2019年3月30日

ジジイの壁


 社会学者の河合薫が、「日経ビジネス」に記事を連載している。

 河合がいつも言うのは、日本には「ジジイの壁」が存在するということ。

 最近の記事では、ピルを取り上げている。日本でピル(経口避妊薬)が承認されるのに、実に44年かかった。

立ちはだかったのが「ジジイの壁」。重大な副作用はないという証拠が示されても、変化を拒み、責任回避を優先する“センセイ”方が、執拗に抵抗した。

その反面、バイアグラは、「夢のような早さ」で承認された。

申請から、たったの6か月。

もらったバイアグラを服用した日本人男性数人が死んだのに、だ。

センセイ方の都合の良さには、笑うしかない。

そして、多くの国で市販されているアフターピル(緊急避妊薬)は、国内では医師の処方箋がないと買えない。

72時間以内に飲まないと効果がないのに。

河合は問う。「バイアグラにはカンヨーなのに、女性にジンケンはないのですか?」

ちなみに、ピルが1960年に認可され、やがて既婚女性の半数がピルを飲み始めたアメリカでは、その後「静かな革命」が起きたという。

自分で妊娠をコントロールできるようになった女性たちが、MBAなど大学院への進学を選ぶようになり、どんどん専門的職業に就き始めたのだ。

20代女性が妊娠を1年遅らせると、生涯賃金が10%上昇するという研究結果もある。子どもを産む前に勉学を終わらせ、キャリアを確立するメリットは、それほど大きい。

要するに人間は「自分で決めたい」のだ、と河合は言う。

「自分で自由に決める権利がある」ことが、人生の満足度を高める上で非常に重要である、と。



 いまだに日本では、自由にキャリアを選ぼうとする女性たちの前に、無数の「ジジイの壁」が立ちはだかっているように見える。

 医師になりたい女性に対して、「女だから」という理由だけで、受験で不利に扱う多くの医科大学。きっと学内に、とんでもなく高い「ジジイの壁」があるのだろう。東京医大は、あわてて女性を学長にしたようだが。

 河合は、小中学生時代を海外で過ごした。自分と境遇が似ている。

中年男である自分でさえ、組織や社会でしばしば感じる「ジジイの壁」。

きっと彼女の目には、モンスターのように大きく見えていると思う。


2019年3月23日

What's going on?


 2年ほど前、鎌倉の寺で「マインドフルネス」の手ほどきを受けた。

 参加者は20人ほど。一緒にパーリ語の礼拝文を唱え、法話を聞く。

そしていよいよ、座禅を組んで瞑想だ。

 その時になるまで、あぐらをかけないことを忘れていた。恐ろしく体が硬くて、地べたに座って開脚しても45度も開かない。足を組むと、後ろにひっくり返る。

 それでも必死に、あぐららしき姿勢を作った。座禅が始まって10分、早くも股関節が痛い。狭い空間に人がひしめいていて、足を崩せない。腹筋に力を入れて必死に堪える。

脂汗にまみれた90分間が、永遠にも感じられた。

 痛みのあまり、まったく雑念が入らなかったから、瞑想は半分成功だったのかも知れない。

 いや違うか。

 このマインドフルネス、世界の企業で盛んに取り入れられている。グーグルやフェイスブックで座禅を指導した曹洞宗僧侶・藤田一照のインタビューが、ハーバード・ビジネス・レビューに載っている。

 マインドフルネスとは、禅やチベット仏教、南方仏教などを学んだ人たちが、それをアメリカ流に仕立て直したものだという。

 だが「米国ではそもそも、無心という発想が受け入れられません」「我を強くすることに皆、熱心で、そこに疑いを持っていませんから」「それは仏教の方向とはまったく異なるものであるということです」

 それでは、仏教的なマインドフルネスとは?

 本来の座禅は「エゴからの出力をやめて、純粋に受信する姿」だという。「思考も、自分にとって都合のよいアイデアをひねり出そうとするのではなく、その時の条件で雲のように浮かんでくるまま、消えるままにしておく」

 だから「仏教的なマインドフルネスは、生かされているという事実を細やかに知るための観測装置です」「すると、自分でコントロールできないことを、無理やりコントロールしようとしていることに気づきます」

 孤独感と向き合う際にも、「余計な意気込みはいりません。淡々と、”What’t going on?” と問いかければいい」「落ち着いて孤独という病をきちんと経過させる。そうすれば前よりも成長できる」

「人は生かされていることをすぐ忘れてしまう。私が生きているというところだけを見て、もっとよい人生にしたいと思う」「この自己中心性が孤独感の源です」

そして、「究極の幸せとは、理由なく幸せということです。条件があって幸せだと、その条件を取り払われたら不幸せになる」「存在していること自体が幸せでありがたいこと」「生きているだけで儲けもの」

 生きているだけで、儲けもの。

願わくは、座禅を組まずにこの境地に至りたい。

Izu Japan, spring 2019

2019年3月16日

社員旅行の効用は?


