2020年6月27日

カブより儲かる投資先


 この春、NPOなどの仕事を整理して、生活の拠点を長野に移した。

 その直後に発生したコロナ禍で、取り組んできた5つの仕事のうち、3つがなくなった。ほぼ唯一の収入源となった株式市場も、大きく値下がりした。

 ネット証券の口座残高は、見るのが怖い。

でもウワサでは、世界の市場は悲観ムードを脱して、「ウィズ・コロナ」「ポスト・コロナ」に適応する企業の株が上がっているという。

 その代表がネット通販の巨人アマゾンや、検索やSNSを独占するグーグル、フェイスブック。アップルとマイクロソフトも、相変わらず強い。ウェブ会議やオンライン飲み会で話題のズームは、株価が10倍になった。

 パンデミックをいち早く抑え込んだ中国の株式市場も、底堅いようだ。

 ・・・と、いうことは。

 米国株や中国株ETFが大部分を占める私のポートフォリオは、意外に健闘しているかも。

 傷は浅いぞ、しっかりするんだ! 自分。



「幸せのメカニズム 実践・幸福学入門」などの著書がある前野隆司・慶応大学教授によると、「想定外・非日常の事態が起きても幸福を感じられるのは、物事を俯瞰的に見ることができる人」だという。

 リスクも大きい株式投資だが、海外企業に投資していると、世の中に対する見方が、自然と俯瞰的になる。会社員として日本の一企業に依存していた時よりは、リスクの分散にもなっているはず。

21世紀の資本」でピケティは、株式市場の伸び率がGDP(=給与所得)の伸びを上回ることを証明した。でも、さらに上がいた。

きちんとした幼児教育を受けた人は、そうでない人に比べて所得が高く、犯罪に手を染める回数が減り、生活保護の受給率も低い。

 そして米国の研究では、幼児教育プログラムの費用対効果は、株式投資による収益率を上回ったという(614日付読売新聞)。

ひと口に幼児教育といっても、いわゆる英才教育は実施直後には大きな効果が表れるが、小学校入学後、数年たつと消えてしまう。対人関係を築き、課題に対してきちんと対処するという「一生モノ」の能力を身につけることが大事だ(山口慎太郎・東大教授)。

「自分には子どもがいないという人にも考えてもらいたい。自分が年老いた時、介護サービスや年金などの形で支えてくれるのは子どもの世代。幼児教育の効果ははっきりしており、そこにお金をかけるのは誰にとっても利益がある」(同)

 パンデミックは、2年もすれば終息する。コロナ後の未来を、もっともっと高い山から俯瞰しなければ。


Tateshina Japan, Summer 2020

2020年6月20日

学校は楽しい?


 訪問看護師のイトウさんには、小学校に通うふたりの子がいる。

 コロナ禍で2か月以上も休校になった間、兄妹は家でテレビ&ゲーム三昧だった。エネルギッシュで外向的なイトウさんは、

「私が誘わないと、外に出ようともしないんですよね~」

「友だちと会わなくても、ぜんぜん平気みたい」

と、不思議がっていた。

 今月から学校が再開されて、週3回、半日ずつの授業が始まった。

 2人とも、学校に行くのがイヤそうだという。

 新聞は「先生や友だちと再会して歓声を上げる子どもたち」などと報道するが、そんな子ばかりじゃないのだ。

去年、ファミリーサポートで父子家庭の子を送迎していた時、お兄ちゃんのマモ君が、しょっちゅう発熱して学校を休んだ。

 パジャマ姿でうれしそうに手を振るマモ君と、うらめしげな弟ユート君。

「学校楽しくないの?友だちにも会えるし」クルマの中でユート君に聞くと、

「行きたくて学校に行く子どもなんかいないよ!」

 小学1年生が、断言した。



作家・村上春樹の両親は、ふたりとも国語の先生。

でも「職業としての小説家」を読むと、彼自身は学校が苦手だったらしい。

「大学をなんとかようやく卒業したときは、『ああ、これでもう学校には行かなくていいんだ』と思ってほっとした」

「でもまあ、学校が好きでしょうがなかった、学校に行けなくなってとても淋しいというような人は、あまり小説家にはならないのかもしれません」

 彼は学校の勉強の代わりに、たくさんの本を読んだ。

「僕にとっては読書という行為が、そのままひとつの大きな学校だったのです。それは僕のために建てられ、運営されているカスタムメイドの学校であり、僕はそこで多くの大切なことを身をもって学んでいきました」

「僕が学校に望むのは『想像力を持っている子供たちの想像力を圧殺してくれるな』という、ただそれだけです。それで十分です。ひとつひとつの個性に生き残れる場所を与えてもらいたい」

