2023年5月26日

出稼ぎ立国ネパール

 

ヒマラヤの頂を目指すとき、経験豊富で高所に強いシェルパ(登山ガイド)は、頼もしい助っ人だ。

ところが、我々R大学登山隊がカトマンズに着いても、同行してくれるはずのシェルパ氏が現れない。

刻一刻と、出発の日が迫る。

シェルパを手配した現地エージェントのプラビン社長は、

「彼は日本に出稼ぎ中だけど、みなさんの登山に間に合うように帰ってくるから、ダイジョーブ」という。

結局、シェルパのカジさんと合流できたのは、カトマンズを出発したバスの中という、ギリギリのタイミングだった。

冬の間、新潟の民宿に住み込みで働いていたカジさん。前日の夜中に帰国し、数か月ぶりに妻と愛娘の顔をひと目見てから、バスに飛び乗った。

再び家族と離れて3週間、ロールワリンの谷深く分け入ることになったカジさん。中肉中背、控えめな性格で、ハードスケジュールにも愚痴をこぼさない。

雪道で突然、履き古した彼の登山靴の靴底がべろりとはがれ、我々を慌てさせた。でもそこは、エベレストの麓に生まれ育ったシェルパ族。高度を上げるほどに底知れぬパワーを発揮して、我々を導いてくれた。

下山すると休む間もなく、別の日本人パーティを案内して、エベレスト街道に向かった。

 

わが登山隊のもうひとりのシェルパ、24歳のニマさんは、地元ロールワリン出身。帰りのキャラバンで、彼が生まれ育った村を通過した。

段々畑の中にポツリと建つ、土壁とトタン屋根の小さな家が、彼の実家だ。お母さんがニワトリの世話をしながら、ひとりで家を守っていた。

お父さんは家畜を追って、泊まりがけで山へ。

そしてニマさんの妹は、地中海の島国・キプロスのホテルで働いている。


出発前、2012年ダウラギリ峰の時のシェルパ、ラルさんに会った。

彼は3年前、妻と娘を残して八ヶ岳の山小屋に出稼ぎに来ていた。野菜や肉、缶ジュースを背負って、山小屋まで運び上げる歩荷(ボッカ)の日々。

登山シーズンたけなわの夏、私が山小屋までラルさんを訪ねていくと、

「ボッカはとてもきついです…」

屈強なシェルパらしからぬ弱音を吐いていた。

晴れてコロナ禍が明け、カトマンズでラルさんと感動の再会。

でも近況報告もそこそこに、

「今夜の便でカナダに飛びます。ロッキー山脈のスキー場で働くつもりです」

慌ただしくバイクに跨り、砂ぼこりを残して去っていった。

 

ネパールで出会った人は、生きるために、家族がバラバラになって、世界中に散らばっていた。

Rolwaling valley, Nepal 2023


2023年5月19日

エア・インディアの混沌

 

ネパール最後の日、日本大使館で働く方々とお会いできることになった。

ちょうど山岳部2年のヨコが、外交官志望だ。ヨコを誘って、待ち合わせ場所の「カトマンズの青山通り」ラジンパトに向かった。

カフェの中庭で我々を待っていたのは、医務官のSさんと領事のTさん。偉そうなおじさんを想像していたら(←我ながらすごい偏見だ)、T領事は物静かな20代女性だった。

最初は地元の市役所に就職するつもりだったTさん。公務員試験のための専門学校に通い、市役所ついでに国家公務員試験を受けたら、そちらも合格。

一足早く内定が出た外務省に、20歳で入省した。

今ごろは、実家から電車で市役所に通っていたはずのTさん。その初任地がタンザニアで、2か所めがネパールである。人生何がどう転ぶか、わからない。

 

