2020年11月28日

初雪

 

 小田原市から松本市へ、人生28度めの引っ越し。

 200キロほどの移動だが、引っ越し業者の都合で、荷物搬出から搬入まで中1日空く。23日の旅になった。

Go To トラベル」を利用し、1泊目に熱海の温泉宿、2泊目は松本のホテルに泊まる。今まで住んでいた部屋のカギを手放してから、新しい部屋のカギを受け取るまでの「家なき子」状態は、何度経験しても気持ちいい。

 松本市役所に転入の届出をしに行くと、「博物館パスポート」を手渡された。国宝・松本城や旧開智学校など、市内21の美術館・博物館が、1年間入場無料だという。松本に来たことを歓迎してもらったような、いい気分。

 ちなみに松本市の姉妹都市は、ネパール・カトマンズ。何やら縁を感じる。

ある日、一通のハガキを受け取った。日本年金機構からで、このハガキを持って事務所に来てくれと書いてある。年金をもらうには、10年早いはず。

自転車で年金事務所を訪ねると、端末を叩いた職員が、「この夏に奥様を亡くされましたね。あなたには60歳から5年間、遺族年金が支給されます」。

 “働き手の夫を亡くした寡婦”が受け取るもの、と思っていた遺族年金が、少額ながら自分にも支給される。申請していないのに、わざわざ呼び出してお金をくれるこの国は素晴らしい。妻からの、思わぬプレゼント。

 段ボール箱との格闘に疲れて、森の家に逃げ込んだ翌朝。

雪が舞った。



2020年11月21日

外食の風景

東海道の城下町から、信州の城下町へ。

部屋探しと引っ越し本番で、それぞれ23日の旅をした。

 最初に泊まったホテルでは、朝食が「30品目ビュッフェ」から、お仕着せセットメニューに変わっている。新型コロナ感染拡大防止のため、という。

 次のホテルはビュッフェ形式だったが、入り口で体温を測られ、「料理を取るときに使って下さい」と、各自ビニール手袋を手渡された。

 料理や飲み物を取りに行くたび、マスクをして手袋をはめる。

昼時、不動産屋に勧められたラーメン屋へ行くと、歩道に2メートルずつ等間隔に、人が並んで立っている。誰に言われるともなく、若い男女が「ソーシャルディスタンス行列」を作っていた。

 夜、駅ビルのレストラン街は、軒並み店じまいして閑散としている。まだ午後7時半。コロナで営業時間が短縮されていた。

 下戸の私が飲み屋街に繰り出し、イタリア風居酒屋でペスカトーレを注文。見渡すと、コロナ時代の新マナー「食事の時は会話を控えめに」など、皆どこ吹く風。顔を寄せ合い、大きな声で話に花が咲いている。

これが居酒屋の、本来あるべき姿だ。でも「夜の街」「感染拡大」など、最近新聞の見出しで見かける言葉が、ふと頭をよぎった。「Go To イート」の影響か、どの店もよく繁盛していた。

 そして新居も定まり、暮らしは非日常から日常へ。「野菜のみそ汁と雑穀米、豆か魚料理一品」という超ワンパターン100年前の日本人的自炊生活に戻って、ほっと一息・・・




2020年11月13日

引っ越しはインド風に

 友人が、800キロ離れた地方都市に引っ越していったとき。

 会社から転勤の内示が出たのが、赴任2週間前だった。

 理由は「社員の不正を防ぐため」。彼が勤める金融業では普通らしい。

 欧米の大企業や国際機関では、転勤は希望者のみだ。人気のない任地、危険な任地に社員を送るときは、それに見合ったインセンティブが提示される。

紙切れ一枚でいきなり社員を動かすのは、日本の会社だけだ。

 

「紙切れ一枚」で、4転勤した。

引っ越しで持ち物を「断捨離」するチャンスが、8回あったことになる。

たしかに海外赴任の時は、「航空便100キロ、船便10立方メートル、国内倉庫に20立方メートルまで」という会社規定があったから、かなり断捨離した。

でも国内異動には制限がない。引っ越すたび、逆に荷物が増えていった。

段ボール箱が100個を数えたのは、いつの頃だったか。最後の転勤では、トラック2台に荷物を満載して、1000キロ離れた任地に向かった。

晴れて着任したその朝、会社の経理担当に呼び出された。

「キミ、引っ越しにいくら使うつもりなの? なんぼなんでも高すぎるよ!」

 

