2018年9月29日

家賃交渉

 借家暮らしも、かれこれ数十年。
いま住んでいる湘南の賃貸マンションは、「新幹線駅から徒歩15分」が売りだ。でも15分で歩けた試しがない。
以前住んでいた物件も「駅から徒歩15分」だったが、ちゃんと15分で歩けた。この手のタイム設定は、「やばい会社に遅刻する」という動機付けがあって初めて達成できるようだ。
いまのマンションは市街地にありながら、海まで徒歩10分。ハイキングができる山にも近い。バルコニーの正面が畑で、静かな環境にある。
夕方部屋にいると、弾き語りをする男の声が頭上から聞こえてくる。ウクレレでつまびくのは「My Way」ばかりで、いつも陶酔しながら歌っている。
かなり怪しい。
でも会社にも行かずに昼からブラブラし、突然2~3か月留守にして郵便受けを溢れさせる自分は、きっともっと怪しい

マンションの誰かが退去すると、入口に「入居者募集中」ののぼりが立つ。この夏は立て続けに2部屋、空きが出た。
ネットでこのマンションの物件情報を調べてみると、たった数年で家賃が1万円下がっている。しかも最初の1か月の家賃はタダ。我々はしっかり取られた礼金も、いつの間にかタダになっている。
 これは・・・
ちょうど契約更新の時期だったので、勇気を奮って不動産業者に電話してみた。逡巡があったが、黙って人より高い家賃を払うのもお人よしすぎる。
 電話に出た女性に、入居時の家賃と直近の家賃の差を伝える。値下げを打診すると爽やかな声で、「さっそく担当者に伝えます」。数日後に交渉した担当者もまた、感じのいい男性だった。
 そしてものの数分で、密かに目指していた額には届かなかったものの、家賃を値下げしてもらえた。
 雑談交じりに聞くと、最近はなかなか入居者が決まらないことがあり、この夏は思い切った値にしたとのことだった。
 自分が学生の頃までは、土地や家は値上がりするものと相場が決まっていた。あっけなく家賃が下がって、時代の変化に立ち会った気がした。
 人口減少により、日本中で空き家が増えている。東京都心は別にしても、今後は「不動産は値下がりするもの」が常識になるのだろうか。

※賃貸物件の場合、入居者が決まると情報がネット上から削除される。今回は家賃のページを保存しておいたのが、値下げ交渉の切り札になった

Tateshina Japan, Autumn 2018

2018年9月22日

リーマンと一サラリーマン



「100年に1度の金融危機」リーマン・ショックから10年。

 20089月のあの日、まともな人ならマイホームや子どもの教育に充てるであろう有り金全てを、私は世界中の株に注ぎこんでいた。

株式市場の大暴落で、1000万円単位のお金が一瞬で吹き飛んだはずだ。

 でも憶えていない。努めて証券口座の残高を見ないようにしていたおかげで、何も知らずに済んだ。


危機の黒い影はしかし、数年かけてじわりじわり、わが身辺に及んできた。

リーマン半年前まで、私はバンコク特派員だった。当時はイランやアフガンから南太平洋の島々まで、自分の縄張りの中は自由に動くことができた。ところがリーマン後、後任O君は、東京の許可がないと出張に出られなくなった。

現場にいなければ写真が撮れない報道カメラマンに、現場に行くなという。

その後、なんと海外駐在のポストそのものが消滅し、O君は任期途中で戻された。

その頃、私は転勤で九州へ。新しい職場に顔を出すと、いきなり「キミの引っ越し代は高すぎる」と怒られた。

夫婦2人なのに3LDKでないと荷物が収まらない。人よりモノが多いのは認める。でも何度も社命で転勤して、こんなこと言われるのは初めて。

転勤先で45歳の誕生日を迎えた。すると「セカンドライフ研修」なるもののために、わざわざ飛行機で東京本社に集められた。

配られた冊子には、退職金の算出方法がこと細かに書かれている。講師に言われるまま、計算式に則って「老後のマネープラン」を作成する。割増退職金さえあれば、いま辞めてもそれなりに暮らせるという結果が出た。

本当に信じていいものか。SONYの「追い出し部屋」ほど露骨ではないにせよ、「3年で辞められても困るが、20年以上しがみつかれるのはもっと困る」という会社の本音が、透けて見えた。

