2020年1月25日

野人の独白


地下鉄サリン事件があった、1997年。

同年、サッカー日本代表がW杯初出場を果たした。「ジョホールバルの歓喜」と語り継がれる試合で決勝ゴールを決めたのが、「野人」岡野雅行だ。

20年余を経て、野人が半生を語った。サッカーファンとは言えない人間には、サッカーエリートでない彼の話が、とても面白かった。

(以下、日経グッデイの連載記事より)


「横浜で育ち、いろんな習い事をしたのですが」「どれも続かず、唯一続いたのがサッカーでした」。勉強嫌いで、「僕でも入学できる」島根の私立高へ。

「都心に比べてライバルも少ないし、全国サッカー選手権にも出やすいとも思いました」。ところが・・・

「入学後、サッカー部がないことに気づきました」。退学して横浜に帰ろうかとも思ったが、「理事長に直談判して」サッカー部を作ってもらった。

「全国から不良少年たちを集めてスパルタ教育を施す」学校だったので、

「『けんかだったら東大クラス』のやんちゃな生徒ばかり」が集まった。

「試合をすると相手チームとの小競り合いが始まり、試合を放り出してつかみかかったり、罵倒しあったり」「最初は20点以上の差をつけられての大敗が続きました」。それでも1年生の野人が、やんちゃな先輩たちを懸命に教えた。

「同点で試合を終えた時は、うれしくて部員みんなで大泣きしました」

大学サッカー部でも、最初は洗濯係だった野人。100m10秒7の俊足を生かしてプロ選手になり、97W杯予選では日本代表に選ばれた。だがチームは勝ち点を取れず、加茂監督は更迭されてしまう。

「緊張と重圧と腹立たしさ、そして疲労で、レギュラーメンバーは次第に口数が少なくなり、ピリピリした雰囲気が漂っていました」

「ただ僕だけは元気でした。監督が使ってくれないので」

「起用されない理由を岡田監督に聞きに行きました。その答えは『お前は秘密兵器だ』。真剣な顔で言われたので、単純な僕は納得して部屋に帰りました」

「その後も秘密兵器が使われることなく、やきもきしながらふてくされていた」


「僕が出場し、万が一ゴールを決められなかったら」「嫌な汗をかき、生まれて初めて『試合に出たくない』と、サッカーを恨んでしまった」

「でも、同点のままゴールデンゴール方式の延長戦に入り、岡田監督に『岡野、来い』と呼ばれてしまいました。『入れてこい!』と一言だけ声をかけられ、押し出されるように白線を越えてピッチに入りました」

緊張でシュートを外しまくる野人に、チームメートが駆け寄る。

『「大丈夫だ』『お前のせいじゃない』と励まし、背中をたたいてくれました」

 そして延長後半、ヒデが打ったシュートの跳ね返りが、目の前に転がってきた。懸命に、右足を当てる。悲願のゴールが生まれた。

「うれしかったです、これで日本に帰れると思った」

「あんな経験、もう二度としたくないですが……



 野人はいま、J3チームのGMをしている。長髪をばっさり切り、スーツとネクタイに身を包んで、スポンサー集めに奔走する毎日だという。


Tateshina, winter 2019

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