370号室④ベッドに、Yさんは寝ている。
おじいさんと呼ぶにはちょっと早い、男性患者だ。
お茶を配りに行くと、眼を見開き、ギロリとこちらを睨んで「いらねぇ!」 ドスの効いた声が返ってくる。
大きなやかんで配るお茶は、「ドケチ病院」(先輩たちの口癖)が用意した、決して上等とはいえない茶葉で淹れてある。おまけにYさんの病室にたどり着くころには、思いっきりお湯を注ぎ足してある。
「いらねぇ」と吐き捨てる彼の気持ちも、まぁわかる。
ところがこのYさん、風呂場で服を脱がせてもらう時やおむつ交換の時も、少しでも気に食わないと大声で怒鳴り、悪態をつく。困った患者だ。
そうは言っても、寝たきりで自分ではトイレにも行けず、目もよく見えないYさんを、先輩はうまくなだめながら、必要なケアを提供する。
でも、医療従事者だって人間だ。感情的になり、言い争いをする場面も見かけた。
そして、ランチタイムの職員休憩室。
「Yさん、今週退院だって」
「わぁ、やったね!」
「いつもお見舞いに来るあの女性、娘さんかと思ったらナイエンノツマらしいよ」
「いったい彼女、どうやって一人でYさんを介護するんだろう」
「私にはぜったい無理!」
「うん、たとえYさんが大金持ちでも、私もムリ~」
果たしてYさんみたいな患者を、等しく愛情を持ってケアすることは可能か?
ドイツの心理学者エーリッヒ・フロムが書いた「愛するということ」。原著のタイトルを“The Art of Loving”というこの本で、フロムは「愛は技術(Art)だ」と言い切っている。ほんの一部だけ紹介すると、
・もし特定の一人だけしか愛さず、他の人々に無関心であったとしたら、それは真実の愛ではなく執着にすぎない。利己主義が拡大されたものに他ならない
・利己的な人は、自分を愛しすぎるのではなく、愛さなすぎる。憎んでさえいる
・他者への愛の原点として、自分への愛が必要だが、自分という存在をもっとも強く拒んでいるのも自分
・自分を受け入れ、許し、寄り添うことができれば、その先に他者を受け入れ、そして人間そのものを受け入れるという道がある
・その道は簡単ではなく、鍛錬を伴う
他人を愛するためには、まず自分を愛せよ、か。
ハイ! それなら自信あります!!
Matsumoto City Museum of Art, Japan |
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