出家僧のようなスキンヘッドの、ビルマの竪琴さん。
竪琴さんは私同様、50歳前後で会社を辞めて、名実通り?ミャンマーに渡った。その後日本で何度か会ったきり、ずっと消息不明になっていた。
「おととい9か月ぶりに帰国したよ。王将のギョーザはおいしいね~」
ひょっこり姿を現した竪琴さん、ずっとネパールやインドを放浪していたらしい。昨冬は、富士山より高いヒマラヤの村で暮らしていたという。
車道の終点から歩いて1週間、プロペラ機が離発着する小さな飛行場からでも、徒歩2日かかる。そんな村の、トイレもシャワーも、暖房さえない石組みの空き家を借りて、5か月間。
「一体全体、そこで何してたんですか?」
「特に何も・・・ただ生活してただけ」
私も正体不明の人に見られることがあるが、この人は完全に解脱している。
標高3800メートルの村の朝は、室内でも気温マイナス6度。竪琴さんは物置で見つけた、過去の登山隊が残していった寝袋にくるまり、子猫を胸に抱いて、ひたすら部屋の空気が太陽で暖まるのを待った。
ネットはつながらない。本さえ持参しなかった竪琴さんは、湯を沸かして紅茶を作り、日がな窓からヒマラヤの雪景色を眺めて過ごした。勝手に入ってくる近所の女の子(3歳)が、話し相手だったという。
家にトイレがないので、日が暮れてから外の畑で用を足す。ついでに坂道を30分ほど登り、峠に出る。その彼方には、世界最高峰エベレスト。
月明かりに照らされて、黒々と佇んでいる。
竪琴さんは2~3週に一回、バザールが開かれる大きな村へ買い出しに行った。エベレスト街道沿いのその村は、外国人トレッカーで溢れていた。
欧米人の他に、最近は中国や東南アジア、地元ネパール人客も多い。現地では「日本人は短い休みに無理やり来て、高山病で死にそうになって歩いているから、ひと目でわかる」と言われている。
ここではカフェが軒を連ね、スターバックス(の豆を使った)コーヒーも飲める。その賑わいとは逆に、竪琴さんが滞在したような周縁の村は、空き家だらけになっている。
村の男たちは、主に北欧へ出稼ぎに。登山道作りが得意な彼らは、豊かな国の自然公園に仕事を得て、海を渡るのだ。
その子ども世代は、英語圏に留学する。クルマも通らない寒村は外国人相手に稼いで、意外にリッチなのである。
村を出たシェルパ族に代わってひと儲けしようと、低地に住む他部族が外国人の道案内をするようになった。その挙句に山岳ガイドが高山病に罹るという、笑えない事態になっている。
こんな話をしてくれた竪琴さん、今頃はどこの旅の空・・・
Tateshina, summer 2019 |
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