助手Yさんは、勤続24年のシングルマザー。

ずっとパート待遇だったので、月給はいまだに手取り15万円だという。

この春、病院から退職金名目の一時金が振り込まれた。その額、140万円。

Yさんはこのお金を、うわさに聞く「NISA」で運用してみようと思っている。

 

夕方5時、田畑に囲まれた病院からクルマを飛ばして、森の家に帰る。周りは別荘地なので、いわゆる「富裕層」が多い。

近所の瀟洒なログハウスに住むMさん夫妻の夫は、アメリカ出身の金融アナリスト。シンガポールの大富豪が運営するファミリーオフィスで、専属の投資顧問をしている。

時々、Mさん夫妻に、留守中のドッグシッターを頼まれる。愛犬ジュニパーちゃんのエサは、北海道から取り寄せた鹿肉だ。

最近、夫妻の一人息子が大学を卒業し、ニューヨークのグリーンコンサルティング・ファームに採用された。

社長はタイ人で、初任給は年俸9万ドルだという。

あちらでは、労働市場の入り口に立ったばかりの22歳がもらえる給料が、現在の円ドルレートで月額100万円超!

ニッポン人の賃金、安すぎませんか?

Rolwaling valley, Nepal 2023



2023年6月17日

患者さんの願いごと

 

入院生活も長くなれば、いろいろ不便なことが出てくる。

でも忙しそうな看護師さんに、つまらない用事を頼むのは、どうも気が引ける。

そういう時こそ、看護助手の出番だ。

まめに病室に顔を出してヒマそうにすれば、最初は遠慮がちな患者さんも、そのうち希望を言ってくれるようになる。

 

「ツルヤスーパーのイカの塩辛が食べたい。あなた知らないの?おいしいのよ」(Aさん・80代・女性)

さっそく買って届けたら、1パックを一度に食べてしまった。

食べものや飲みもののリクエストは、他にもバナナ、濡れせんべい、ヤクルト、赤ワインなど。

コロナ禍で家族の面会が制限されていた頃は、特に多かった。

 

「駐車場に停めた愛車のバッテリー上がりが心配だ。その辺をひと回り走ってきて下さい」

と、スバルの新車のキーを手渡してきたのは、80代の男性患者Bさん。自ら運転して入院し、病室では栄養学の本を読んでいた。

再起にかける彼の思いはしかし、ついにかなわなかった。

Bさんが病院の裏口からひっそりと退院した後、しばらく置きっぱなしだった愛車スバルは、いつの間にかなくなっていた。

 

「これ、ぼくが書いた自叙伝。読んだら感想を聞かせて欲しい。口頭なんかじゃダメ、ちゃんと文章でね」(Cさん・80代・男性)

Cさんは地元の銀行で定年まで働き、その後は町会議員を務めた。プライドが高く、奥さんや看護師さんにはきつく当たることもあった。

読書感想文は、小学生の頃から得意だ。お安い御用とばかり、レポート用紙数枚に書いて手渡した。

私と接する時のCさんは、いつも上機嫌だった。

 

「もう長くないから、最後は自宅で過ごしたい。でも夜が寂しいの。お願い、ウチに泊まり込んでちょうだい。何もしなくていいから。1泊3000円払うから。」(Dさん・90代・女性)

Dさんは東京出身。早くに夫を亡くし、ここ信州に移住して、この年齢までずっとひとり暮らしをしてきた。

さてどうしたものか…と思っていたら、その翌週。

「あの時は、思いつきであんなこと言っちゃってごめんなさい」

食べものも飲みものも喉を通らなくなり、帰宅する気力をなくしたという。

「私はここで枯れることにしました」

Rolwaling valley, Nepal 2023


2023年6月9日

持病は高山病

 

「高度5000mで、生まれて初めて頭痛になりました」

この春一緒にヒマラヤ登山をした、母校R大学山岳部の女子が驚いていた。

日常的に偏頭痛に悩む人が多い中、20年も頭痛知らずとはうらやましい。

そういう私も、飲まされて二日酔いした学生時代と、性懲りもなくヒマラヤに行って高山病になる以外、頭痛とは無縁。でもその辛さは、よくわかる。

高山病も二日酔いも、頭痛は相当きつい。あまり同情してもらえないけど。

脳神経外科の権威、森本将史・横浜新都市脳神経外科病院院長によると、昔と生活様式が大きく変わった現代は、脳には非常に厳しい時代だという。

(以下、日経ビジネス電子版に載った森本院長インタビューの要点です)

・電車内で下を向きながらスマホをいじる時、重い頭を首の筋肉だけで支えているので、筋緊張の状態が延々と続く

・さらにスマホは、常に交感神経をオンにさせる。交感神経がオンになると血管を収縮させ、心拍数も上がる。常に興奮状態になっているから、疲れる。こうした要因で頭が痛くなる

