2022年6月24日

愛はアートだ

 370号室④ベッドに、Yさんは寝ている。

 おじいさんと呼ぶにはちょっと早い、男性患者だ。

 お茶を配りに行くと、眼を見開き、ギロリとこちらを睨んで「いらねぇ!」 ドスの効いた声が返ってくる。

大きなやかんで配るお茶は、「ドケチ病院」(先輩たちの口癖)が用意した、決して上等とはいえない茶葉で淹れてある。おまけにYさんの病室にたどり着くころには、思いっきりお湯を注ぎ足してある。

「いらねぇ」と吐き捨てる彼の気持ちも、まぁわかる。

ところがこのYさん、風呂場で服を脱がせてもらう時やおむつ交換の時も、少しでも気に食わないと大声で怒鳴り、悪態をつく。困った患者だ。

そうは言っても、寝たきりで自分ではトイレにも行けず、目もよく見えないYさんを、先輩はうまくなだめながら、必要なケアを提供する。

でも、医療従事者だって人間だ。感情的になり、言い争いをする場面も見かけた。

そして、ランチタイムの職員休憩室。

Yさん、今週退院だって」

「わぁ、やったね!」

「いつもお見舞いに来るあの女性、娘さんかと思ったらナイエンノツマらしいよ」

「いったい彼女、どうやって一人でYさんを介護するんだろう」

「私にはぜったい無理!」

「うん、たとえYさんが大金持ちでも、私もムリ~」

 

 果たしてYさんみたいな患者を、等しく愛情を持ってケアすることは可能か?

ドイツの心理学者エーリッヒ・フロムが書いた「愛するということ」。原著のタイトルを“The Art of Loving”というこの本で、フロムは「愛は技術(Art)だ」と言い切っている。ほんの一部だけ紹介すると、

・もし特定の一人だけしか愛さず、他の人々に無関心であったとしたら、それは真実の愛ではなく執着にすぎない。利己主義が拡大されたものに他ならない

・利己的な人は、自分を愛しすぎるのではなく、愛さなすぎる。憎んでさえいる

・他者への愛の原点として、自分への愛が必要だが、自分という存在をもっとも強く拒んでいるのも自分

・自分を受け入れ、許し、寄り添うことができれば、その先に他者を受け入れ、そして人間そのものを受け入れるという道がある

・その道は簡単ではなく、鍛錬を伴う

 

他人を愛するためには、まず自分を愛せよ、か。 

 ハイ! それなら自信あります!! 

Matsumoto City Museum of Art, Japan



2022年6月17日

鬼門のナースステーション

 

 ナースステーションの外でなく、中にいる自分に、まだ全然慣れない。

 そして、しょっちゅう「ミヤサカさん!」と呼ばれるのだが、いつも他の誰かが、代わって返事をしてくれる。

 なんとこの病棟には、看護師のミヤサカさん、看護助手のミヤサカさん、そして患者さんにもミヤサカさんがいるのだ。

 看護師長までミヤサカさんだ。

 東京にいた頃は、ほとんど同姓の人と出会わなかったのにな。


先輩に「出身はどこ?」と聞かれ、時間がない時は「東京です」と答える。

すると決まって、「エッここの人じゃないの?」と驚かれる。

 余裕がある時には、「生まれたのがカンボジアで、小中学校はフランスで…」と詳しく説明する。今までは十中八九、

「さぞかしフランス語がペラペラなんでしょうね」

というイヤ~な反応が返ってきたのだが、ここ信州の病院は少し違った。

「英語ができるんですね~」という、ややピント外れなものから、

「日本語お上手ですね!」と言われたことも。

 

 日本語だけはお上手なつもりだが、意思疎通には苦労している。ある時、

「ゴシタイ」

「ウツカル」

 と患者さんに言われて、絶句した。

 信州でもこの辺りに特有の方言で、それぞれ「疲れた」「寄りかかる」という意味だそうだ。

 ポケトーク長野版が欲しい。

 

 車いすのAさんをレントゲン検査に連れて行き、病棟に戻ると、看護師さんが怖い顔をしている。

Aさんにはリハビリの予約があって、理学療法士が待ってたんですよ。ちゃんと確認したの?」

 隣のBさんの病室には、入り口のマットに徘徊探知機がついている。知らずに踏んづけたら、ナースコール鳴りまくり!

