2015年9月21日

有償ボランティアという矛盾㊦


 障がい者や高齢者を車で送迎するボランティア活動も有償だ。入会して半年になる。ここはNPO法人化されていて、ガソリン代や維持費などのほか、介助料として1回500~1000円がスタッフの懐に入る。

8月の猛暑日に、3人を病院に送り迎えしたら熱射病になった。朝から晩まで車いすを押し、文字通り汗水たらして働いて、3000円。

 こうして少額でもお金をもらうことで、利用者の心理的な負担が軽くなる面があるらしい。一方、金銭のやりとりをする結果、我々を「安いタクシー」と誤解する利用者も出てくる。いくら一生懸命やっても文句を言われ、やるせない思いをすることがある。これも貴重な人間観察の機会、と割り切るしかない。

営利目的か、無私の行為か。有償ボランティアは、言葉の矛盾だ。

 この仕事をしてみて、タクシードライバーはつくづく偉いと思った。彼らは街を流して客を拾い、行き先への最短距離を瞬時に計算する。少しでも遠回りしようものなら、後部座席から罵詈雑言が飛んでくる。

 NPOでは幸い定額制で、最短距離を走らなくても料金が決まっている。本当に助かる。方向音痴かつ道を知らない私は、曲がるべき角を直進したり、目的地の病院を通りすぎてしまうことも再三。先日は老婦人に「どこに連れて行かれるのかと思った・・・」と言われてしまった。

このNPOの1年先輩に、元タクシードライバーがいる。「ここは思ったより実入りが少ないから、いい加減辞めようかな」と、ブツブツつぶやいている。もしお金が必要なら、私だったらセブン・イレブンやマクドナルドで「いらっしゃいませ~」とやる。有償ボランティアを曲解しているように思えるが、それでも利用者にとって、彼は私よりずっと頼りになる存在に違いない。

会社員時代、付加価値の創造=利益の追求、という共通の目的の下で、まがりなりにも社員がまとまっていた。一方、ボランティアには本当にさまざまな目的の人が集まる。それが有償ボランティアとなると、さらに話がややこしくなる。

収入を第一の目的にする人もいるが、それでは続かないはずだ。たとえ金銭的報酬がなくても(少なくても)、心の報酬が得られるとか、本当に自分がやりたいことを見つけるいい機会、ととらえた方がいい気がする。

 私の会社にはなかったが、一部の企業では「ボランティア休暇」制度が導入されている。社員は職を失わずにボランティア経験ができ、社員に社会貢献させることで、会社もブランド価値を上げる。一石二鳥ということか。

休職してボランティアを経験したのち、ますます社業に勤しむ気になるか。それとも、会社の外に自分の居場所を見つけてしまうか。企業側にとっては諸刃の刃のようにも思える。

給料がなくなり、頼みの失業給付も今月で打ち止め。いよいよ、正真正銘の収入ゼロ生活に突入する。こんなに呑気でいいのだろうか、という気もするが、今後もボランティアは続けていきたい。

そこから何かが生まれる予感・・・は、今のところ全くないのだが。
もう少し、モラトリアム。



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