2018年12月29日

クロワッサンを英語で言うと?


 「これからの投資の思考法」 柴山和久著 ダイヤモンド社

  表紙裏の、著者略歴を見てびっくり。東大~財務省~ハーバード大(ボストン)~イギリス財務省(ロンドン)~INSEAD(パリ)~マッキンゼー(ニューヨーク)・・・

 私も一度でいいから、LinkedInにこんなプロフィールを書いてみたい。つながり申請が殺到するか、それとも怖がって誰も近づかないか。どっちだろう。

 本書が唱えるのは、とても正統的な「長期・積み立て・分散」の資産運用。それより、絵に描いたようなエリートでありながら、著者は辛かったこと、苦しかったこれまでの経験を、随所で正直に語っている。

「人を話に引き込むにはまず失敗談から」というのも、マッキンゼー流ロジックか。とにかく本筋の話より、個人的な部分に読みごたえがあった。

ボストン留学中、カフェでクロワッサンを注文した著者は、「ハアーッ?」と露骨に嫌な顔をされる。指でクロワッサンを指しながら何度も言い直すと、いちいち発音を直される。そんな日々が2年続いたという。

私も実は、子ども時代を過ごしたパリのパン屋で、まったく同じ経験をしている。いたいけな東洋の少年相手に大人げないことを、といまだに思う。

でもクロワッサンの発音を、よりにもよってアメリカ人に直された著者には、深く同情してしまった。

新人時代に財務省の職員食堂で、470円のA定食にするか560円の和定にするかで迷う。出向先のロンドンでは、ポンド高で800円もするスタバのカフェラテにたじろぎ、夫婦で香りだけ嗅いで店を出る。

そんな著者の質素な生活が、マッキンゼーのニューヨーク事務所に栄転したとたん、一変する。

クレジットカードはプラチナ。飛行機はファーストクラス。ホテルは専属バトラー付のスイートルーム。10ドル札が100円玉ぐらいに感じる高収入。

でもそんなVIP待遇と引き換えに、気がつけば週4日は出張という生活。旅先のホテルで、ひとりぽつりとソファに座りながら、著者は考える。

「本当の豊かさとは何か」「自分にとって本当に大切なものは・・・?」

 豪華さのスケールは足元にも及ばないが、私も週に4日は海外出張という日々が3年続いた。航空会社やホテルのお得意様になってアップグレードも受けたが、それらは所詮、会社の経費で得たものだ。

一方で、高い給料は強いプレッシャーと引き換えだし、家族と過ごす時間も滅茶苦茶になる。そのうえ帰国すれば、やりたくない管理職が待っている。私も出張先で、著者と似たようなことを自問自答するようになっていた。

 すごく共感できた。

マッキンゼーを退職した著者は2016年、人工知能で個人の資産運用を支援する会社を興す。大きなリスクを取って、一からスタートする道を選んだ。

 こういう人こそ、応援しなければ。

Tateshina Japan, Winter 2018



2018年12月22日

Listen first. Speak last.


「新聞記者は、時間に追われるとても忙しい人たちだ」

 この例題は正しい。新人記者時代に、いきなりその洗礼を浴びた。

取材現場から上司に電話すると、いつも10秒で電話を切られてしまう。まず名を名乗り、最初の用事を言い終わるか終わらないうちに

「ご苦労さ(ガチャン)」

「ご苦労さん」の「ん」が聞こえる前に、ガチャン!と受話器を叩きつける音。

 何とか最後まで話を聞いてもらおうと、一息で用件を言おうとした。すると緊張のあまり、かえって舌がもつれた。

「アワアワ・・・」「ガチャン!」

 もともと気が短い人たちが集まっているのか、長年の記者生活でああなったのか。いまだ謎だ。そもそも締め切りに関係なく、上司との会話は常にワンフレーズだった。

 そして10数年後。海外駐在の機会を得て、写真セクションから国際報道セクションに異動した。しばらくは雑用係として、世界各地の特派員からかかってくる電話を社内で取り次いだ。

 デスクに電話を回して横で見ていると、そこには実に丁寧なやりとりがあった。締め切り前でも1時間もかけて、じっくり話をしている。

 扱う素材が写真であるか文章であるかの違いは、もちろん大きい。でも多くのデスクに、部下と業務連絡以上のコミュニケーションを取ろうとする姿勢が見えた。

 前の職場がすぐ近くに見えるのに、まるで別の会社に来たかのような文化の違い。思えば写真セクションは、徒弟制度の面影が濃い、個人商店主の集まりみたいな組織だった。離れてみて初めてわかった。

