「サコ学長、日本を語る」 ウスビ・サコ著 朝日新聞出版
サコ先生と親しい思想家の内田樹氏によると、「もっと勉強しろという先生はいくらでもいるが、サコ先生はもっとだらだらしろと本気で怒る」らしい。
アフリカ出身で京都精華大学の学長になったサコ先生の、名言、迷言、金言に、いま一度お付き合い下さい。
・日本の教育はダブルスタンダードだ。表面では「平等だ」と言いつつ、自分なりの価値感を持っていたり、形式を重んじたくない子が拾われない。そういう子は、能力や賢さがないわけじゃないのに、「ダメな子」とされる
・平等とは「普遍的な人間を作ること」ではない。平等な機会をどう与えるかが大事。その機会がない子がいるというのは、平等ではない
・小中学校だけでも、不登校が16万人。15歳から39歳までの死因第1位が自殺。日本社会はいったい、どうなっているのか
・世の中には、生まれながらに弱い人も強い人もいる。弱い人を強くするのでなく、弱い人が弱いままに生きられるよう、支えなければ
・私から見た日本の教育は、「今の社会システムや社会構造を維持したい」という中高年の思いに、子どもや学生、若者が巻き込まれている状態
・大人は「早く大学を決めて、早く就職活動して早く就職しないと遅れる」と学生たちの不安を煽るが、人生100年の時代に、いったい何に遅れるというのか。留年してもいいし、卒業後にアルバイトを経験してから就職してもいい
・なんとなく社会に漂っている焦りは、これまで作り上げてきたシステムが失われることに対する中高年の焦りに過ぎない
・常に将来につながることをやっていないとダメだという空気、何かの役に立っていなければ生きられないようなプレッシャー、就職が全てという思い込み。それらと引きこもりや自殺は、全てつながっている
「日本人よ、もっと肩の力を抜こうぜと、私は言いたい」
サコ先生の故郷マリでは、親が先生に賄賂を渡すことがある。「うちの子の成績を悪くして、学校を辞めさせて欲しい」と頼むのだそうだ。
「一生懸命学校に行かせるのでなく、むしろ一生懸命学校を辞めさせようとする。なぜかというと、マリでは多くの人が、学校以外に人間形成の場があるということを知っているからだ」
「教育とは、偏差値でも識字率でもない。
教育は何のためにあるのかというと、個人を幸せにするためである」
京都大学のかなり多くの教授の子息が、京都精華大学で学んでいるという。
Itoman, Okinawa |
0 件のコメント:
コメントを投稿