2020年10月31日

Go To おもてなしの国

 

Go To トラベル」に誘われて、友人が暮らす金沢へ。

 八ヶ岳西麓から、クルマとJRで4時間ほどの旅。

 友人は、「Go To トラベル」に東京発が追加され、「Go To Eat」も始まったら、いきなり街に人が増えたと言っていた。確かに、「ひがし茶屋街」などの観光スポットや飲食店街は、かなり賑わっている。

 

 今回はホテルが軒並み35%off なので、金沢でも3本の指に入る高級ホテルに泊まってみた。

 世界的ブランドを冠したホテルだが、ツインルームの広さは最小限。しかも、壁が薄い。夜中に目覚めたら、隣室の声が聞こえてくる。

「金沢駅近くのセブンイレブンが・・・」

 セリフまで、はっきり聞こえた。

コロナ対策とかで、朝食ビュッフェがお仕着せのセットメニューになっている。平日にも関わらず、入り口には順番待ちの行列。給仕するスタッフも忙しそうで、「ありがとうございました」が、「ありゃ~とやんした~」に・・・

一流ホテルが、これでは居酒屋チェーンだ。上品な白人老夫婦が、居心地悪そうにしていた。

週末になると、1泊3万円に値上がりする。この連休は満室になる。

相当な殿様商売だ。

 いつかコロナ禍が収まって外国人旅行者が戻っても、有名観光地のホテルがこの程度では、「インバウンド景気」は頭打ちになると感じた。

それとも貧弱なハードを、日本が世界に誇る「おもてなし」でカバーする?

 物量の劣勢を精神力で取り繕う発想は、75年前の対米戦争と同じだ。

 

 いままで、仕事でいろいろなホテルに(たぶん500回以上)泊まったが、いちばん快適だったのは、中国・瀋陽のシェラトンホテルだ。

チェックインからチェックアウトまで、全くストレスフリー。

 そこかしこに、スタッフのさりげない心遣いを感じた。

思うに、「おもてなし」は日本の国民性でも何でもなく、すべての人に備わっている。スタッフからその心を引き出すのは、マネージャーの腕次第。国籍なんか関係ない。

 

35%引に釣られてツインルームに泊まったら、部屋に戻るたび、片方のベッドが使われないままなのを見ることに。

 次からは、おとなしくシングルを取ろうと思う。



2020年10月23日

見えない相手の顔色は?

 

 その日訪ねた3つめの物件は、マンションの最上階にあった。

 オーナーの男性は、マンション2棟50室を経営しながら、自身は整体師をしているという不思議な人だ。

「体のどこかが痛くなったら連絡ください。ぼくが診ますよ」

との声に送られて室内に入り、まず目に飛び込んできたのが新雪の常念岳。ダイニングの窓の向こうに、白銀に輝く北アルプスの山々が連なっている。

ここに案内してくれたのは、駅前不動産の若手社員。自信を持って勧めた物件には「あー」とか「うー」とか言うだけだった客が、にわかに窓にくぎ付けになっているのを見て、

「あなたのツボはそこだったんですか・・・」

と言いたげに、私を眺めている。

 交渉にはポーカーフェイスが必須だが、心中を見透かされた。それでも彼は「ここに決めて頂けるなら」と、オーナーに頼んで家賃を値引きしてくれた。

 賃貸暮らしは、2年ごとに更新料を払わなければならない。4年も住めば、

「意味不明のお金を払うぐらいなら、いっそ見知らぬ街に引っ越したい」

という衝動に抗えなくなる。いま住む家の、6年目の更新料支払いが迫る。

 でも会社に守られていた頃の引っ越しと違い、フリーランスにとって大きなハードルになるのが「賃貸保証委託会社」だ。

 家賃支払いの連帯保証人を誰かに頼むのは気が引ける。となると、残るは保証会社のみ。

ところがこの保証会社、サラリーマンや年金生活者など、定期的な収入がある客には寛大だが、フリーランスには俄然、審査を厳しくする。確定申告書類など、何かしらの収入証明を求めてくる。

しかも、保証会社の顔が見えない。不動産業者を介して「給与明細を」「確定申告書を」と要求してくるだけで、会ったり電話で話したりできないのだ。

もっとも、たとえ直談判できたとして、

「財産のほとんどは価格が乱高下する外国株で、自分でも時価がわかりません。しかもここ数年、勤労収入は限りなくゼロで・・・」

こんなたわけたことを言う人には、誰も部屋を貸さないだろう。

 恐る恐る、あまり説得力があるとはいえない額を預けてある銀行の「取引残高報告書」を送る。するとあっさり、「審査を通りました」ときた。賃料が安い地方都市の中古マンションだと、チェックも甘いのか。

