去年の秋、東京の中学生を南アルプス入笠山に案内した。
頂上近くまで牧草地が広がる、のどかな山だ。正直、なぜ山岳ガイドが必要なのかは…不明。しかも、この日集まった7人のガイドのひとりは、2018年にK2(8611m)に登頂した、林恭子さんだった。
絵に描いたような、猫に小判。
「K2 非情の頂 5人の女性サミッターの生と死」ジェニファー・ジョーダン著 山と渓谷社 を読む。
この本が書かれた2005年時点で、K2登頂に成功した女性は5人。その5人全員が、遭難死した。3人は下山途中に力尽き、生還した2人も、その後に別の山で亡くなっている。
そして、5人のうちアリスン・ハーグリーヴスとジュリー・トゥリスは、子どもを持つ母親だった。ハーグリーヴスがK2頂上直下から滑落したその時、長男トムは6歳だった。
(山岳情報サイトによると、トムはその後、母を追うようにクライマーとなり、アルプス6大北壁の冬季単独登はんに成功したが、2019年にナンガパルバット(8125m)で遭難死した。享年31)
「いかなるスポーツとも違って、登山はそのプレーヤーに死を要求する」__ブルース・バーコット
(林さんもK2で、いちばん親しかったメンバーを滑落で失っている)
トゥリスはK2登頂成功後、8000mの高さで嵐に閉じ込められ、テントの中で衰弱死した。トゥリスの長男クリスは後年、著者の問いにこう答えている。
「私は、母が自分の好きなことを突き詰めていく途中で亡くなってよかったと思っています」
「人は自分の好きなことをすべきだし、おそらく母には外へ出たいという気持ちが強くあって、ずっと以前からその気持ちをため込んでいたのでしょう」
「母は外へ出て、自分の思い通りのことをした。母は大きな山へ行って、登りたくて登りたくて仕方なかった。それが好きだったのです」
K2を生き延びたワンダ・ルトキェヴィッチは、その後カンチェンジュンガ(8505m)で行方不明になった。彼女の墓碑銘には、こう刻まれている。
私の墓のかたわらで泣くな
私はもうここにはいない
私は吹きすぎる千の風
チベットの箴言のひとつに、こんな言葉があるという。
「望ましき生は、一日の虎。羊としての千年にあらず」
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