2日間でお会いした3人の大使館スタッフの話で、もうひとつ驚いたのは、「公務で出張すると赤字になる」ということだ。

近年、出張経費が切り詰められて、大使といえども、移動はエコノミークラス。しかもJALANAに乗ろうとすると、経費の上限を超えてしまうそうだ。

そして、ホテル代も。「広島サミット」にはネパールからも応援出張に駆り出されるが、会期中は周辺ホテルが高騰し、とても規定の宿泊料に収まらない。

泊まれば泊まるほど、自腹を切ることになる、というのだ。

 

お会いした翌日、私も個人的な経費節減のため、ニューデリー経由のエアインディア深夜便で、成田に向かった。

満席のエコノミークラスで離陸を待っていると、つかつかと中年女性がやってきた。英語で「ユーの隣は私の友だちだから、席を替わってくれ」という。

まるで、譲るのが当然、という口ぶりだ。

彼女の迫力に押されて、すごすごと退散。追加料金20ドルを払って予約した、前方通路側のいい席だったのに。

別の席に落ち着いて、午前0時。さぁ寝ようとしたら、今度は前列の太った女性が、通りがかった乗務員を何度も呼び止める。コールボタンまで押して、大声のヒンディー語(たぶん)で、何かしつこく要求している。

やがて仏頂面の乗務員が持って来たのは、数本のダイエットコーク。女性はそれを、臆面もなく自分のバッグに詰め込んだ。

せこい! 彼女は持ち帰りできるように、「栓を開けずに」持って来い、と乗務員にゴリ押ししていたのだ。

安いチケットで国際線に乗ると、自己チューかつ「生まれてこの方、場の空気を読んだことありません」みたいな乗客に、たびたび遭遇する。

日本の国益を背負って、過酷な生活環境で働く在外公館スタッフが、もしこんな思いをしているとしたら…

出張旅費をもう少しフンパツしても、納税者は誰も文句言わないと思うけど。

Rolwaling valley, Nepal 2023


2023年5月13日

フェアで明るい登山隊

 ヒマラヤ登山は男の世界というイメージは、まだまだ強いと思う。

今まで同行した7つのヒマラヤ登山隊は、隊員全員が男だった。

だからメンバー8人全員が大学生で、そのうち4人が女子というこのR大学登山隊は、かなり画期的。

隊列の最後尾を歩いていると、前を行く女子の賑やかな話し声、笑い声が、絶え間なくずーーーっと聞こえてくる。やがて話題が尽きると、「しりとり」を始めた。

男ばかりの登山隊に、とてもこんな明るさはない。

しばらく歩いて、川のほとりで休憩。1年と2年の女子が、元気に「アルプス一万尺」を歌い出した。

そして、星降るヒマラヤ山中の夜。やっと寝静まったと思ったら、今度は3年女子が鬼ごっこ(?)を始めた。

そのうち、マクラ投げでも始めそうな勢いだ。

標高4800mのベースキャンプでも、5000m超のハイキャンプでも、高山病で静かになるどころか、彼女たちの元気さ、賑やかさは最後まで変わらなかった。


男女同数の効用か、メンバー内の意思決定も、とってもフェアだ。

その日に調子が悪い人の荷物は、元気な者が分担して背負う。

食事当番は、上級生が率先してこなす。

そして1年生は、いちばん暖かいテントの真ん中に寝かせていた。

ちなみに、私が新人だった頃の山岳部は、圧倒的な男社会のタテ社会。4年生は神様で、1年生は奴隷だった。

テントではいつも端っこに寝かされ、夜中に起きると、吹き込んだ雪で寝袋が真っ白。まだ先輩が寝ている横で、未明から黙々と食事を作った。

卒業して入った報道カメラマンの世界もまた、封建的な男社会だった。当時はまだフィルムカメラの時代、新人は日がな暗室に籠り、ひたすら先輩が撮って来た写真を現像した。手の爪は、有害な現像液でまっ黄色だ。