 

「この家って結婚してから10軒目なんだね。11軒目はどこになるんだろう」

 春先にそんなことを言っていた妻は、夏の終わりに天上へと旅立った。

地上に残された夫は、保証会社という見えない相手の顔色を伺いながら、ゴソゴソ引っ越しを繰り返すのだと思う。




2020年10月17日

人は安きに流れる

最近、わが家を訪れた人に言われた。

「ここ、新聞配達の人に申し訳なくないですか?」

確かに。

 八ヶ岳の中腹にあるこの家まで、市街地から車でも30分かかる。そして、森の中に点在する周りの家は、夏のほんの一時期しか使われていない。

 雨の日は水が流れ、冬になると凍結する道を登って、もしこの家のためだけに新聞を届けてくれているとしたら、本当に申し訳ない。

 考えるまでもなく、人口より野生のシカの方が圧倒的に多いこの地域で、電気・水道・ガス完備、郵便やアマゾンも届き、頼めば生協のトラックまで来てくれるこの生活は、かなりぜいたくだ。

私の留守中、福沢諭吉さんが数枚入った現金書留が、外の郵便受けに投げ込まれていた。郵便局の人も、ここまで来て無駄足はイヤだったらしい(実はこういうこともあろうかと、郵便受けの中にハンコを転がしてある)。

また、暗くなるころに宅配便のお兄さんが電話してきて、

「本日指定の荷物が集配センターに届いたんですけど・・・明日にしてもいいですか?」と、泣きを入れてきたこともある。

でもテレビもラジオもない、ケータイもド〇モの電波が辛うじて届くだけの生活に、新聞は大切なライフラインなのである。

 こんど新聞販売店に電話して、もしこの辺の客がウチだけだったら「冬場は3日に1度でいいですから」「1週間に2度だけでも・・・」と、言ってみよう。

 

 登山道や山小屋を使わず、釣りや狩りで食料を現地調達しながら山を登る「サバイバル登山家」の服部文祥さん。昨年から、山に囲まれた茅葺きの廃屋で暮らし始めたという(以下、引用はすべて106日付読売新聞より)。

「母屋の横50メートルに渓流が流れ、鳥、風、ときどき遥か上空を飛んでいく飛行機の音しかしない。携帯電話はもちろん届かない」

 彼が実践するサバイバル登山では、「空気はもちろん、水も食料も宿泊費もすべて無料。お金ではなく、労力と引き換えに手に入れる」

だから「ふと立ち止まって街の生活を考えると、自然界では無料のものにお金を払うため、賃金労働に追われているのではないか」

「手軽で効率が良くなった先で、我々はいったいなにをしているのだろう。やるべきことを失って、必死で暇つぶしをしているようにも思える」

「ちょっとした労力や手間を惜しまなければ、国や自治体やライフライン企業に頼らず暮らすことができる」

 

 そうはいっても、家を修繕し、畑をいじり、くたびれた体で五右衛門風呂を沸かし、カマドに火を起こして飯を炊く服部さんの生活は、大変そうだ。

 文明生活を甘受しながら山に暮らし、必死で暇つぶしをする。

 やっぱり私は、こちらの路線でいきたい。


 

2020年10月10日

「死ぬ気まんまん」

 

秋の夜長に、妻の入院前後に読んだ本を再読した。

NHKアナウンサーの絵門ゆう子さんは、自身ががんと診断されてから産業カウンセラーの資格を取り、多くのがん患者と接してきた。

絵門さんによると、勇気を奮って訪れたがん専門病院や大学病院で、初対面の医師に、救いようのない言葉を投げかけられる場合が非常に多いという。

「がんでも私は不思議に元気」(絵門ゆう子著、新潮社)に実例が出ている。

「あなた、あと3か月だよ。なんでここに来たの?」

「あなたのようになった人で、5年も10年も生きた人はいませんよ」

「ここに来たからって、治ると思ってもらっては困りますからね。何をしたところで、あなたは必ずがんで死にますから」

「もうあなたに効く薬はありませんから。身辺整理でもしたらどうですか?」

「こんな状態になった人は、普通は旅行することとかを考えるんですよ」

「あなたみたいな人は治しようがないので、ホスピスに紹介状書きますから」

「悪いのはあなたの運ですからね。私たち医者が悪いんじゃありませんから」

・・・わが耳を疑う。人間以下だ。

 日野原重明・元聖路加国際病院院長は、絵門さんとの対談で

「医師が診断をし、治療をするとき、患者から希望を取るのは暴力です。ところが、はっきり言うことがカッコのいい知的な医者だ、というふうなサイエンスがのさばっている。そのような教育は、どうしても間違っています」

