2019年3月9日

聞き書き・隠岐の島の記憶


 移送ボランティアで初めて野津さんを乗せたのが、一昨年の秋。この春まで断続的に、一人暮らしのアパートから病院まで車で送迎した。

 チャイムを鳴らしてかなり経ってから、眠そうな顔で出てくる。今日が通院日であることを、完全に忘れている。病院では週1回、輸血をしている。

ケアマネジャー作成の書類には「積極的な治療は望まない」とあった。

「キミは誰? 目がよく見えないから、人の顔も覚えられない」

 と言いつつ、私のことは覚えた様子。機嫌のいい時は、問わず語りに身の上話をしてくれた。

「終戦の前年に日本海の隠岐の島で生まれた。男ばかり6人兄弟の3番目で、上の兄2人は腹違い」「戦後しばらくは食糧難で、芋づるばかり食べていた」

「毎年、正月を迎える準備が大変で、しめ縄飾りも手作り。今になって、おふくろの大変さを思うことがある」

「夜、忍び足でよその家のミカンの木に登った。こたつの上のミカンはうまくない。盗んで食うからうまいんだ」

「中学の3年間は山を越えて、片道2時間の道のりを歩いて通った」「18歳の時、集団就職で東京に出た。最近、ふるさとの夢を見る。いい夢ばかり」

「石油卸の会社に就職して、横浜や大阪、札幌で営業マンとして働いた。若いころは寮生活で、毎晩飲み歩き、競馬もやった」「定年後、2種免許を取ってタクシーの運転手をした。目が見えなくなり、怖くなってやめた」

「離婚した妻と娘が、東京郊外に暮らしている。晩婚だったから、娘はまだ30半ばのはず。でもずっと音信不通」「寂しいと思う時もあるけど、一人暮らしの自由がいちばんだ」

「今日は水曜日? 部屋に時計がない。おれの腹時計だけ。1日中、雨戸を閉め切ってるから、天気もわからない」

「週3回デイサービスに行って、週3回ヘルパーが来て、今日が病院。おれが孤独死しないよう、ヘルパーが計らった」「デイサービスに行っても個室のベッドで寝ているから、ほとんど人と話さない」

「食事は朝晩、コンビニのおにぎりに湯をかけて食べている」「近所には蕎麦屋さえない。段差で転ぶのが怖くて外出できない。かつ丼が食べたい」

 最近、野津さん得意の問わず語りが出ない。体調が悪そう。この前も手のひらで頭を叩きながら、病院までずっと黙り込んでいた。財布を探すそぶりをするので、「お金は帰る時でいいですよ」と声を掛けて、後ろ姿を見送った。

 そのまま入院することに。ケアマネのKさんが、「お代は必ず踏んだくってきますから」。ケアマネやヘルパーなど、女性陣からは嫌われていたようだ。

 そして3週間後、野津さんは天国へ旅立った。

亡くなる前、別れた奥さんと娘が、病室に会いに来たという。

Shimoda Japan, spring 2019



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