正月明けに、美術館の特別展を見るため沖縄に飛んだ。
現地はオミクロン株が急増中だが、いま行かないと会期が終わってしまう。
予約時点で満席に近かったANA那覇行き便は、沖縄がニュースになった途端にキャンセル続出。乗ってみたら空席だらけだった。那覇で泊まった350室のホテルも、ロビーは閑散として、レストランは臨時休業していた。
報道で危険と騒がれる場所ほど安全なのは、知る人ぞ知る事実。「人の行く裏に道あり花の山」は投資の格言だが、旅にも当てはまる。ソーシャルディスタンスばっちり。
翌朝、那覇から90番の市バスで宜野湾を目指した。国際通りは人影まばらで、テレビの取材クルーばかりが目立つ。地元の人が長蛇の列を作っていると思ったら、その先にはPCR検査会場があった。
シュガーローフ(現在のおもろまち)、嘉数高地など、バスは北上しながら沖縄戦の激戦地を通過していく。現在は大規模ショッピングモールや交通量の多いバイパスなど、のっぺりした郊外の風景に変わっている。
40分ほど揺られて、旅の目的地・佐喜眞美術館に着いた。「丸木位里・俊 沖縄戦の図 全14部展」の最終週に、ギリギリ間に合った。
画家の丸木夫妻はヤマト(日本本土)出身だが、沖縄戦の体験者に現地で話を聞き、6年かけて「沖縄戦の図」を描いた。2人はその時、81歳と70歳。
並ぶ絵は壁いっぱいの大きさで、「鉄の暴風」といわれた米軍の猛烈な砲爆撃に遭い、ガマ(洞窟)に逃れたお年寄り、女性、子どもたちの姿が描かれている。
水墨画の位里と油絵の俊。抽象と写実が混じりあう。遠目に見ると、黒々とした絵は捉えどころがない。だが細部に目を凝らすと、ガマの暗闇で起きた恐ろしい出来事が、ろうそくの火に照らされるように、浮かび上がる。
お互いの首を縄で絞めて、一緒に死のうとする女性ふたり。子どもに鎌を振り上げる、黒い人物。鮮血を流して、折り重なる人たち…
アメリカ軍の捕虜になるのを恐れて、あるいは日本兵の指示で、多くのガマで「集団自決」が行われ、家族同士がお互いに殺し合ったという。
別の絵では、首に縄をかけて引きずられる痩せた男性が描かれる。スパイと疑われた朝鮮人が、日本人の妻、5人の子と共に処刑された「久米島の虐殺」の場面だ。
住民を巻き込んで20万人余の犠牲者を出した沖縄戦は、勝者アメリカが撮った映像でしか見られない。絵から伝わってくるのは、生き延びた市民の心に刻まれた映像を、精緻に描いて残そうとした、ふたりの老画家の執念。
「次はルオー展をやりたいけど、これ以上コロナが増えたら、また休館しなきゃいけない…」帰り際に、館長夫人がため息をついた。
2時間かけて見ている間、他に見学者はいなかった。
※追記「沖縄戦の図 全14部展」はその後、2月20日まで会期が延長されました
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