2022年8月3日

ノマドの大先輩

 

「知の旅は終わらない~僕が3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと」 立花隆著 文春新書

 立花隆といえば、「田中角栄研究~その金脈と人脈」で時の総理大臣を退陣に追いやった、とびきり硬派のジャーナリストだ。

 でも不遜にも、この人は自分と同類だと思う。

たとえば、こんな記述。

「僕は、毎日毎日移動しつづけることや、屋根がないところで一晩過ごすこと、今日寝るところと明日寝るところが違う場所であることには、なんの驚きも感じないし、むしろそのほうが心理的にはしっくりくる」

「どこかに生活の拠点をかまえて、あまり変化のない生活が一定限度つづくと、なにかこれは変だ、こういう状態がつづくのは、人間の精神にとって健全な状態であるはずがないという思いにかられてくる」

「そして、一刻も早く、違うところ、あるいはちがう状態に移るべきだと思いはじめる」

…彼も、祖先はノマド(遊牧民)だったに違いない。

 以下に、個人的に含蓄を感じた部分を書き留めておきます。

・人間の知的な営みについてひとこと言っておくと、人間はすべて実体験というものが先。これは何だろうという驚きがまずあって、それを理解したいから本を読んだり考えたりする

・文学を経ないで精神形成をした人は、どうしても物の見方が浅い。文学というのは最初に表に見えたものが裏返すと違うように見えて来て、もう一回裏がえすとまた違って見えてくる世界。表面だけでは見えないものを見ていくのが文学

・すべての戦争における殺人は、正義のための殺人。ナチスのユダヤ人虐殺でさえ、正義の名のもとに成されてきた。しかし、正義というのは必ずしも普遍的なものではない

→人間が発明した概念の中で、正義という概念ほど恐ろしいものはない

・「臨死体験」は死後の世界の体験ではなく、死の直後に衰弱した脳が見る「夢」に近い現象。死ぬというのは夢の世界に入っていくのに近い体験だから、人間はいい夢を見ようという気持ちで死んでいくことができるのではないか

 

  この本を読んでから、NHKスペシャル「見えた 何が 永遠が 立花隆最後の旅」を見た。彼は生前、田中角栄と闘った20年間を「人生の浪費だった」と悔いていたという。

 そして、名著とされる「宇宙からの帰還」「サル学の現在」「臨死体験」などを差し置いて、自分の代表作は、ギリシャとトルコを8000キロ旅して書いた「エーゲ 永遠回帰の海」だと言っていたそうだ。

 ビル一棟を埋め尽くした彼の蔵書は、遺言に従ってすべて処分された。

Kirigamine Japan, summer 2022


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