 そして村上春樹は、現実の学校制度に馴染めない子どもには、個としての生き方を理解し、後押しする家庭の存在が必要だという。



 とことんインドアなイトウ家の子どもたちだが、仕事から戻ったお母さんがサイクリングに誘うと、素直についてくる。

適度な距離で見守ってくれる母に恵まれて、2人はかなりラッキーかも。


2020年6月13日

コロナでも幸せ


若葉が生い茂ってくると、森の家はネット環境が悪化する。つながる場所を求めて、クルマで砂利道をさまよった。10分後にオンライン飲み会が始まる。

 シフト勤務で忙しい彼らに合わせて、スタートは平日の昼下がり。スマホをダッシュボードに立て、運転席からジュースで乾杯した。

いかつい顔の旧友が、自宅で寛ぐ姿が画面に見える。

「やっと会えたね~ 娘さん何歳になった?」

「いま中2です」

「じゃ、反抗期の最中だね」

「どうなんだろう。いまだにボクの隣で寝るし、一緒にお風呂に入ったりもしますよ」

一同「エエーッ!」「ヤダ―!」「何それ!」

 その子が生まれた時、彼は育児休暇を取った。長時間労働が当たり前の会社では、育休制度も「絵にかいた餅」。それまで、誰も取ろうとしなかった。

「遅くまで会社にいる」という事実のみで評価されがちな職場で、男女社員を通じて初の育休申請。風当たりは強かった。当時の上司からは、かなり嫌味を言われたらしい。今後のキャリア形成への影響も、覚悟の上での行動だ。

 このふやけたお父さん、実は気骨のある人なのだ。

 そうこうするうちに、当の娘さんが学校から帰ってきた。コロナで短縮授業だったといい、画面上の私たちにあいさつすると、リビングで勉強を始めた。

「数学は、もう高1の問題を解いてるみたいなんですよ~」

 チラチラと娘の様子を伺いながら、嬉しそうなお父さん。

「まだやってたの?」彼の背後で声がする。今度は奥さんが、バイトから帰ってきた。ニコニコ顔の女性が、画面に映った。

 彼が体を張って守ってきた家庭は、何だかとてもいい雰囲気だ。



 緊急事態宣言の発令中、日本企業の社員を対象に行われた幸福度アンケートでは、「とても幸せになった」から「とても不幸になった」まで、回答が二極化した。

「幸せになった」と答えた人たちは、リモートワークの浸透で家族と過ごせる時間が増えたことが影響している、という(67日付読売新聞)。

 そして不幸中の幸いで、「私たちは人類史上、つながるためのツールに最も恵まれた状態でコロナ禍に遭遇」(前野隆司・慶大教授)したらしい。



 オンライン飲み会は、ひと言でいえば「隔靴搔痒」。物足りなさは残る。

でも職場では仮面を被って働く人が、ふと素顔を見せたり、家庭の様子を垣間見ることができたり。

なかなかどうして、悪くない。


2020年6月6日

孤高の人


 まだ信州の森で、「自主隔離」を続けています___

 オンライン飲み会より、ついヘミングウェイ「老人と海」、ソロー「森の生活」、クラカワ―「荒野へ」など、孤高に生きた人の本を再読してしまう。

最近は城山三郎「落日燃ゆ」を読んで、広田弘毅を知った。

昭和初期、外交官として戦争防止に尽くした人だ。短期間ながら、首相や外相も務めている。

 南京大虐殺が起きた時に首相だった広田は戦後、A級戦犯とされる。連合国の裁判官や検事は、軍部の暴走を政府が止められなかった日本の事情が理解できない。そして広田は、一切の弁解をしなかった。

 その結果、東条英機ら6人の軍人とともに、ただひとり広田だけが、民間人として死刑を宣告される。

 判決を控えたある日、巣鴨刑務所の広田を長男が訪ねた。

「万一、死刑になるとしたら、お父さん、覚悟はできてるでしょうね」

「もちろんだ。おれは柔道で首を絞められて、よく死ぬ一歩前までいったものだが、絞められて死ぬというのは、なかなか気分のいいものなんだよ」

「階段を十三段上がって行って、その上に立つとガタンと板が落ちて、それでおしまいだそうですよ」

「わかっている」

「階段を滑り落ちないように上がって下さい」

「よしよし」

 そして、判決の日。「Death by hanging(絞首刑)」と宣告された広田は、記者席の娘2人に微笑を送って、立ち去った。

 処刑はまず、軍人たちから行われた。東条らが「天皇陛下バンザイ!」「大日本帝国バンザイ!」と叫んで、刑場へ入っていく。

 そして、広田の番がきた。韜晦師に最後の言葉を促された彼は言った。

「いま、マンザイをやってたんでしょう」

『万歳万歳を叫び、日の丸の旗を押し立てて行った果てに、何があったのか。思い知ったはずなのに、ここに至っても、なお万歳を叫ぶのは、漫才ではないのか。広田の最後の痛烈な冗談であった』(「落日燃ゆ」より)。

 戦前、広田がオランダ赴任中に、母タケの病気が悪化した。息子が帰国できないことを知ったタケは、一切の食事を受けつけず、餓死同然に死んでいった。

 そして妻・静子は、広田の裁判が行われている最中、子どもたちに好物の五目飯を作ったその夜、服毒自殺している。

『裁判の前途は、楽観できなかった。広田が覚悟を決めていることも、静子にはわかった。最悪の事態が訪れる時、夫の生への未練を少しでも軽くしておくためにも、静子は先に行って待っているべきだと思った』(「落日燃ゆ」より)

___70年前までの日本人は、みな死への覚悟があったのだろうか。

彼らなら、未知のウイルスにも心乱されず、平然と日々を過ごすのだろう。


自然学校で

  このところ、勤務先の自然学校に連日、首都圏の小中学校がやってくる。 先日、ある北関東の私立中の先生から「ウチの生徒、新 NISA の話になると目の色が変わります。実際に株式投資を始めた子もいますよ」という話を聞いた。 中学生から株式投資! 未成年でも証券口座を開けるん...