2017年6月24日

ヒマそうな大人であること


 ミナちゃん(小5)と肩を並べて算数をやっていたら、ユキちゃん(中1)に呼ばれた。英語がわからないという。

振り向いてユキちゃんの机をのぞき込む。いきなりドカン、何かが足にぶつかった。

ミナちゃんは知らん顔。でも絶対、机の下で私を蹴とばしている。一瞬何が起きたかわからなかった。

ここは生活保護世帯の子が集う、無料の学習塾。ボランティアで助手をして3年目になる。

母子家庭が多いらしいが、見た目は普通の小中学生と変わらない。だからつい、彼らが置かれた状況を忘れてしまう。

学校が終わって帰宅しても、母は仕事で誰もいない。いつも寂しい思いをして、誰でもいいから構って欲しいのだ。

痛みと引き換えに、ひとつ学んだ。

 この塾は、社会福祉法人が自治体から委託を受けて運営している。地域で先進的な試みなのか、よく見学者が訪れる。子どもより、大人の方が多いこともある。

 以前は、ユータくんと廊下でサッカーしたり、ヒロトくんと腕相撲して負けたり、皆でトランプをしたりした。最近は勉強ばかり。見学者の目があるからか、親の要請か。

 でも子どもたちは勉強嫌い。特に算数・数学は大の苦手で、理解度が1学年ぐらい遅れている子もいる。月に3回、1回90分の手助けで追いつくのは難しい。

 宿題を手伝おうと、数十年ぶりに小学校の算数に取り組む。信じられないことに、わからない。ついスマホの電卓機能を使ってしまった。

今や小学生でもスマホを持っている。3ケタの掛け算や小数点以下の引き算を、今さら紙と鉛筆でやる必要があるのだろうか。

算数ができなくても立派な?大人になれることを、身をもって示したい。

 ボランティア仲間は、教員OBや現役の大学生たち。教えるのがうまい。私は部屋の片隅で、勉強しているふりをしながらおしゃべりばかりしている。

ユータくんのお母さんは病院が仕事場。夜勤の日は、朝まで帰ってこない。彼は4月から中学生、陸上部に入った。前は電車の運転手になりたいと言っていたが、いまは考え中。でも学校の先生にだけはなりたくない、という。

どうして? 「だって毎日遅くまで学校に残って、忙しそうだから」

 最近の新聞に、中学校教諭の6割が過労死ラインを超えて働いている、と書いてあった。子どもはよく見ている。

 子どもの手本である先生方こそ、幸せそうに働くことが求められる。一刻も早い改善が必要だ。ゆとり教育より、ゆとり教諭。

 せめて私ぐらいはと、ヒマで幸せそうであることを心がけている。

でも子どもたち誰ひとりとして、私を手本にしている気配はない。

                       ※名前はすべて仮名です


八ヶ岳山麓で


2017年6月17日

戦争の真実


 妻の誕生日は、かつて海軍記念日と呼ばれていた。

 112年前、日本海海戦で小国日本が大国ロシアを破った日。史上まれに見る一方的勝利が驕りと勘違いを生み、その後の無謀な世界大戦、そして破局へとつながっていく。

我が家の記念日は、実は多くの人が記憶すべき日でもあるのだ。

そして終戦記念日が近づくと、毎年テレビ特番が組まれ、本が出る。書店で見つけた「零戦~搭乗員たちが見つめた太平洋戦争」(神立尚紀、大島隆之)には、70年余を経て明かされる貴重な証言が詰まっていた。

 当時、日本海軍が世界に誇った名戦闘機ゼロ戦。いまも靖国神社に飾られている。でも生き残ったパイロットたちの言葉は、かつて読んだ撃墜王の武勇伝とはまったく異なっていた。

「支那事変の時、1年戦争していても、私の部隊では戦死者はひとりもいなかったんです。2回目に戦地に行ったラバウルでは、1年間で部隊が全滅しました。それから硫黄島では、3日3晩の空戦で全滅しちゃいましたね」