 平成元年、新卒で日本企業に入った。社内は、昭和の香りに満ちていた。

 そのひとつが、社員旅行の存在。職場の先輩は社員旅行を「全舷」という、旧日本海軍の用語で呼んでいた。そうとう時代がかっている。

 ただでさえ年間休日が90日だった当時、2日も召し上げられて上司の酔態に付き合うのは、苦行そのものだった。

昨年、「ハーバード・ビジネス・レビュー」(以下HBR)が「職場の孤独」という特集を組んでいる。

「企業が開催する強制参加の交流イベントは、うまくいっても参加者は居心地が悪く、下手をすれば疎外感を感じる」(ウェイツ・ノースウェスタン大准教授)

 どうやら欧米企業にも、強制参加の交流イベントがあるらしい。

「従業員を家に帰して、家族と一緒の時間を過ごさせよう。バーに行ったり、ティンダー(出会い系マッチングサイト)をチェックさせたりしよう」

「楽しみを強制するのでなく、休日を与えて従業員の社会的生活が充実するのを見守れば、彼らの孤独感は消え去るだろう」と、その論文は結論している。

 社員旅行がとっくに廃れた日本は、時代の先端を行っているのだろうか。

 HBRが特集したように、いま「孤独」が世界の課題になっている。アメリカ人の4割が孤独を感じている。イギリスは「孤独担当大臣」まで作った。

 孤独はあくまで個人の主観・・・のような気もするが、HBRによると「115本のタバコを吸うのと同じぐらいの悪影響」を人体に及ぼし、死亡リスクが26%高まるというから侮れない。

 多くの時間を過ごす職場で、「同僚はたくさんいるにも関わらず、全員がコンピュータを見つめているか、人間的な触れ合いのない会議に出席している」という状況が、孤独を蔓延させている。

 予防医学者・石川善樹が寄せた論文では、「職場での孤独感が強い社員ほどパフォーマンスが低く」「ある実験で参加者に孤独感を抱かせた結果、論理的思考能力の低下や、他者に対する攻撃性が見られた」という。

 石川は、職場の孤独を解消する特効薬はないが、間接的なアプローチとして「組織に信頼の文化を築くこと」が有効、と書く。

それにはまず、「上司が従業員を一人の人間として認めること」。

そして「特に重要になるのが、組織の末端にいる人たちへの接し方」だ。

「マンUのファーガソン元監督は、チームがゴールを決めた時、最初に抱き付いたのは得点を決めた選手ではなく、ベンチにいる用具係だった」「意識してその姿を選手に見せていた」

 現代に生きる私たちの責任として、次世代にどのような働き方を提示したらいいのか。「長時間労働と社員旅行」のセットは論外。やはり、上司のあり方が大きなカギを握っている。



2019年3月9日

聞き書き・隠岐の島の記憶


 移送ボランティアで初めて野津さんを乗せたのが、一昨年の秋。この春まで断続的に、一人暮らしのアパートから病院まで車で送迎した。

 チャイムを鳴らしてかなり経ってから、眠そうな顔で出てくる。今日が通院日であることを、完全に忘れている。病院では週1回、輸血をしている。

ケアマネジャー作成の書類には「積極的な治療は望まない」とあった。

「キミは誰? 目がよく見えないから、人の顔も覚えられない」

 と言いつつ、私のことは覚えた様子。機嫌のいい時は、問わず語りに身の上話をしてくれた。

「終戦の前年に日本海の隠岐の島で生まれた。男ばかり6人兄弟の3番目で、上の兄2人は腹違い」「戦後しばらくは食糧難で、芋づるばかり食べていた」

「毎年、正月を迎える準備が大変で、しめ縄飾りも手作り。今になって、おふくろの大変さを思うことがある」

「夜、忍び足でよその家のミカンの木に登った。こたつの上のミカンはうまくない。盗んで食うからうまいんだ」

「中学の3年間は山を越えて、片道2時間の道のりを歩いて通った」「18歳の時、集団就職で東京に出た。最近、ふるさとの夢を見る。いい夢ばかり」

「石油卸の会社に就職して、横浜や大阪、札幌で営業マンとして働いた。若いころは寮生活で、毎晩飲み歩き、競馬もやった」「定年後、2種免許を取ってタクシーの運転手をした。目が見えなくなり、怖くなってやめた」