 現場に出られなくなった時が潮時、とは思っていた。経費節減に血道を上げる上司の存在が、強く背中を押した。なんだかんだでリーマン・ショックは、私個人のライフシフトに大きな影響を与えた。

フリーになってから、福祉や教育関連のNPOに巡り合った。福祉と教育は、どんな金融危機にも影響を受けない大切な分野だ。「理念だけではメシは食えない」のも確かだが、とてもやりがいがある。

 買った株を危機後ほったらかしておいたのも正解だった。ダウ平均はその後3年で危機前の株価を回復し、現在は2008年当時の4倍。日経平均もこの10年で3倍になって、生計を支えてくれる。

 先日とあるNPOの、ウナギ屋での慰労会に招かれた。会費は無料。重箱のふたを開けると、ウナギが折り重なるほど盛られていて、ご飯が見えない。

 NPOは人を大切にしてくれるなあ。しみじみと味わった。


Tateshina Japan, Autumn 2018



2018年9月15日

停電30時間


テレビがないと、日々世の中に疎くなる。「最強台風」が西日本を縦断した日も、信州の山中でのほほんと暮らしていた。

 ミズナラが風で大きく傾き、地にひれ伏す。今日は空が広いなあ、と感心していたら、部屋の明かりが消えた。停電だ。

 とりあえず、ガスと水は出る。夏でもつけている灯油ストーブの炎が、照明代わりに夕暮れの室内を照らす。ガスが止まっても、ストーブで炊事ができそう。

ローソクのほのかな光で夕食。雨音を聞きながら寝る。クルマの音はふだんからしないが、今宵は冷蔵庫の音もしない。原始の闇と静けさが支配する夜。

そして、台風一過の朝。相変わらず電気は来ない。

ケータイもつながらない。基地局の非常バッテリーも尽きたか。

幸い妻のケータイ(au)がつながった。関西空港が水没したらしい。電力会社によると、停電は広範囲に及び、復旧の見込みは「いまだ調査中」という。

友人と会うため、車で下界に降りた。幸い道を塞ぐような倒木はない。折れたカラマツの枝葉が敷き詰められて、国道が緑の絨毯になっている。走りながら、車のバッテリーでケータイを充電する。

標高1600メートルの山暮らしにクルマは欠かせないが、災害時はまさに生命線になる。

午後、蛇口の水が徐々に細ってきた。水がなければトイレが流せない。料理も作れない。停電より、水がなくなることの方が困ると知る。

近くの宿に避難しようとも思ったが、もうひと晩がんばることにする。更新された電力会社HPによると、この森に電気が来るのは明日の夕方だという。

水を節約しながら夕食を済ませ、懐中電灯で本を読む。

そろそろ寝ようと思った矢先、ブ~ンと音がして、冷蔵庫が作動をはじめた。

約30時間ぶりの電気。いつもの電灯の光が、やけにまぶしい。

でもまだ蛇口の水は出ない。ポンプで水を溜めるのに時間がかかるのか。ようやくシャワーにありついたのは翌朝。冷蔵庫の食材は、奇跡的に無事だった。

ネコと一緒に数十年、この森で暮らすサイトウさんは、「台風や雷で数時間停電したことはあったけど、こんなに長いのは初めて。庭の老木が倒れて電線切っちゃって、ウチはまだ停電中です」と言っていた。

以前、1日14時間も停電する街(カトマンズ)で暮らしたことがある。停電には慣れている気でいたが、いきなり止まって、いつ復旧するかわからない今回は、少し勝手が違った。

喉元過ぎて熱さを忘れないうちに、さっそくLED懐中電灯と小型ラジオ、電池、ミネラルウォーターを買った。ストーブの灯油と車のガソリンは満タンを心がけて、今度停電になったら、すかさず風呂に水を溜めよう。

