「サコ学長、日本を語る」 ウスビ・サコ著 朝日新聞出版
著者は西アフリカ・マリ共和国出身。25歳で来日後、1年足らずで日本語を習得して京都大学大学院に入学。2018年、京都精華大学学長に就任した。
最近では立命館アジア太平洋大学が、学長を一般公募して出口治明・ライフネット生命元会長を迎え、日本大学が作家の林真理子氏を理事長にしている。
いくつかの大学が、本気で変わろうとしているようだ。
アフリカ出身サコ学長が感じたWhy Japanese people ? を紹介します。
【学校に期待しすぎる日本人】
日本で長年生活していると、どうしても理解できないこと、ヘンだなと思うことがいくつかある。
まず、学校というものに対する日本の人々の過剰な期待感に、私はビックリしている。なんだかわからないけれど、とにかく日本人は学校が大好きなのだなと思っている。
日々の生活にまつわるあらゆる要素が学校に集結し、人生そのものが学校中心になっている。部活も友だちも、全てが学校にあるため、学校以外のものが考えられないような時間の作りになっているように見える。
部活をやっていた(私の)息子たちも例外なく朝から晩まで学校にいて、好き勝手にダラダラする時間がない。よくそんな生活に耐えられるなと、親として違和感を抱いていた。
しかし日本の親は、「部活に入っているから、余計な趣味に気が散らなくて安心」などと言うのだから、わけがわからない。
それって、逆じゃないの?
義務化されていない時間をいかに有効に使い、その人が人格形成していくか。それが、子どもの教育にとって必要不可欠であるはずなのに、日本の大人たちはそこから手を引いているように思える。
余暇の使い方を学ぶことこそが、人間を作り、個性を作る。それが私の持論である。
【平等をはき違える日本人】
(親は)いかに自分の子を他の子と差がないようにするか。そして個性よりも、いかに自分の子が上位にいるかということを大事に考えてしまう傾向はないだろうか。
わが子を偏差値の高い大学や医学部に進学させたお母さんが、私に耳打ちで報告してきたときは驚いた。
「うちの子、医学部なんです」
なんで小声やねん!
医学部に行きたかった子が医学部に行くのなら、別に「よかったね」と思うし、やりたい子がやりたい道に進んだ、というだけのことであるはずなのに。
Matsumoto City Museum of Art, Japan |
0 件のコメント:
コメントを投稿