 上司と部下の間にコミュニケーションはいらない。ただ指示があるのみ。仕事は自分で覚えて結果を出せ。

当時の写真セクションは、そういう集団だった。

 それでは、コミュニケーションとはなにか。

 いまは会社のタテ社会から離れ、日々ヨコのつながりで人と関わる。組織の生産性を上げるコミュニケーションより、その場の雰囲気を暖かいものにしたり、若い人のモチベーションを上げるコミュニケーションを学びたい。

そんな気持ちでドラッカーを読んだら、意外にも、いちいち腑に落ちた。

「コミュニケーションを成立させるのは受け手である。聞くものがいなければコミュニケーションは成立しない」

「聞け、話すな Listen first. Speak last

The most important thing in communication is hearing what isn’t said コミュニケーションで最も大事なことは、言葉にされないことに耳を傾けること」

 そんなドラッカーの言葉を胸に、身体的または経済的に他者の支援を必要とする人に会う。手応えを感じる時もあれば、全然ダメな日もある。

聞く力や非言語コミュニケーションは、人工知能AIに取って代わられることがない、とても大切な領域だ。








2018年12月15日

投資家は陸上選手


 トランプ米大統領が「I am a Tariff Man」とツイートしたら、ダウ平均が800ドル下落した・・・?

 ツイートとマーケットの動きに、本当に因果関係があるのか。幸い情報端末が不調で、市場の乱高下をリアルタイムで見ずに済んでいる。

 むしろ、これまで世界株安時に必ず起きていた円高が、まったく起きないのが気になる。円は安全通貨だ、という外国人投資家の幻想が剝がれてきたのか。とめどなく膨張する財政赤字を放置する日本の「Xデー」は近いかもしれない。

「インベストメント ハードラー」 為末大 講談社 2006年発刊

 400mハードルで世界選手権銅メダルに輝いた著者が、自らの投資経験を語った異色の本。

 為末は子供のころから「駆けっこ」に強く、中学時代に出した短距離の記録は、あのカール・ルイスの中学時代より速かったという。著者は冷静に自己分析し、「あれは単に体が早熟だったため」と、ハードル走に転向する。

 陸上選手は持って生まれた資質の面が大きいが、ハードル走は技術が必要とされ、ち密でかつ限界まで耐え抜くような厳しいトレーニングが必要となるという。

 だからハードル走には根性が大きな意味を持つが、覚悟や根性といった心の強さが日本人の最大の特徴だ、と著者は説く。「日本人は耐えられるのだ」

 日本人は耐えられる。この特質は投資にも応用できると私は思う。数多の暴落に耐え、複利効果を生かしてゆっくりお金持ちになっていく「株式長期分散投資」こそ、日本人向きの投資戦略だ。

 ところが、実際に為末の身に起きたのは、「30万円が3年で2000万円になる」という経験だった。

 暖かいトレーニング環境を求めて訪れたタイで、彼は投資会社の日本人社長に出会う。時はちょうど、アジアを金融危機が襲って間もなく。社長に託した金は、資金不足で工事が止まった建設中のマンションに投資された。

建物を完成させ、数倍の値で転売して得た資金を、今度はスマトラ沖大地震からの回復局面にあったタイ株市場に投資。かくして、30万円が2000万円に。

為末自身も断っているが、これはめったにない投資チャンスを運よく掴めたということだ。読者が真似してアジアの不良債権市場に手を出したら、大やけどするだろう。

「そもそも私は陸上選手である。陸上選手にとって最大のリスクは陸上以外のことに思考が向かってしまうこと」と自戒して書いている。だが為末はこの本を出した後、目立った成績を残すことなく引退している。

投資の大成功が、かえって彼の選手生命を縮めることになってはいないか。

宝くじが当たった人や、プロスポーツ選手の引退後に自己破産が多いことは、よく知られている。準備ができていない人の頭上に、お金が雨あられと降り注ぐと、その結末はあまり幸せではなさそうだ。

「雨あられ」ほどでもなかった為末は、引退後も各方面で活躍している。



2018年12月8日

最後までひとり


 ハツエさんは、人の体を両手でまさぐる癖があった。

 その日は視覚障がい者の集まりがあり、ハツエさんの手を取って社会福祉協議会へ。いつも明るいハツエさんは人気者で、たちまち若い女性職員に囲まれた。

 その一人ひとりに、ハツエさんの入念なボディーチェックが始まる。目が見えない代わりに、掌で覚えているらしい。特に胸のあたりを、念入りに撫で回している。

「あなたサトミさんね。また太ったんじゃない?」

 目のやり場に困るというか、ちょっとうらやましいというか。

 演歌歌手のコンサートが開かれる市民会館にも、よく行っていた。最前列に陣取ってノリノリで踊っていた、とヘルパーさんから聞いた。

「昭和の遺構」とでも呼びたくなるような、老朽化した市営住宅。その一室がハツエさんの住まいだ。ヘルパーさんの支援を受けながらも、独りで暮らす。玄関には、人の気配を感知するぬいぐるみがあり、いつもにぎやかな機械音声に迎えられた。