 ゼロ戦を徹底的に研究したアメリカは、その2倍の馬力を持つ新型戦闘機を戦場に送り込んでいた。

「もうはっきり言うたら、零戦とF6Fいうたら戦争になりませんよ。そんなこと言うたら怒られるかもわからんけど」

「おっかなかったです。卑怯な話だけど、申し訳ないけど、自分の身を守るには逃げる以外にない。だってまともにやったら墜とされちゃうんですよね」

 窮余の策として、ゼロ戦に爆弾を積んでアメリカ軍艦に体当たりする神風特攻隊が生まれる。

「その前から、とても普通の空戦で勝てる見込みはないっていうことは、はっきりわかってたもんで。とうとうここまで来たかという感じで。だから特攻に関しては、違和感は全然持ちませんでした」

 パイロットたちは本当に、「お国のため」進んで命を捧げたのか。

「特攻隊は形としては志願するんですが、好き好んで志願した人はいないと思いますね。死んだら負けですからね。それなのに、死ぬのがわかってて自分からぶつかってゆく、というのは、これはもう戦争の次元じゃないですよ」

 最初の特攻で戦死した関行雄大尉(当時23)は、従軍記者にこんな言葉を遺した。

「日本もおしまいだよ。僕のような優秀なパイロットを殺すなんて。僕なら体当たりせずとも敵母艦の飛行甲板に500キロ爆弾を命中させる自信がある」

「僕は天皇陛下とか、日本帝国のためとかで行くんじゃない。最愛の妻のために行くんだ。最愛の者のために死ぬ。どうだ、すばらしいだろう!」

 以前、旅行で訪れたパプアニューギニアで、ゼロ戦が野ざらしになっていた。触ると、胴体も翼もペナペナしている。厚さ0.5ミリ。鉄砲玉はもちろん、パチンコ玉でも穴が開きそうに見えた。

 ゼロ戦に手で触れた人なら誰でも、あの時代に生まれなかったことを心から感謝すると思う。


パプアニューギニア・ラバウル


2017年6月10日

会社って何だろう


 前の職場の社内報をめくっていて、追悼記事に目が留まった。

 病に倒れた60代の社員。余命宣告を受けて歩くことも難しいのに、朝3時の座薬で高熱を下げながら出社し続けたという。

「心の底から会社を愛していた」と書かれていた。

その会社で万年ヒラ社員だった私は、山登りが縁で、他部の部長と親しくなった。部長は若い頃、プロ野球取材で出張するたびに登山道具を持参。朝は山に出かけ、日が暮れると何食わぬ顔で球場に顔を出す、根っからの山好きだった。

 彼と一緒に登山隊の同行取材を企画して、何度もヒマラヤに行った。雪中のテントでひと月も寝食を共にし、「釣りバカ日誌」のスーさんと浜ちゃんのような間柄になった。

 彼が役職を退いてまもなく、連絡を取りたくてその部署を訪ねた。部長席には見知らぬ人が座っている。ヒラの私が部長に尋ねるのもどうかと思い、周りの社員に声を掛けた。

 誰ひとり、元部長の消息を知らなかった。

 ついこの間まで部下だったのに、あまりにもそっけない。いくら出世しても、辞めれば一瞬で忘れ去られるのだ。

その数年後、大学時代の山仲間を遭難事故で失った。母校のチャペルで追悼礼拝が行われた。

 普段着の小ぢんまりした礼拝を想像していたら、直前になって式服の着用を指示された。

当日のチャペルは、大勢の黒い喪服姿で立錐の余地もないほど。そのほとんどが、彼の会社関係。故人を偲ぶために自らの意志で来たというより、上司の指示で動員された人が多そうだった。

おかげで盛大な式になった。これでよかったのだろう。山仲間たちは、遺影もよく見えない片隅で見守った。

社員の最期の最期まで関わろうとする。会社って何者?。

会社は「法人」と呼ばれるが、会社そのものに人格はない。社員が勝手な思い込みを抱いているだけだ。100人の社員がいれば、100通りの会社が存在するのだと思う。

確かなのは、ささやかな経済的安定と引き換えに、社員は人生の選択肢の、かなりの部分を手放すということ。気をつけないと、自分の人生のつもりで他人の人生を歩くことになる。