と言っている(同書より)。

 この本が書かれたのが2005年。その後、状況は改善されたのだろうか。

 絵門さんは、医者が余命を告げることにも否定的だった。

「死刑宣告された死刑囚だって、執行日は告げられない。それを知らされたら狂乱してしまうかもしれないと、死刑囚の精神を守るための配慮であろう。であれば、「余命」を言われてしまうがん患者は、何一つ罪を犯していないのに、死刑囚に施される配慮さえされていないことになる」

 死生学が専門の哲学者アルフォンス・デーケンさんも、その著書「死とどう向き合うか」(NHK出版)の中で

「人間は真実を知る権利とともに、知ることを拒む権利を持っている」と書いている。

「患者自身が知りたいという意欲を持っているか、告げないことで患者の心に葛藤を与えていないかなど、さまざまな点を検討してから告知すべき。決して告げることだけを優先させてはいけない」(同書より)

 余命宣告されたその日に「これでお金の心配をしなくて済む」と、貯金でオープンカーを買ったのは、絵本作家の佐野洋子さん。腹の据わった人だ(「死ぬ気まんまん」佐野洋子著、光文社)。

 ちなみに妻の主治医は、「たとえ手術中に致命的なミスがあっても、この人だったら笑って死ねる」とさえ思える人だった。




2020年10月3日

走れる森の美女

 

 もしインターネットだけで仕事ができたら、どこで暮らしますか?

 コロナ禍で100%リモートワークに切り替わり、都心に通う必要がなくなった人もいる、らしい。

 でも自分の周囲に限っては、

「ウチの会社はリモートワーク率0%」

 と、自嘲気味にいう人ばかり。

ちなみに、友人の多くは新聞やテレビなど、時代の最先端をいく?はずの人たち。旧態依然とした業界の体質が、こういう時に露呈する。

 記者会見もオンラインでやるこのご時世、会社に行かなくてもよさそうなのに。

サッカー担当記者をしている私の友だちは、スポーツ専門チャンネルで試合を見て(あるいは見たことにして)、試合後の会見にはズームで参加。悠々と、家で記事を書いているという。

 やればできるじゃないですか。

 都内の不動産会社で働く別の友だちは、上司と交渉して、週に数回のリモートワークを勝ち取った。でも不思議と、彼女に追随する同僚はいないらしい。

 よっぽど家の居心地が悪いのか。

そして上司からは、在宅勤務を認める条件として、パソコンのカメラを常にオンにしておくよう求められたという。

 部下を監視する暇があるなら、経営判断に時間を割いた方がいいのではないでしょうか。

 

 投資家という自分の本業は、もともと住む場所を選ばない。たまにネットがつながればOKだ。今年は、街でやっていた有償無償の副業をすべて辞めて、春から信州の山奥に移り住んだ。

ところが4月下旬、気温がまさかの氷点下に下がり、雪まで積もった。そしてそういう時に限って、石油ストーブが故障した。

コロナより、寒さ。夏の間は涼しくて快適だったが、冬はどうしよう。

 近くの森に、美しい女性が暮らしている。彼女の職業は「翻訳家+大学講師」。春までは週に何度か、特急あずさで東京の大学に通っていた。コロナで授業がオンラインになり、今は通勤しなくてもよくなった。

 彼女は東京から移り住んで3年目、厳しい冬も慣れたもので、雪の山道を四駆で走り回っている。でもやはり1~2月は寒く、部屋を暖めるために、ひと月400リットルの灯油を消費すると言っていた。

 話を聞いたら、ますます逃げ腰になった。自分には、定住は無理かも。

 冬が来る前に森を出て、どこか新しい町で暮らそう、かな。




肉食女子

わが母校は、伝統的に女子がキラキラ輝いて、男子が冴えない大学。 現在の山岳部も、 12 人の部員を束ねる主将は ナナコさんだ。 でも山岳部の場合、キャンパスを風を切って歩く「民放局アナ志望女子」たちとは、輝きっぷりが異なる。 今年大学を卒業して八ヶ岳の麓に就職したマソ...