2022年10月8日

稲穂の国で

 

 東京から移住した知人の田んぼで、稲刈りをさせてもらった。

 鎌を手に中腰になって稲を刈り、束にしてひもで結ぶ。

残暑の田んぼで、延々とこの作業を繰り返した。

 覚悟はしていたが、想像以上にキツイ!

ものの1時間であごを出し、腰をさすりながら木陰に逃げ込んだ。

 すぐ隣では、稲刈り機(バインダーというらしい)が快調なエンジン音を響かせながら、田んぼを往復している。見ていると稲を刈り、束にして、ひもで結ぶところまで自動でやってくれる。

 あっという間に、稲の束が積み上がっていく。

これぞ、「稲穂の国」ニッポンの匠の技。機械力は偉大だ。

つくづく、江戸時代の農家に生まれなくてよかったと思う。

 

日経ビジネス電子版に、解剖学者・養老孟司さんのインタビューがあった。

養老さんの知人が、学校になじめない子を引き取って農業をしている。中には注意欠如・多動症(ADHD)など発達障害の子もいるが、その知人は「畑に連れていってしまえば、多動もくそもないよ」と言うそうだ。

・教室の中だと多動が目立つが、畑なら全然目立たない。田舎で育って、畑にいたら誰も気にしなかったのに、「きちんとしなさい」と座らせようとするから気になる。それができないからといって、別に異常なわけではない

・社会がある一定の形を取ると、そこに適応できない人が出てくる。それをどうするかは、社会を「きちんと」作っていくほうの人には関係ないので、あとはボランティアが何とかするしかない。セーフティーネットが欠けている

「きちんとした」現代社会は、かくも生きにくい。ではどうすれば?

 養老先生の考えは、

・「今現在の自分」を絶対視しない。それを、大人が子どもに教える。「僕なんか84歳までにどれだけ変わったか」

・それを妨害するのが、「個性」や「自己」を重視する今の風潮。いくらその人らしくしてみたところで、いずれ変わってしまうのだから、らしくなくなっても別にいい

・お坊さんもそう言うはず。仏教では昔から「我というのを避ける」と言っている

また、養老先生はこんな指針も紹介している。

・自殺の引き金にもなる「うつ病」にならないためには、「居心地の悪いところから立ち去る。資質に合わない努力はしない」

 

 本能的に⁉、この言葉を座右の銘にして、半世紀余。

「居心地のいい場所」「資質に合う生業」を求めて、迷走の旅は続く。

…とりあえず、農業はライフワークでないことを再確認!

(写真と本文は関係ありません)





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