2020年6月6日

孤高の人


 まだ信州の森で、「自主隔離」を続けています___

 オンライン飲み会より、ついヘミングウェイ「老人と海」、ソロー「森の生活」、クラカワ―「荒野へ」など、孤高に生きた人の本を再読してしまう。

最近は城山三郎「落日燃ゆ」を読んで、広田弘毅を知った。

昭和初期、外交官として戦争防止に尽くした人だ。短期間ながら、首相や外相も務めている。

 南京大虐殺が起きた時に首相だった広田は戦後、A級戦犯とされる。連合国の裁判官や検事は、軍部の暴走を政府が止められなかった日本の事情が理解できない。そして広田は、一切の弁解をしなかった。

 その結果、東条英機ら6人の軍人とともに、ただひとり広田だけが、民間人として死刑を宣告される。

 判決を控えたある日、巣鴨刑務所の広田を長男が訪ねた。

「万一、死刑になるとしたら、お父さん、覚悟はできてるでしょうね」

「もちろんだ。おれは柔道で首を絞められて、よく死ぬ一歩前までいったものだが、絞められて死ぬというのは、なかなか気分のいいものなんだよ」

「階段を十三段上がって行って、その上に立つとガタンと板が落ちて、それでおしまいだそうですよ」

「わかっている」

「階段を滑り落ちないように上がって下さい」

「よしよし」

 そして、判決の日。「Death by hanging(絞首刑)」と宣告された広田は、記者席の娘2人に微笑を送って、立ち去った。

 処刑はまず、軍人たちから行われた。東条らが「天皇陛下バンザイ!」「大日本帝国バンザイ!」と叫んで、刑場へ入っていく。

 そして、広田の番がきた。韜晦師に最後の言葉を促された彼は言った。

「いま、マンザイをやってたんでしょう」

『万歳万歳を叫び、日の丸の旗を押し立てて行った果てに、何があったのか。思い知ったはずなのに、ここに至っても、なお万歳を叫ぶのは、漫才ではないのか。広田の最後の痛烈な冗談であった』(「落日燃ゆ」より)。

 戦前、広田がオランダ赴任中に、母タケの病気が悪化した。息子が帰国できないことを知ったタケは、一切の食事を受けつけず、餓死同然に死んでいった。

 そして妻・静子は、広田の裁判が行われている最中、子どもたちに好物の五目飯を作ったその夜、服毒自殺している。

『裁判の前途は、楽観できなかった。広田が覚悟を決めていることも、静子にはわかった。最悪の事態が訪れる時、夫の生への未練を少しでも軽くしておくためにも、静子は先に行って待っているべきだと思った』(「落日燃ゆ」より)

___70年前までの日本人は、みな死への覚悟があったのだろうか。

彼らなら、未知のウイルスにも心乱されず、平然と日々を過ごすのだろう。


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