 フリーランスになった今、自分で自分に辞令が出せる。その代わり、引っ越し代も自腹。以前は「妻が風邪で」と言って、ちゃっかり梱包まで会社経費でやってもらったりしたが・・・

 今回はきちんと断捨離した上で、引っ越し業者に見積もりを頼んだ。

 やってくる営業担当者は、ほとんど男性。電話で「ほんの30分」といっておきながら、契約を勝ち取るまで帰らないゾ、という気概に満ちている。1時間以上も粘る。

 どの社も最初は、「20万円以上かかります」という。「A社は8万円だったよ(←半分ハッタリ)」「B社は粗大ごみの処分もやってくれるよ」といって各社を競わせると、見る間に言い値が下がり、半額以下になっていく。

 このあたり、けっこうインド的。定価などあってないようなものだから、振れ幅が大きい。きちんと準備して臨まないと、ボラれそう。

 この春に東京から長野に引っ越した家族の情報を、前もって仕入れてある。あらかじめ相場がわかれば、有利に交渉できる。

でもギリギリまでは値切らず、最後は人となりで決めた。

 

その担当者は、電卓を叩きながら、途中で何度も本部に電話していた。

 ・・・そこを何とか・・・もっと値引きを・・・お願いします・・・

 上司とのやりとりを聞かせて、「私はお客様の味方です」とアピールする。

 彼の工夫と熱意に負けました。 



2020年11月7日

ウルサイ日本と私

 

「クリエイティビティは移動距離に比例する」

 こう言ったのは、実業家の本田直之だったか。

彼はハワイに自宅を構えて、日本と往復する生活をしている。

ちなみに、毎日2便飛んでいたANAの東京~ハワイ線は、コロナ禍のいまは「毎月2便」に激減している。

 

 クリエイティビティは、移動距離に比例する。

 新聞社の海外特派員だった3年間、飛行機でアジア諸国を飛び回った。年間100フライト以上、距離にして約10万マイル。

でも、偉大なクリエイターにはなれなかった。

それどころか、どんどん疲弊していくばかり。

行き先が大地震の被災地だったり、自爆テロ現場だったり、クーデターが起きた国だったせいだろうか。

やっぱり、行き先はハワイに限る。

 

コロナを奇貨として、ローカル線で小さな旅に出た。

富士と甲府を結ぶ身延線と、松本~糸魚川の大糸線。

車窓を移ろう錦繡の山を眺めながら、どんどん自分がクリエイティブになっていく。

・・・と言いたいところだが、思わぬ伏兵が。

車内アナウンスだ。

やれ整理券を取れだの、ドアは自動で開かないからボタンを押せだの、この駅は一番前のドアしか開かないから気をつけろだの、切符は運転士に渡せだの、精算機は1000円札しか両替できないから小銭を用意せよだの・・・

駅を出発した後と、次の駅に到着する前の2回、ほぼ同じ文言が、大音量の人工音声で繰り返される。

耳栓代わりのイヤホンが、何の用もなさないほどうるさかった。

身延線88キロ、39駅。

大糸線105キロ、41駅。

はぁ・・・

旅情に浸るどころか、終点に着くころには廃人寸前。

間違っても俳人にはなれない。

急ぐ旅でもないのに、帰りは新幹線や特急に乗って、別ルートで帰った。

もし外国人がもっと増えて、英語や中国語、韓国語のアナウンスが追加されたら、ローカル線の車内から静寂が消えてしまう。

私が特別、音に対して繊細すぎるのだろうか。



自然学校で

  このところ、勤務先の自然学校に連日、首都圏の小中学校がやってくる。 先日、ある北関東の私立中の先生から「ウチの生徒、新 NISA の話になると目の色が変わります。実際に株式投資を始めた子もいますよ」という話を聞いた。 中学生から株式投資! 未成年でも証券口座を開けるん...