大学生3人と10日間、ネパールで一緒にトレッキングする機会に恵まれた。
A君とB君は4月から新社会人。Cさんは4年生になる。みな体育会山岳部員なので、ヒマラヤの山麓歩きなど朝メシ前だ。どんどん先に行かれてしまい、ひとり置いてきぼりを食って遭難しかけた。
Cさんのお母さんと自分が同い年、と聞いて呆然。50を過ぎた、という自覚が足りなかった。いくら自分を若いと思っていても、本物の若さを目の当たりにして、その食欲、その活力にただ驚くばかり。
A君とB君、「あ~働きたくね~」と言いながら山を眺めている。これから当分、長い休みは取れないと達観している。その気持ち、よくわかる。
でも次の長期休暇は、彼らが思うより早く来るかも知れない。それも、思ってもみない形で。
私が就職したのは、バブル経済真っ盛り。日本の大企業に入れば、将来は安泰と言われた。年功序列に乗り、定年まで働くことを疑わない時代だった。
それが最近、東電やJAL、東芝、シャープを見るまでもなく、誰もが知っている大企業が、あっという間に没落していく。環境変化のスピードが早い。
大卒で市場に出る彼らの、今後40年に及ぶ労働人生より、会社の寿命の方が先に来てしまうのではないか。
Cさんは両親が教員で、自らも小さい頃から教師になると決めていた。とても幸せなことだと思う。その頃の私は、何になりたくないかはわかっていても、何になりたいかはわかっていなかった。
30年前の私は何をしていただろう。クラウドに保存してある昔の日記を読むと、21歳の誕生日は何と、ネパール・カトマンズで迎えている。
この旅では、中国の6000メートル峰を登山後、カシュガルからヒッチハイクでネパールにたどり着き、その後インドのカルカッタに抜けた。
もうすぐ最終学年だというのに、将来を憂うような記述は一切ない。誕生日の夜は、貧乏旅行者仲間と一緒にマリファナを吸い、いい気分になっていた。
この能天気さは、何なのだろう。私たちは、明るい日本の将来を信じられた、最後の世代だったのだろうか。
A君とB君はアベノミクスの波にも乗り、就職活動は順調だった。生まれたタイミングが数年違っただけで、たまたま就職氷河期に当たってしまった学生は、なんとも気の毒だ。
でもこれからの世の中、確かなものは何もない。その時点での人気企業が、すでに業績のピークを迎えている可能性も高い。たとえ希望する会社に入れなくても、必要以上に嘆くこともない気がする。
何年後になるかわからないが、再びこのメンバーでヒマラヤを歩き、お互いのキャリアを語り合いたい。
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