台南では、「シャングリラ台南」という五つ星ホテルに泊まった。
ウワサでは「世界で一番コスパのいいシャングリラ」。
ルームチャージは「シャングリラ東京」の5分の1。円安ニッポンから来てもなお、お財布に優しい。
大企業の社員としてブイブイ言わせていた頃、出張経費で「シャングリラ・ジャカルタ」を定宿にしていた。退社とその後の円安で、もう海外の高級ホテルには縁がないと思っていた。
再びシャングリラに、今度はポケットマネーで泊まれて嬉しい。
ホテルのフロント係は英語を話す(ものすごい訛りがあるけど)が、ひとたび街に出て、電車やバスに乗ったり食堂に入ったりすると、周りの人が話す言葉がまったくわからない。
これって中国語? それとも台湾語? ただのひと言も、理解できない。
それが快感。 カ・イ・カ・ン!
日本で暮らしていると、周囲の言葉が全部聞き取れる。同じ日本人同士、思考回路や行動様式も読めてしまう。それがとても疲れる。言葉がまったく通じない国に、逃避したくなる。
こういう感覚、他の人にもあるのかな…?
シャングリラ台南の34階で、快適に本を読む。昨年亡くなった佐々涼子さんの著書「夜明けを待つ」(集英社)の中で、「ダブルリミテッド」という言葉に出会った。佐々さんは、作家になる前は日本語教師をしていた人だ。
一部を紹介します。
「(在住外国人の)親は生活のため朝早くから夜遅くまで働いており、会話をする機会が少ない。すると、毎日学校で日本語だけを聞いているうちに、いつの間にか親の話す言葉がわからなくなってしまう子どもたちが出てきた」
「ダブルリミテッドとは、日本語も母語も年齢相応の言語力に達していないことをいう」
「子どもが当たり前にもらうはずの『言葉』という贈り物を、なんらかの原因でもらい損ねた状態」
「子どもが母語を失うと、親と交わせる会話は簡単な挨拶と日常会話のみ。親に自分の想いが伝えられず、親の想いが子に伝わらない」
「形のない心や考えを表す言葉は、自分自身の心情を理解し、表現するのにとても大切だ。胸のあたりに心の痛みを感じた時、それに名前がつかなかったとしたらどうだろう」
「せつない、さびしい、ねたましい、こわい、いとおしい、こいしい、にくい、つらい、なつかしい…。言葉によって説明できない苦しさを胸に抱えた子どもは、心の出口を失う」
「今ではダブルリミテッドのままで育った人が、子どもを育てる年齢にさしかかっているという」
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Tainan, February 2025 |
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