2015年9月21日

有償ボランティアという矛盾㊤


 ボランティアという言葉に、人はどういう印象を持つだろう。

 私が真っ先に思い浮かべるのは、アメリカの空港やイベント会場の案内所で出会った、首からIDをぶら下げて道案内を買って出るお年寄りたち。人の役に立ちたい、という思いに溢れ、心からおせっかいを楽しんでいる様子だった。

 ボランティアを継続するには、ヒマと、自分の生活に困らないだけのカネもいる。ある意味、ぜいたく。定年退職者に向いているとされるが、ベビーブーマーが大量リタイアしたアメリカでも、ボランティア活動はさほど広がっていない。それまで全く経験のない人が、60すぎてから始めるのは難しいのだろうか。

 50歳で離職し、最寄りの職業安定所に行ったとき、「あなたのような人は、ハローワークで職探しをするより、ご自分の人脈を使ったほうがいいでしょう」と言われた。じっくり腰を落ち着けて探せ、という意味に解釈した。といって、失業給付を受けている間、カネ儲けはできない。降って湧いたモラトリアム。

ヒトは、群れを作って生きる社会的動物だ。保育園入園以来、何かしらの組織に属してきた私には、会社に代わる所属先が必要だ。

それでボランティアに走った。私の動機は邪念だらけだ。

暇つぶし。引っ越してきたばかりの街に友だちを作る。大企業の庇護から離れ、一から自分の信用を作りなおす。無償の仕事をインターン代わりにして、自分の適性を試す。知らない世界をのぞく。そして、今まで自分のことだけで精いっぱいなおっさんだったことへの償い。

 今月から、4つめのボランティア活動に首を突っ込み始めた。生活保護世帯の子どもや、不登校の子ども向けの学習塾。市民センターの和室で肩を寄せ合う様子は、塾というより寺小屋の風情だ。ボランティア・スタッフは元教師や現役の大学生たちで、私は完全に浮いた存在だ。

中学生に数学を教えようとして、因数分解や連立方程式を完全に忘れていることが判明。それどころか、小学生の分数の割り算さえできなかった。かろうじて高校レベルまで教えられるのは英語だけ。できるだけ小学生を担当し、強引に算数以外の教科書を開かせる。多くの時間は、腕相撲やなぞなぞ、間違い探しをして一緒に遊んでいる。

 ふと背中に冷たい視線を感じ、振り向くと、お母さんが見学に来ていた。

勉強の合間に、授産施設で作られたパンが配られる。むさぼるように食べる子もいて、切なくなる。

 ちなみに、ここは「有償ボランティア」。市から委託を受けて運営され、助成金が出るので、交通費の名目でお金をもらえる。時給換算で、大学生が家庭教師をするぐらいの額か。金目当てではないとはいえ、正直言ってうれしい。

0 件のコメント:

コメントを投稿

肉食女子

わが母校は、伝統的に女子がキラキラ輝いて、男子が冴えない大学。 現在の山岳部も、 12 人の部員を束ねる主将は ナナコさんだ。 でも山岳部の場合、キャンパスを風を切って歩く「民放局アナ志望女子」たちとは、輝きっぷりが異なる。 今年大学を卒業して八ヶ岳の麓に就職したマソ...