サクラ咲く春に帰国。久しぶりに、外国人に日本語を教える地元のボランティアグループに顔を出した。
最初に担当したのは、台湾女性のツルさん。数年前に日本人の夫を亡くし、ひとり暮らす自宅のローンを年金で返し続けている。完済まで、あと4年。
この冬、久しぶりに台湾・玉山山麓にある生まれ故郷に帰省した。台湾もいいが、日本の家を引き払う気はない。「ワタシにとっては台湾で暮らすのも、日本で暮らすのも一緒」なのだそうだ。
ツルさんの1日を、日本語で綴ってもらった。最近の日課は、朝夕のイヌの散歩。畑仕事で収穫した野菜を、近所に配って回るのが楽しみだ。時々、近くに住む孫たちが押しかけてきて、夕食の支度がいきなり大仕事になる。
別の日には、来日したばかりの中国人男性と会話の練習。30代の周さん、ポロシャツにジャンパー姿だが、中国では名の知れた大企業のアジア地区担当役員。これまでタイやインドネシアを統括してきたが、今回日本に拠点を作り、新しく市場を開拓したいという。
故郷の自宅には、1000万円以上もするドイツ製高級車があるそうで、趣味はドライブ。日本語だけでなく、文化や風習も学んで、日本企業との交渉に生かしたいと意欲的だ。
この日本語教室に顔を出し始めて、はや1年。これまで中国人、ベトナム人、インドネシア人、フィリピン人、台湾人、ロシア人、ブラジル人、エルサルバドル人、イギリス人、香港人と1対1で交流した。東京から80キロ離れた田舎にも、本当にいろいろな国の人が暮らしている。
日本人の配偶者と結婚した人。日本企業に就職、または研修生として働いている人。2歳の一人娘を祖父母に預け、夫婦で出稼ぎに来た人もいた。
収入を少しでも増やすため、日本語検定を目指していたベトナム人のハイさん。かなり覚束ない日本語だったのだが、久しぶりに会うと、留守中に受験して見事に合格していた。
日本語ペラペラの外国人の中にも、アイデンティティを失わない人はいる。すぐに思い浮かぶのは、元横綱・朝青龍だ。彼の完璧な日本語の向こうからは、モンゴルの悪童の香りがプンプン漂ってくる。
道具としての日本語は使いこなしても、中国人は中国の流儀、ロシア人はロシアの流儀を貫いて欲しい。大陸の乾いた風をびゅうびゅう吹かせるべきだ。
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