「離婚した妻と娘が、東京郊外に暮らしている。晩婚だったから、娘はまだ30半ばのはず。でもずっと音信不通」「寂しいと思う時もあるけど、一人暮らしの自由がいちばんだ」

「今日は水曜日? 部屋に時計がない。おれの腹時計だけ。1日中、雨戸を閉め切ってるから、天気もわからない」

「週3回デイサービスに行って、週3回ヘルパーが来て、今日が病院。おれが孤独死しないよう、ヘルパーが計らった」「デイサービスに行っても個室のベッドで寝ているから、ほとんど人と話さない」

「食事は朝晩、コンビニのおにぎりに湯をかけて食べている」「近所には蕎麦屋さえない。段差で転ぶのが怖くて外出できない。かつ丼が食べたい」

 最近、野津さん得意の問わず語りが出ない。体調が悪そう。この前も手のひらで頭を叩きながら、病院までずっと黙り込んでいた。財布を探すそぶりをするので、「お金は帰る時でいいですよ」と声を掛けて、後ろ姿を見送った。

 そのまま入院することに。ケアマネのKさんが、「お代は必ず踏んだくってきますから」。ケアマネやヘルパーなど、女性陣からは嫌われていたようだ。

 そして3週間後、野津さんは天国へ旅立った。

亡くなる前、別れた奥さんと娘が、病室に会いに来たという。

Shimoda Japan, spring 2019



2019年3月2日

食事中に読まないで


 わが追憶の「花の都」、70年代のパリは・・・犬のフンだらけだった。

 美しいマロニエ並木の根元に、大型犬のブツが落ちている。新聞紙とレジ袋持参できちんと持ち帰る、日本人みたいな飼い主は皆無だ。

 時には湯気の立った出来立てのほやほやが、歩道のど真ん中に横たわっていた。ぼんやりした少年(私)は、何度も踏んづけた。バナナを3倍にして皮をむいたようなブツを踏んだ時の、ぐにゃりとした足裏の感触。今も忘れない。

 道行くフランス人も、よく踏んづけていた。彼らは「オーラララララ!」と叫び、汚れた靴底を歩道になすりつけながら去っていく。後には黄色い足跡が棒状に残った。

 人通りが多い道では、第23の犠牲者が出た。ブツを起点に、黄色い棒が放射状に広がっていった。

今のパリは知らないが、状況は変わっていないようだ。NHKの「とことんフランス!深田恭子のジャポニズム2018」を見た劇作家の山崎正和によると、惨状を見かねた在住日本人が立ち上がり、自発的に清掃を始め出したという。

当初、パリ市民の反応は否定的で、清掃業者の職を奪うという声さえあった。寡黙に愚直に、そろいのエプロンまで用意して頑張っていたら、やがてフランス人も参加し始め、今では彼ら自身の運動になっているらしい。

山崎はその様子を見て「胸に熱いものを禁じ得なかった」という。そして次のように書いている。

「今日の日本には明治以来のいつの時代にもなかった、誇るべき国威が新しく芽生えている」「新しい平成の国威は静かに海を渡り、フランスのパリに影響を及ぼしている」と。

「見かねて立ち上がった」在住日本人は、確かにすごい。

 ところでパリの清掃業者といえば、かつてフランスの植民地だったアルジェリア、チュニジア、モロッコなど北アフリカ出身の移民が多い。

 フランスの歴史人口学者エマニュエル・トッドは、「日本はなぜ移民を拒むのか」と問われて、「日本人どうしの居心地は申し分なく、幸せ」だからと答えている。そして「それは極めて特殊」なことだという(読売新聞より)。

「フランスの場合、誰もが身勝手で不作法。フランス人同士でいると不愉快になります」「だから移民受け入れに特段の不安はなかった」すごい理由だ。

 トッドは、「日本人どうし」に固執する先には衰退しかない、と説く。それはその通りだが、汚れ仕事を外国人に押し付けるフランス人の高圧的な態度が、移民の子をテロに走らせている面はないだろうか。反面教師にしたい。

 たかが犬のフン、されど犬のフン。「明治に輸入された『公共』の観念がやがて国民の習慣になり、今、かつての故郷フランスに帰りつつある」と山崎正和が激賞した日本人の公共意識は、確かに世界に誇れるものかも知れない。

「見るに見かねて」も、私自身はついに立ち上がれなかったが・・・



肉食女子

わが母校は、伝統的に女子がキラキラ輝いて、男子が冴えない大学。 現在の山岳部も、 12 人の部員を束ねる主将は ナナコさんだ。 でも山岳部の場合、キャンパスを風を切って歩く「民放局アナ志望女子」たちとは、輝きっぷりが異なる。 今年大学を卒業して八ヶ岳の麓に就職したマソ...