・寝る前のスマホもよくない。交感神経が優位になって、睡眠の質が著しく低下する。興奮状態のままで、ぐっすり眠れるわけがない

・脳梗塞の原因は、過度な飲酒や喫煙、高脂肪の偏った食生活、不規則な生活、そしてストレス

・疲れたなと思ったら、必ず十分な休息を取り、適度な運動をする。「何だかダルい」「疲れが抜けない」という状態を継続させてはいけない。ストレスフルな生活を長く続けていたら、いつ脳梗塞が起きるか分からない

・水分補給も大事。細胞の70%は水分なので、細胞をきれいにしておこうと思ったら水分を取るのが一番。酒を飲むときは、水も一緒にガンガン飲む

・動脈瘤の手術を受ける患者の7割は無症状。奥さんに言われて渋々検査を受けたら、破裂寸前の動脈瘤(りゅう)が見つかって即入院、手術という人がいた。40歳を過ぎたら、1度は脳ドックを受けてほしい

・また、コロナ禍で認知症の人が激増している。人に会えなくなってコミュニケーションの機会が減ったのは、脳にすごく悪いこと

・直接人と会って話す時、人は頭をフル回転させている。無意識に相手の表情や声のトーンやしぐさを読んで、瞬時に対応して言葉を選んでいる。いつまでも脳を若々しく保つために、コミュニケーションはとても大切

・といっても、同じことの繰り返しはダメ。母は70歳まで塾の先生をしていたが、それでも認知症になった。他のことはせず、そればかり続けていたから

・常にアップデートしていく気持ちがないと「同じことの繰り返し」になる。好奇心を持ってチャレンジすることが大切

・「分からない」「面倒くさい」という言葉が増えてくると危ない。人間は、分からない、面倒くさいことをしないと頭を使わない

Ramdung Peak BC, Nepal


2023年6月2日

Hさんのこと

 

私が勤務する緩和ケア病棟は、命に関わる重い病気の患者さんばかりだ。

その多くは、わが命が限りあることを、ある程度受け入れている様子。でも病状の深刻さを知らない患者さんもいて、会話には気を遣う。

その中でHさん(70代・女性)は、入院した時から覚悟が決まっていた。

とても印象に残る患者さんだったので、彼女の言葉を書き留めておきたい。

 

「夫は定年後、ずっと家に籠りきりで、どこにも行かないんです。毎日3度の食事を作り、身の回りの世話をしていたら、私がウツになっちゃった」

「だんな様を看取った友人から評判を聞いて、ずっと入院希望を出してたんですよ。窓から残雪の山並みが正面に見えて、ここに来て本当によかった」

Hさんの自宅からこの病院まで、車で2時間かかるという。

「この遠さがいいのよ。簡単には見舞いに来られないでしょ」

「人生の最後ぐらい、夫から離れて自由に過ごしたかった」

花が好きなHさんを車いすに乗せて、病院裏のハーブガーデンに案内すると、とても喜んでくれた。

「ついこの間までは、普通に歩けたのにね。手指までしびれて動かなくなってきたし、下痢も止まらない。放射線治療の後遺症かしら」

もはや彼女は、病院の食事が喉を通らない。家族の見舞いも期待できないので、スーパーでバナナを買って病室に届けた。

「ありがとうございます。毎朝バナナを1本食べたら、今日はもう何も食べなくていいや、と思うのよ」

Hさんの人生の自由時間は、長くは続かなかった。3度めのハーブガーデン散歩では、体をくの字に曲げて、とても辛そう。たった5分で病室に戻った。

ほどなく、話すことさえしんどそうに。

ある朝、夜勤明けの看護師さんに、

「今日は何日? なかなか逝けないのね」

そして、看護師長が必死になって聞き取ったHさんの言葉は、

「お世話になった病院の皆さんに、おいしいクロワッサンを差し入れたい」

ほどなく、彼女の地元の店から、クロワッサンの大箱がナース控室に届いた。

その翌日。付き添いに来たご主人に、かき氷を口に入れてもらったHさんは、彼が席を外したわずかな間に、息を引き取った。

 私の仕事は、主がいなくなった病室で、前の住人が残した痕跡を完璧に消して、ベッドメイクすること。

早ければ翌日にも、新しい入院患者を迎える。

(ずっとヒマラヤの話を書いてきましたが、4月初旬に帰国し、病院の仕事に復帰しています。大変ご心配をお掛けしました!

Rolwaling valley, Nepal 2023


肉食女子

わが母校は、伝統的に女子がキラキラ輝いて、男子が冴えない大学。 現在の山岳部も、 12 人の部員を束ねる主将は ナナコさんだ。 でも山岳部の場合、キャンパスを風を切って歩く「民放局アナ志望女子」たちとは、輝きっぷりが異なる。 今年大学を卒業して八ヶ岳の麓に就職したマソ...