そして、いま働く病院という世界は、女性がとても多い。

特に私がいる病棟は、看護師さん全員が女性で、医師も女性ばかり。

19対男1。完全アウェーの日々。

毎日ナースに囲まれていいね、と思う人は、全くもって考えが甘い。患者として接するナースと、助手として使われる立場で接するナースとでは、大違いなのだ。

できれば、患者のままでいたかった…

ま、そんな話は置いといて。

どんな組織でも、男女半々ぐらいが、一番うまくいくんじゃないかな。

R大学登山隊を見ていて、心からそう思った。

Rolwaling valley, Nepal 2023


2023年5月6日

究極の選択

 

世界最高峰エベレストがそびえ、多様な民族が暮らす美しい国、ネパール。

でもアジアの最貧国ゆえに、旅をしていて大変なことも多い。

登山を終えた我がR大学山岳部は、次なる目標「アンナプルナ山群トレッキング」のために、カトマンズからポカラへ向かった。

日本でいえば、東京~大阪のような幹線道路だ。

ところが! この200キロ足らずのバス移動に、10時間かかったのである。

国土の大半が山岳地帯ゆえ、道がクネクネ曲がっているのは仕方ない。

今回はそれに加えて、断続的に、全線にわたって工事中だった。道路の至る所が掘り返されていて、乗ったインド製バスは尋常でなく揺れた。

横転するのではと思うほどバスが傾き、網棚に載せた私のザックが降ってくる。窓のすき間から入ってくる砂ぼこりが、車内に充満する。

その後のトレッキングでは、初日から高熱を出す人、下痢や嘔吐に苦しむ人が続出。2日目に全員でポカラに引き返すことになってしまった。

出発前夜、みんなで屋台の怪しげなパニプリ(ピンポン玉大の揚げ玉の中にポテトが入ったネパール風スナック)に群がったのも、悪かった。

でも原因の9割は、内臓を前後左右上下にシャッフルされ続けた、あの悪夢のバス旅に違いない。

さて、問題はポカラからの帰りだ。

飛行機を使えば、ポカラ~カトマンズ間はたったの25分。でもこの路線で2か月ほど前、乗員乗客71人全員が死亡する墜落事故が起きている。

ネパールに入り浸っている登山家兼取材コーディネーターのヌキタさん曰く、「統計的にこの区間は、飛行機が落ちるより、バスと一緒に崖から落ちて死ぬ確率の方が高い。空路の方がまだマシ」

ピオレドール賞クライマーのケンロウさんにも聞いてみた。

「ぼくが予約したポカラ行きの飛行機が、天候不良で欠航に。急きょジープをチャーターしたら、途中でタイミングベルトが切れて立ち往生。最後はトラックをヒッチハイクして、真夜中にたどり着きました」

私自身はこれまで、アフガニスタン航空やアフガン民営カム航空、イラン民営マハン航空など、世界中の危ない航空会社に乗って、生き延びてきた。

もう半世紀も生きたし、たまに落ちる航空会社を使うことに何の躊躇もない。

でもZ世代の山岳部員は、安全コンシャスだ。ネパールに来る際も、私が勧めたネパール航空の直行便を「安全性に問題がある」といって却下。わざわざ行きは香港経由、帰りはスリランカ経由便を選んだ人たちだ。

試しに、2年生のあい先輩を誘ってみた。

「帰りも10時間バスに揺られる? それとも、落ちたばかりのイエティ航空に乗って、空からヒマラヤを眺めながら25分で帰る?」

「ミヤサカさんと一緒に飛行機で帰ります!」

即座に、返事が返ってきた。

よっぽどバスに懲りたようですね。

Way to Kathmandu


自然学校で

  このところ、勤務先の自然学校に連日、首都圏の小中学校がやってくる。 先日、ある北関東の私立中の先生から「ウチの生徒、新 NISA の話になると目の色が変わります。実際に株式投資を始めた子もいますよ」という話を聞いた。 中学生から株式投資! 未成年でも証券口座を開けるん...