春まだ浅い北八ヶ岳の森に、東京の中学生がやってきた。
バスを降りると、校長先生が生徒より軽快に、ずんずん雪道を進んでいく。学生時代は山岳部だったという。
まん延防止等重点措置のさなか、予約をキャンセルしなかったのは、この学校だけ。何としても子どもを自然に触れさせよう、という熱意を感じた。
校長先生と一緒に、女子を引率してスノーシューで森を歩いた後、自然学校に戻って昼食。キッチンで茹でた担々麺を手に、食事の輪に加わった。
「これウマいんですよねー」
隣のスタッフに話しかけようとしたら、
「シッ!」
口に手を当てて、目配せする。
見わたすと、生徒たち、引率の先生、添乗のバスガイドさん、皆が皆、ひと言も口を利かず、ただ黙々と弁当を口に運んでいる。
いまだに、黙食してるのか…
びっくりしたのは、その徹底ぶりだ。「まるでお通夜のよう」という言葉があるが、お通夜だってもう少しにぎやかだと思う。
水を打ったような静けさ。
異様だった。
町の飲食店で見かける「黙食」を促す貼り紙は、あくまで会話を控えましょうという「努力目標」。気にしない客もいる。
でも小中学生にとっての黙食は、教師という絶対的存在に促されるだけに、「強制」に近いのではないか。
生徒たちの様子を見ていて、そう感じた。
「努力目標」と「強制」とでは、受けるストレスがまったく違う。
2年も続く学校現場での黙食が、本当にまだ必要なのか。
授業の合間の、貴重な友だちとの会話を奪ってまで…
もっと議論があっていい気がする。
目の前の友に話しかけることもできず、黙々とすする担々麺の、なんと味気ないことよ。罰ゲームと呼ぶには生易しすぎる。拷問に近い。
「ランチタイムにおしゃべりできないなら、コロナにかかった方がマシ」
本気でそう思った。ここがフランスやイタリアだったら、暴動が起きるだろう。私の体には、ラテンの血が流れている。
全国のラテン系小中学生よ、決起せよ!
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