 またまた看護師さんに睨まれた。

 患者にはひたすら優しい看護師さんも、上司にすると、かなりコワイ。

 

 待ちに待った休日。

 知人の留守宅へ、ドッグシッターに向かった。

 散歩して、おしっこさせて、おやつを食べさせて。

 ジュニパーちゃんは大喜び。ベロベロ顔を嘗めてくれる。

あぁ、癒される。ペットっていいなぁ。

 人さまのケアより、お犬さまをケアする方が…向いてるかも。



2022年6月11日

3階南病棟にて

 

 配属先は、3階南病棟ナースステーション。

 朝礼で看護師さんへの挨拶を終えたと思ったら、「さぁ早く着替えて!」

 慌てて支給されたばかりの制服を脱ぎ、Tシャツとジャージ、サンダル履きで風呂場に向かう。勤務初日は夕方まで、怒涛の「入浴介助」となった。

 寝たきりの患者さんをベッドごと病室から運んで、横になったまま体を洗える「シャワーベッド」に移す作業を繰り返す。

 顔に酸素マスクを当てた人、お腹に胃ろうの穴が開いている人、尿道カテーテルを入れている人。そんな患者さんの体位を変えながら、それは鮮やかな手つきで、先輩がパジャマを脱がせていく。

 いや、見とれている場合じゃないんだけれども。

 中腰になることが多く、半日で腰が痛んだ。

 入浴のない日は、「フロア担当」。各病室を回って食事を配り、トイレ介助をし、車いすに乗せてレントゲン室やCT室にお連れする。

 病室が多いから、お茶を配るだけで1時間かかる。先輩方は小柄なのに、身長179センチの私が小走りになるほど、廊下を歩くのが早い。

 おむつ交換や、「陰洗」(尿道炎防止のための陰部洗浄)といった仕事もある。ナースステーションでは、うら若き女性たちが「今日のAさん(の便)はソフトクリームだった!」と盛り上がっている。

寝たきり患者さんのお尻に、床ずれによる大きな穴(褥瘡)を発見した時は、ちょっとショックだった。

ベッドメイキングでは、床ずれ防止のための「絶対にシワを残さないシーツ交換法」を、厳しく指導された。来年はホテルに転職できるかも!

ランチタイムの休憩室は、女の園。2人いるはずの男性看護師は、どこに雲隠れしたのか、いつも見当たらない。

白衣の天使からは、「早く帰りたい」「このドケチ病院!」といった率直すぎるお言葉と一緒に、

「寝たきりのXさんが廊下を歩いた」

「手づかみでものを食べていたYさんが、箸を使えるようになった」

 患者さんの回復を喜ぶ声が聞こえてくる。

今までの経験から照らせば、この仕事はアマゾン並みにきつい。アマゾンで働いた時は、東京ドームより広い倉庫中をカートを引いて駆け回り、食品や日用品など1時間に95アイテム集めてくるのがノルマだった。

アマゾンでは、勤務中は私語厳禁。ノルマをこなせないと叱責された。今回は不慣れな新人にも、「ありがとう」という言葉のシャワーが降ってくる。

今年の職業は、「看護助手」です。



2022年6月4日

給料いりません

 

 タダでもやりたい、とか、お金を払ってでもやりたい、とか。

 そう思える仕事ってありますか?

 

 この前、「タダでもやってみたい」と思っていた仕事の求人が、それも意中の組織から出されているのを見つけた。天にも昇る思いで、すぐに履歴書を書いて送った。

 顔写真は実物以上に冴えないし、いいトシだし、職歴はマスコミ、公務員からアマゾンの倉庫係まで、一貫性というものがまるでない。我ながら見栄えのしない履歴書だと思う。

 でも面接までこぎつけてしまえば、こっちのもんだ。新卒で就活した頃と違って、採用担当者より自分の方が年上だったりするから、心の余裕が違う。

 幸い人事部長ともウマが合い、面接はいい感じで進んだ。でも話が待遇面になり、私が「フルタイムでなく週3~4日勤務で」と伝えると、部長は「うーん…」と言って黙り込んだ。

 ここぞ!とばかり、伝家の宝刀を抜かせて頂く。

「もしわがままを聞いて頂けるなら、給料はいりません!」

「いやいや、そんな訳には」

 そして、めでたく採用内定。

無敵のセリフである。

(ホンネは、もちろん給料は欲しいです)

 

LUXDOVEなどのシャンプーで知られるユニリーバ・ジャパンでは、採用試験の際、履歴書から性別欄を削除し、顔写真も不要、性別が類推できるファーストネームの記入も不要にしたという(以下、日経ビジネス電子版より)。

・履歴書から顔写真、ファーストネーム、性別の欄を削除したことについて、同社は「採用担当者はこれらの項目から、志願者の性別や容姿を思い浮かべてしまいがちだが、本来は審査で必要としない」と話す

・そして「多様性やジェンダーに理解を示す企業に対し、好感を持つ学生は増えている」。同社に続いて、履歴書から顔写真をなくす企業が増えている

・ユニリーバは、次に年齢の削除も視野に入れる

 

私の今度の職場は、500人いるスタッフの9割が女性だ。

とても場違いな人間を採用して頂いたことに、感謝。

そして将来、履歴書から顔写真、性別、年齢欄がなくなれば、どの業種も多様性に富んだ、居心地のいい職場になると思う。

…せめて女7:男3ぐらいだと居心地いいんですけど



肉食女子

わが母校は、伝統的に女子がキラキラ輝いて、男子が冴えない大学。 現在の山岳部も、 12 人の部員を束ねる主将は ナナコさんだ。 でも山岳部の場合、キャンパスを風を切って歩く「民放局アナ志望女子」たちとは、輝きっぷりが異なる。 今年大学を卒業して八ヶ岳の麓に就職したマソ...