部下の管理を生きがいとする上司に仕えるのは、とても大変だ。
だが私の東南アジア赴任時に上司だったHさんは、部下を管理しようという気が、毛ほどもない人だった。
支局長室のドアを開け放ち、いつもソファに大の字で寝ている。おもむろに起き上がったかと思えば、今度はパソコンで将棋のネット対局。
「カネがない」が口癖で、屋台で買う1本のトウモロコシが、彼のランチの定番だ。日が傾くと急にソワソワし始め、「じゃオレ帰るから」と言い残して、アジア最大の歓楽街の方角に消えていく。
まだ5時前なんですけど・・・
一度、ゴーゴーバーに連行された。ランウェイ上では半裸の美女たちが、腰をくねらせて踊る。そのひとりが舞台を降り、するりと私に身を寄せた。
思わずボーっとなっていたら、BGMの大音響に負けないHさんのだみ声が飛んできた。「おいミヤサカ気をつけろ! そいつはオカマだ」
Hさんのベトナム出張にお供した時のこと。「今度こそミヤサカに夜遊びを教えてやる」行きの飛行機の中から張り切っている。
生まれてこの方、早寝こそこの世の楽しみとする私だが、今度ばかりは逃げられない。目的の「ドイモイ20年」取材も終わり、とうとう日が暮れた。
絶体絶命と観念したまさにその時、臨時ニュースが流れた。
「インドネシア・ジャワ島で大きな地震、津波も発生している模様」
「すぐ現地に向かいます」すかさず、空港行きのタクシーに飛び乗った。
率先して私を送り出す職責のはずのHさん、なぜかとても残念そうだった。
やがて帰国した私は会社を離れ、Hさんも定年退職。いつしか、年賀状のやり取りだけになった。先日、突然ケータイが鳴った。
例のだみ声で「元気か?来週そっちに行くから」。
何年ぶりかの再会。聞けばHさん、自宅を改造して書道教室と学習塾を開き、毎日子どもに教えているという。
「死んだオヤジに、本当は新聞記者でなく、書の道を究めて欲しかったと言われたのを思い出してね。相変わらずカネはないけど、精神生活はとても充実してるよ」。夫妻で俳句を詠み、ゴルフの腕も磨いている。
長くサラリーマンをすると、「○○会社の社員」というペルソナが体に染みついてしまいがちだ。Hさんは軽やかに転身した。
「Hさん、国際報道記者30年のハイライトはいつでしたか?」
「うん、アジアもアメリカもよかったけど、やっぱり最後の転勤で行った九州だな。何しろ週3でゴルフに行けたから。『今度東京から来たえらい人はゴルフの話しかしない』って、うわさになってたらしいぞ。ハハハハハ!」
たった1年半だが、Hさんの下でのびのび働けた日々が、私にとっては間違いなく、会社時代の黄金期。
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