タイのプミポン国王が亡くなった。10年前、即位60年を迎えた国王をバンコクで取材した。
チャクリ王朝創立記念日の朝、ラマ一世広場に着くと、すかさず関係者が行く手を遮った。我が国の宮内庁職員に、気味悪いほど物腰が似ている。「あなたの服装では、ここから先に入れられない」という。
私は、前月のASEAN首脳会議取材で着たスーツとネクタイ姿。政治家と王様では格が違う、と言いたいのだろうか。
ロイター通信バンコク支局のカメラマン、ラティフが高みの見物をしている。「この格好のどこが悪いんだろう」と尋ねると、「もっと色の濃いズボンじゃないとダメなのさ。決まってるだろ」勝ち誇ったような口ぶりで言う。
一瞬、何もかも投げ出して家に帰ろうと思ったが、辛うじて思いとどまる。別のスーツを取りに、支局付運転手を自宅に向かわせた。
彼は途中で渋滞にはまり、式典20分前にバイクタクシーで戻ってきた。会場裏の暗がりでパンツ一丁になって着替え、警官に笑われた。
汗だくで撮影位置に着くと、すぐ黒塗りの王室専用車が目の前に横付けされ、プミポン国王が皇太子を従えて降り立った。
ファインダー越しに見る国王は当時78歳。表情に生気がない。祝賀ムードにふさわしい笑顔を狙ったが、いい写真は撮れなかった。
同じ年の6月、今度は在位60年記念式典の本番が行われた。天皇皇后両陛下をはじめ世界中から王室・皇室が集い、盛大なイベントとなった。
混雑を見越して3時間前に赴いた宮殿前は、すでに人、人、人の海。その数、30万人。
一年中暑いバンコクでも、6月はことさら暑い。雲ひとつない炎天下、さすがのタイ市民も日射病で倒れ、担架で運び出されていく。
予定時刻を大幅にすぎて、プミポン国王が宮殿バルコニーに姿を現した。大きな望遠レンズでのぞいても、豆粒にしか見えないほど遠い。
式次第がわからないまま、成り行きを見守った。国王は玉座に腰かけ、微動だにしない。そのまま1時間が経過した。
「おい帰るぞ。もう飽きた」
やじ馬気分でついてきた支局長が、うんざり顔で言う。もとより異論はない。人込みかき分けながら大通りに出て、タクシーで会社に戻った。
プミポン国王が王妃とともに、にこやかに手を振っているではないか。まさか我々が帰った後、このような展開が待っていたとは・・・
翌日、私の写真の代わりに、ラティフが撮ったロイター電がわが社の朝刊を飾った。涙。
(ラティフはその翌年、流血のミャンマー民主化デモ取材でピュリッツァー賞を受賞した。パキスタン系米国人の彼は、とにかく粘り強かった)
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