 訪ねると、キンキンに冷えた栄養ドリンクをくれる。「エアコンは4年前に壊れたきり」と、猛暑の夏でも平気な顔をしていた。

1000円カットの「チョキチョキ」や、スーパー「ヤオマサ」まで車で送ることはあったが、彼女の行き先が病院だったことはなかった。

その後、ハツエさんとはご無沙汰していた。他のNPOメンバーが送迎している、とばかり思っていた。

 用事があって社協を訪ね、ハツエさんが亡くなったことを知った。

 体調を崩して入院し、最期は見知らぬ町の老人病院で、家族に看取られることもなく息を引き取ったという。

 目は不自由でも、いつも笑顔だったハツエさん。そのひんやりした手のひらを思い出した。



 オーストラリアに、ヘルパーとして多くの高齢者を在宅で看取った女性がいる。その人の手記に、こんな一節がある。

「死を迎える人の中には、家族に看取って欲しいとは思わない人もいる。そういう人たちは、意識があるうちにお別れを言って、家族には他の記憶を心に残してもらい、臨終の時にはヘルパーに見送られたいと望む」

 昔のテレビドラマに、いまわの際に「死なないで!」と家族がすがりつく場面がある。もし見送られる本人が人生に満足していたら、あまり居心地よくないことだろう。

 もしかしたらハツエさんも、「寂しく孤独に亡くなった」と言われるのは心外かも知れない。


2018年12月1日

やがて哀しき外国語


 新聞社時代の同僚が、30代で退社して英語学校を開き大成功した。彼が書いた本のタイトルが、「130分を続けなさい!」。

 月刊の英語教材を買って、私も「130分を続けなさい!」と唱えながら、細々と英語を続けている。

 この月刊誌には毎号、英語の達人たちのインタビューが掲載される。地方の大学を出て、留学なしでニューヨーク・タイムズ記者になった女性。サラリーマンを60歳で定年退職の後、猛勉強して同時通訳者になった男性などなど。

 すごすぎる・・・

 NYTimes記者になった女性には、実際に会って話を伺った。別に英語訛りの日本語を話す訳でもない、日本女性らしい控えめな方だった。

 ネパールで会った彼女の妹さんに聞くと、「姉はかなりストイック」。それを聞いて妙に安心した。並々ならぬ努力を続ける、不屈の人なのだろう。

 英語で食べている人と会った時は、英語との出会い方を聞いてみる。ハワイで通訳をしているAさんは、モルモン教の金髪青年が自宅に訪ねてきて、カッコよさに憧れ、小学校から英語塾に通ったという。

 弁護士としてアメリカで働いた後、帰国して大学講師や翻訳をしているYさんは、親の仕事の関係で小さい頃にアメリカで暮らしていた。

 同じ帰国子女でも、語学に苦手意識を持ってしまう人(=私)もいる。AさんもYさんも女性なので、女性は生まれつき人とのコミュニケーションを大切にする➡語学習得も自然に努力できる、というのが私の仮説だ。



 子どもにボランティアで英語を教える機会がある。教科書を開くときの、彼らのイやそうな顔!自分のことは棚に上げて、そこまで嫌わなくてもいいのにと思う。

 早晩、小学校でも英語が必修化される。早くから苦手意識を植え付けてしまうと、子どもの人生が暗くなる。

 仲間の元英語教師が、隣でスパルタ式に文法を暗唱させている。私は、もっと彼らのモチベーションに訴えたい。

「英語を勉強すれば外国に行けるよ!」「ぼくずっと日本にいるからいい」

「フェイスブックやツイッターで英語でつぶやけば、世界中の人が聞いてくれるよ!」「私LINEでいい」

 LINEは東南アジアで普及しているが、グローバルではない。いじめや仲間外れの温床にもなる。スタンプばかりでやりとりすれば、日本語まで退化しそう。

「英語ができればいろんな生き方ができるよ。それに、お金も儲かるかも!」

(と言いながら、我ながら品がなかったと反省)

 もう少し、彼ら彼女らの心に刺さる殺し文句はないものか・・・





肉食女子

わが母校は、伝統的に女子がキラキラ輝いて、男子が冴えない大学。 現在の山岳部も、 12 人の部員を束ねる主将は ナナコさんだ。 でも山岳部の場合、キャンパスを風を切って歩く「民放局アナ志望女子」たちとは、輝きっぷりが異なる。 今年大学を卒業して八ヶ岳の麓に就職したマソ...