遅めの夏休みを、八ヶ岳山麓で過ごした。
何が夏休みだ、「毎日が日曜日」のくせに、という声も。
返す言葉がない。
かなり苦しい言い訳。ボランティアを「報酬を求めない仕事」と定義すれば、私は4つも仕事を掛け持ちしている。5泊6日の旅行は、そのご褒美だ
ぜいたくな話だが、今回、フルタイムで働いていた頃より、明らかに「夏休み」や「旅行」への高揚感が減った。自由のありがたみは、自由を制限されている時にこそ感じる。人間、苦があるから楽が輝くのだ。
もうひとつ実感したこと。箱根の山麓から八ヶ岳山麓に移動して得られる感激は、去年までの、東京の人混みから信州の大自然に脱出した時の感激には遠く及ばなかった。
今の生活に満足している、ということだと思う。
ところでこの旅行には、ひとつ目的があった。
いずれ夫婦で、森に囲まれた山中で暮らしたいと思っている。その拠点探しだ。
東京からアクセスに便利な八ヶ岳南麓、山梨県側は、すでに開発が進んでいる。一方、西麓の長野県側は、深い森に囲まれ、別荘というより山荘と言った方が似合う、古いセカンドハウスが点在する地域がある。
ネットで調べてみると、車2台分ぐらいのお金で買える物件も多い。別荘地として開発されてから半世紀が経過し、オーナーの高齢化で手放される物件が増えているようだ。
現地の不動産業者をまわり、いくつか見せてもらった。電話で問い合わせたとき、「この物件は標高1500メートルにあるので、夏はともかく、定住は難しいですよ」と念を押された。食い詰めて、どこかから逃げてきた人と思われたのかも知れない。
高いところには慣れているが、やはり冬は寒そうだ。
車2台分のお金で買えるような物件は、昭和50年代に建てられ、買った後に手直しが必要なものが多い。その中で、車3台分の値段で買える、他より格段に程度のいい家があった。なんでも「相続人不存在物件」だそうで、亡くなった持ち主に子がなく、家系断絶。いまは弁護士が管理し、売却代金は国庫に入ることになっている。
販売業者の話では、今の世代は、老親がセカンドハウスを譲ろうとしても欲しがらないのだという。共働きで仕事が忙しく、八ヶ岳まで来る暇がないらしい。昭和の頃より、生活にゆとりがないということか。
そうして売りに出される家もあれば、このように、主の死と同時に「相続人不存在物件」になる家もある。案内されてリビングに入ると、2011年9月のカレンダー、何枚もの山のスケッチ、楽譜台が残っていて、人となりが偲ばれた。
森の生活を楽しんでいたかつての住人の、夢の跡を引き継ぐことにした。
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