会社を辞めてはや1年。新しく出会った人たちから聞いた、印象に残るひと言。
「自由100%、寂しさも100%」
3年のリハビリで、車いすを捨てて再び歩きだしたユリコさん。医者の診察後、街で食事や買い物を楽しんでいるという。「自由を取り戻しましたね」と水を向けて、返ってきたのがこのことば。「息子は嫁に取られ」、箱根おろしが吹く山間の市営住宅にひとり暮らす。
「ミヤサカ君、歳取って最後にものをいうのは金だよ」
老人ホームに入った奥さんの元に、週3回通うMさん。以前は2人でそれぞれ個室に入居し、月50万円かかっていた。自らは何とか自宅に戻ったものの、なりわいの不動産屋は開店休業状態で「もう破産しそう」。
「あたしゃツライよ」
台湾から来た4歳のアミちゃん。幼稚園が終わった後も、英語や水泳、バレエなど、習い事がてんこ盛り。午後8時すぎの日本語教室で、切り絵で遊びながらポツリと漏らしたひと言がこれ。教育熱心なお母さんは、私大医学部の授業料がいくらかかるか、周囲の日本人に聞いて回っている。
「男の人から花を頂いたの、生まれて初めて」
ユキエさんを医院に送った待ち時間、スーパーをのぞくと花束が売られていた。明日で90歳になる、と聞いたのを思い出し、買って別れ際に手渡した。ユキエさんはずっと独身で、幼稚園の先生を40年務めた。
「お母さんのカーシャが食べたい」
カーシャはロシアの伝統的な朝食で、そば粉や麦、牛乳で作ったお粥。カーシャが食べたいソフィアも金髪に碧眼、八頭身のロシア美人だ。日本人男性に嫁ぎ、義父母と4人で丹沢山ろくに暮らすが、最近はいささかホームシック気味。日本語学習の一環とはいえ、「好きな食べ物は何ですか?」と聞いてしまったのを後悔した。
「長生きなんてするもんじゃない」
ユキコさんは昭和7年、浅草生まれ。腰痛に加え、腎臓にも持病がある。6人きょうだいの長女で、戦争中は空襲警報のたび、妹を背負って防空壕に避難した。「痛みを我慢しながら生きても仕方ない」と言われ、うまく返せなかった。次に送迎する機会があったら、なんとか楽しい話題に持っていきたい。
※「Vulnerable な人びと」のシゲコさんは先週、入院先で亡くなった。ただ1度病院に送っただけだが、印象深い人だった。一期一会。謹んでご冥福をお祈りします。
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