『HACK』『テクノ・リバタリアン』などの著作がある作家・橘玲氏のインタビューが、日経ビジネス電子版に載っていた。
今まで自分の立ち位置はリベラルだと思っていたが、この記事を読むと、私はあの過激な(?)イーロン・マスクやピーター・ティールらリバタリアン(自由至上主義者)に近い。
記事の一部を紹介します。
・AIや暗号資産など、テクノロジーによる社会変革を推進しているのは、マスク(テスラCEO)やティール(Open AI創業者)、サム・アルトマン(同)など、個人の自由を重視するリバタリアン
・日本のメディアは、原理主義的で人工中絶に反対する人たちをリバタリアンと呼んでいたが、本来のリバタリアニズムは自由を至上のものとする政治思想で、自己選択権の最大化を目指している
・テクノロジーは自由を与えてくれるし、テクノロジーの進歩には自由が必要。テクノロジーによって自由を拡大することで「よりよい社会」「よりよい未来」をつくることができるという理想主義が、シリコンバレーの中核
・「自分らしく生きたい」というのは現代社会の根底にある価値観で、もはや誰もそれを否定できない。リベラリズムの本質は自己決定権の最大化で、「いつどのように死ぬかも個人が決められるようになるべきだ」という考え方
・日本でも、安楽死の合法化を求める声が多数派。メディアはそれを可視化したくないから世論調査をしない
・現代社会の最大の格差は「生まれた国」のちがい。たまたま豊かな欧米や日本などに生まれた者と、アフリカや南アジアに生まれた者との間にはとてつもない経済格差がある
・私たちはどこで生まれるかを選べないから、リベラリズムの原則に立ってあらゆる差別が許されないなら、国境を開放するしかない。ところがリベラルのなかに、そのような「不都合な主張」をする者はほとんどいない
・その代わり、もっと安全で注目を集めやすい格差として、人種やジェンダーの話ばかりする
・日本人は第二次世界大戦で国家の暴走であれだけひどい目にあったのに、結局いま「国家はやさしいお母さん」で、国が自分たちの面倒を見てくれるのが当然、という意識に戻ってしまった
・そうやって市民が国家に依存するのは「国家主義」。日本では、リベラルな知識人やメディアが率先して「国家主義者」になっている
・リベラリズムの大原則は、市民の自律。まずは自分で何とかするのが基本

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