2016年4月10日

確かなものは何もない②


 アジアを巡る長旅に、分厚い本を持って行った。

 大判ハードカバー422ページ。ずっしり重い。

 スーツケースに隠し持っていたが、バンコクで家人に見つかった。パンツは3枚しか持ってこないのに、漬け物石みたいな本を持ってきた、と呆れ顔をされる。

 漬け物石の正体は、ジェレミー・シーゲル「株式投資」の原書、 “Stocks For The Long Run”。私にとってのバイブルだ。

 初版が出たのが20年前。版を重ねて、最近改訂第5版が出た。邦訳は4版止まり。待ち切れずに、アマゾンで最新の英語版を取り寄せた。

 届いてから、その厚さにたじろぐ。日本語版は、中身を半分省略している。

デジタル版を買えば安いし、持ち運びも便利だ。でも、我が聖書と仰ぐ以上、これくらい重いほうが信仰心が増す。

 出発前は、日々の日本語情報ばかり追ってしまい、英語の本には手が伸びなかった。言葉が通じず、新聞も配達されず、インターネットもない異国の環境で、落ち着いて読もう。

 長期滞在したチェンマイやカトマンズで、ページをめくった。

英語は旅行会話がやっとなのに、「標準偏差」「相関」「効率的市場仮説」といった金融関係の単語にだけはめっぽう強い。この偏り、自分でも何とかしたいが、どうにもならない。

結局、この本は何を言っているか。「株式投資は、短期的な変動さえ許容できれば、長期的には最良の結果をもたらす」と、前文の2行でいきなり結論。残り400ページを使って、延々とこれを実証している。

200年にわたる株式市場の歴史で、私が自分のお金を投じたのは、せいぜい20年。20年を長期と言えるかどうかわからないが、この間、株式投資が持つ力を確かに感じられた。会社本位の他律的な生き方を変えるための、精神的支柱となった。

漬け物石がいう通りだった。

これから先もずっと、株式が私に果実をもたらすかはわからない。私が市場から得たもうひとつの感慨は、「世の中確かなものは何もない」だ。

この不確実性を前提に、株式の分散投資で金融資本のポートフォリオを組む。同時に、ひとつの会社にしがみつかず、複数の収入源を持つことで人的資本でもポートフォリオを組む。これが、今の私にできることだ。

ところでこの漬け物石の教義、友人たちに吹聴して回ったが、まったく賛同してもらえない。

さまよえる子羊たちよ、最後に笑うのは私だ。

2人の友だけが、賢明にも伝道者の意見を受け入れて、株式投信の積み立てを始めた。神は汝に微笑み、社畜を脱する力を与えるであろう。

でも投資はあくまで自己責任でお願いします。




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