登山用ガスコンロも持っているし、近くで沢水を汲むこともできる。山暮らしでの停電は、都会より対処のしようがあると感じた。


2018年9月8日

もしもコトミが帰ったら


 都会っ子が山野で遊び、テントに泊まる3泊4日のサマーキャンプ。

 携帯ゲームに首ったけな今どきの小学生は、意外にも、自然の中で遊ぶのが大好きだ。

 虫取り網を振り回して、トンボやバッタを追う男の子。木の枝やロープで作る秘密基地には、女の子も熱中する。

「ねえ明日は何するの?」

「あと何日いられるの? もう1日終わっちゃった」

 興奮のあまり、鼻血を出す子が続出する。すかさずポケットティッシュを差し出すと、それを見ていた小学生に「女子力高いね」、と褒められた。

 女子力が高いのは、キミたちがところ構わず鼻血を出すからだ。



 昼間は威勢がよかった子どもたちの様子が変わるのは、とっぷり日が暮れて、夕食のバーベキューも食べ終わったころ。

 食べ残した皿を手に、女の子が泣きだした。

「あのね、どうしてかわからないけど、勝手に涙が出てくるの」

 といいながら、しゃくり上げている。

 別の子はスタッフに抱っこをせがみ、セミみたいにくっついて離れない。



 子どもたちに洗ってもらった食器には、まだご飯粒が残っている。ナベや飯ごうなど、全てを我々が洗いなおす。

 夜、延々と皿洗いをしている足元に、パジャマ姿の小さい人たちが寄ってくる。目に涙をいっぱい溜めて。

「ねえ、ママに会いたくなっちゃった」

「あといくつ寝たらママに会えるの?」

 意外に男子がだらしない。

(ママは今ごろ、夏休みの子どもの世話から解放されて大喜びだよ)

 ・・・とは言わないでおこう。



 スタッフのヨッシーさんが、汚れた皿を持ってきた。

「男の子が泣いてるけど、関わり合いになると面倒だから放っといた」

 おいおいおいヨッシーさん。元小学校教諭でしょ。

 でも確かに。誰もママの代わりにはなれない。



 子どもたちには「キャンプレター」を書いてもらい、家族宛てに郵送する。

 いつも年上の男子を叱りつける、勝気なコトミのハガキを見てしまった。

 「ママ、コトミがうちにかえったら、いっぱいだっこしてね」


2018年9月1日

イカの恩返し


「男子がひとり足りないよ。ほら、しましまシャツの子」

 サマーキャンプ2日目。オリエンテーリングの途中で、振り向いたコトミが思いもかけないことを言った。

 急いで班のみんなを集める。その子の名を、誰も知らない。名簿で調べたら、いないのはユウトだ。

 子どもたちは、お互いが初対面。前回は、班長の小6女子の卓越したリーダーシップに助けられた。だから油断していた。

現場は、3000メートル近い峰が連なる山脈の中腹。登山道を外れて森に入ってしまえば、見つけることは至難の業だ。あいにく雨も降りだした。

「サマーキャンプの小学生が行方不明」「主催者のずさんな運営に問題」

明日の新聞の見出しが頭をよぎる。

 するとイカが、声を限りに呼びかけ始めた。

「ユウト~」「ユウト~」

彼にはちゃんと名前があるのに、なぜか自分を「イカ」と呼べ、という。

 以下、イカ。

 思ったことは、すべて口に出してしまうイカ。甲高い声で四六時中しゃべっている。「イカうるさい!」と、いつもコトミに怒られる。コトミが小2でイカは小5。立場が逆転している。

 取るものもとりあえず、ユウトを探す。すると道の脇に、オリエンテーリングの得点となる旗が見つかった。「やった、46点ゲット!」男子たちは旗探しの方に気を取られて、われ先に駆け出していく。

「ユウトがいないこと、皆すっかり忘れちゃったね」

 コトミがボソッとつぶやいた。

「みや~」「みや~」

後方で、イカが私を呼んでいる。どうせキノコでも見つけたんだろう。

「みや~」「みや~」

彼は常に騒いでいるから、肝心な時にだれも振り向いてくれない。

オオカミ少年そのものだ。

「みや~」「みや~」

 ・・・あんまりうるさいから振り向いた。

怒った顔をしたイカの傍らに、しましまシャツの少年が立っている。

ユウト!

 皆とはぐれてから、ユウトはきのう班で作った秘密基地にいたという。髪の毛が雨に濡れ、顔に張りついている。よく動かずに待っていてくれた。

 でかしたぞ、イカ。推理を働かせて、ユウトを見つけてくれたんだね。

 そうとは知らず邪険にして、ホントに悪かったよ。



肉食女子

わが母校は、伝統的に女子がキラキラ輝いて、男子が冴えない大学。 現在の山岳部も、 12 人の部員を束ねる主将は ナナコさんだ。 でも山岳部の場合、キャンパスを風を切って歩く「民放局アナ志望女子」たちとは、輝きっぷりが異なる。 今年大学を卒業して八ヶ岳の麓に就職したマソ...