自分の専門を持ち、会社より仕事を愛することができれば最高なのだが。

自分が余命宣告を受けたら、残り時間は家族や友人と過ごしたい。貯金で赤いロードスターを買うとか、この世の見納めに、かつて暮らしたバンコクやパリを訪れるとか、やりたいことも多い。

会社に行っている暇はなさそうだ。


マレーシア・ペナン島の夕暮れ




2017年6月3日

瞑想はイスに座って


 風薫る週末、初めて瞑想にチャレンジ。

 海辺の町の小さな座禅会に参加した。

曼荼羅が飾られた庵に上がると、いきなり五体投地が始まった。全員で肘と頭を畳にこすりつけ、床にひれ伏す。続いてパーリ語の礼拝文を唱和する。

 ナモー タッサ バガヴァトー アラハトー サンマー サンブッダッサ

周りを窺うと、20人ほどの参加者の多くが、慣れた様子で暗唱している。

法話の後に「歩く瞑想」。僧侶を先頭に、近くの海岸を目指した。

呼吸に意識を向けながら、マインドフルに歩く。これがなかなか難しい。笑い声がさんざめく午後のビーチに、突然現れた無言の集団。若いカップルが気味悪そうに見ている。どうしても人目が気になる。

師が鏧子(鐘)を3回鳴らす。直立不動、海に向かって瞑想する。

遊んでいた子どもたちまで固まってしまった。

その後、ヨガのポーズで体をほぐして、いよいよ座禅を組んで瞑想に入る。

座禅といえば、胡坐。瞑想といえば、胡坐だ。私は体が硬く、胡坐をかくとひっくり返ってしまう。腹筋に力を入れて必死にこらえる。瞑想は体力だ。

10分後、早くも尻と股関節が痛くなってきた。残り時間は80分。

師が無我の境地に導こうとする。「呼吸を感じます・・・微細なエネルギーを感じます・・・右の手のひらがシュワシュワしてきます」。足が痛くてシュワシュワどころではない。隣で妻は、ちゃんとシュワシュワしたそうだ。

 ひたすら痛みに耐える。雑念が入る余地はない。ある意味集中できている。

痛みに。

これを瞑想とは言わないのだろう。

 延々6時間に及んだプログラムを終える。残念ながら、神髄に触れた気がしない。でも帰り道、心と体が少しだけ軽くなっていた。


 読経、戒名、法要、供養、仏壇・・・仏教は、もっぱら死んでお世話になるものだった。しかし欧米では、座禅と瞑想を「マインドフルネス」と呼んで、多忙でストレスに満ちた現代人の生活に生かそうとしている。

この座禅会を催した僧侶は、外語大を卒業後に出家して20年以上、国内やビルマで修行した。「仏教3.0」を唱え、葬式仏教と揶揄される日本仏教のバージョンアップを試みている。マインドフルネス指導者のひとりでもある。

法話の時間、師は赤い袈裟に身を包み、14インチのMacBookを膝に乗せて話した。薄暗い庵の中で、白いリンゴが光る。そして師は、瞑想を「悟り」で片づけず、できる限り言葉で説明しようとしていた。

 「瞑想で得られる心理状態は、画家や音楽家がフローに至る過程に似ている」「先日指導した漫画家は、考えなくても登場人物がセリフを言うようになった」「瞑想に劇的な効果などない。語学と一緒で、練習あるのみ」


 自分の部屋に曼荼羅を飾り、密かに瞑想に取り組もうと思う。
 もちろん、イスを使って。



肉食女子

わが母校は、伝統的に女子がキラキラ輝いて、男子が冴えない大学。 現在の山岳部も、 12 人の部員を束ねる主将は ナナコさんだ。 でも山岳部の場合、キャンパスを風を切って歩く「民放局アナ志望女子」たちとは、輝きっぷりが異なる。 今年大学を卒業して八ヶ岳の麓に就職したマソ...