2019年9月28日

「老後は2000万円必要」の真実


この夏、金融庁が「老後資金は2000万円必要」と報告書に書き、大きな話題になった。

 報告書作りを担った中核メンバーが、中野晴啓(セゾン投信社長、56歳)。

日経ビジネス電子版のインタビュー記事に、彼が本当に言いたかったことが書いてある。同世代のせいか、年金や人生設計についての考えが、自分ととても近かった。以下はその意訳です。

◎人口減と少子・高齢化で、年金は減らさざるを得ない。現在の高齢者は、現役世代の収入の6割を受け取っているが、将来的には4割しかもらえない

◎そう正直に書いたら、国民から強烈なアレルギー反応が出た。国民全体が年金に関する「事実」を聞きたくない、認めたくないと思っている

◎年金は国民生活のセーフティネットなので、政府も「維持に不安がある」とは言えず、ずっとオプラートに包んできた

◎でも支え手が多かった高度成長期のような年金制度が維持できないのは明白

◎だから、年金受給者にも一定の犠牲が必要。それに納得できないお年寄りは、自分の子どもや孫を幸せにしたいと思っていない、ということ

◎「敬老の日のまんじゅうが安物になった」と怒る人は、社会の支え手が減り、自治体の財政も悪化しているロジックを見ていない

◎そして残念なことに、報道を受けた大多数の人たちは、「もっと節約、貯金をしなくては」と考えてしまった

◎デフレが20年続いているが、いざインフレになれば現金は目減りする。「節約や預金は正義」という発想は早く改めるべき

◎そして現役世代が老後に備えるための仕組みが、個人型年金「iDeCo」や非課税投資制度「つみたてNISA

◎これらを使って資産形成することが大切。そして日本経済へのこだわりを捨て、「グローバル国際分散投資」を行うこと。世界の経済成長を享受しなければ、国民の豊かさは戻ってこない

◎長く働くことと並行して、日本経済にはない成長市場への投資で金融所得を得ることで、豊かな人生が実現できる

◎北欧は「高福祉高負担」だが、日本は、高度成長という特殊な状況で成立した「高福祉低負担」が、国民を思考停止にしている。
くれない、くれないと「国民総くれない族」になっている

◎今後はGDPよりGNI(国民総所得)を増やすことが大切。1人当たりGNIは現在、1位がスイス(8万560ドル)、2位がノルウェー(75990ドル)、3位がルクセンブルグ(7260ドル)。日本は23位(38550ドル)

◎「でも自分で合理的に動いた人は、超高齢化社会においても欧米並みの人生が実現できると僕は信じて行動しています」



2019年9月21日

世界で最も住みにくい町


 英エコノミスト誌が選ぶ「世界で最も住みやすい町」。今年のベスト10は、

   ウィーン(オーストリア)

   メルボルン(オーストラリア)

   シドニー(同)

   大阪

   カルガリー(カナダ)

   バンクーバー(同)

   トロント(同)

   東京

➈ コペンハーゲン(デンマーク)

⑩ アデレード(オーストラリア)

 カナダや豪州の諸都市は順当として、大阪が4位で東京が7位・・・?

 大阪は、梅雨明けと同時に猛暑日が連続する。東京もこの夏、熱帯夜が20日以上続いた。タイやフィリピンの友人たちさえ悲鳴を上げるこの暑さは、もはや災害レベルだ。

エコノミストの英国人調査員さん、8月の両市を知らないナ。

個人的には、カルガリーかコペンハーゲンに住んでみたい。

 いっぽう、「世界で最も住みにくい町」のトップ10はこちら。

   ダマスカス(シリア)

   ラゴス(ナイジェリア)

   ダッカ(バングラデシュ)

   トリポリ(リビア)

   カラチ(パキスタン)

   ポートモレスビー(パプアニューギニア)

   ハラレ(ジンバブエ)

   ドゥアラ(カメルーン)

   アルジェ(アルジェリア)

   カラカス(ベネズエラ)

おどろおどろしい地名ばかりだが、この中の3都市には行ったことがある。

 パキスタンに出張したとき、同僚が現地で暮らす自宅兼オフィスは、塀と鉄格子に囲まれていた。玄関には、銃を持ったガードマンが24時間立つ。

 その彼と、アフガニスタンのカブールで待ち合わせた。なぜか妙に嬉しそう。この町も、防弾仕様車での移動を強いられる、とても物騒な町なのに。

「へへへ、カブールでは酒が手に入るんですよ! ああ楽しみ~♪」

そっか、そーいうことね。

このランキングも公正を装いつつ、実は個人的嗜好が入っているかも知れない。


2019年9月13日

フリーランスは地獄耳


 新聞社で働いていた時の友人たちと、東京で飲む。

テレビがなく、ろくにネットも通じない森の家を出て、いきなり現役ジャーナリストに囲まれる。自分が同じ会社にいたのが信じられず、まるで100万光年前の出来事のよう。

彼らは彼らで、「辞めて5年でここまでボケるかなあ」と、呆れたと思う。

東京五輪を来年に控えて、紙面では特集が組まれ、取材合戦が始まっている。3040代の元同僚、特に五輪担当の記者からは、熱気や高揚感を感じた。

それに比べて50代の友人は、5年10年とミドルマネージャーを続けていて、大変そう。社員の年齢構成がいびつなため、昇進が遅れに遅れるのだ。

ある年齢で突然、取材現場から外れ、「デスク」という名の調整役に回される。それからは朝から晩まで、社内に缶詰めの日々。権限はないのに、責任は無限大。自分の場合5年どころか、2年も持たなかった。

(バブル期入社の私が抜けたのは、会社にとっても同僚にとっても好都合。我ながらクリーンヒットだった)

50代サラリーマンの「辛さ」については、コラムニストの小田嶋隆とコピーライターの岡康道が、対談本「人生の諸問題」で明快に解説してくれている。


「サラリーマンにとって一番つらいのは50代。会社の中で訳の分からないゲーム、ルールが分からない最終ゲームが始まって、なんだかよく分からないぞ、とまごまごしているうちに勝ち負けが決まっていって・・・」

「一番仲が良かったあいつが執行役員になって、俺が子会社に出向になった、ということが起きる」「その時期に一番分かり合える人間と、一番遠ざからなきゃいけなかったりする」

「で、自分の中でも、それから社内でも、なぜなぜなぜ、っていう話が渦巻く。それが人事異動という形で1年とか半年にいっぺん起きる」

「日本経済が上向きのころだったら、そのあたりは処理できた」「今の50代の人たちがキツイというのも、この先日本は成長が見込めない時代になるというのがでかい」

「それに比べるとフリーランスの人生にそういう(人事異動の)波乱はない」

「会社を途中で辞めてフリーランスになった人間は、そういうのがないから、五十路についてかくも深く気楽に話し合える」



「出世レースからの墜落」
 以前の飲み会で、上司と部下の間柄だったり、ポストを争う相手だったりした人と、そんなものを全部取り払って話せるのは、とんでもなく楽しかった。

 そして皆が、社内の“噂の真相”をあけすけに語ってくれるのも、人畜無害なフリーランスになったがゆえの役得だ。




2019年9月7日

ヒマラヤの山岳ガイド


 7年前にヒマラヤを旅した時、山岳ガイドのライさんと一緒だった。

 馬の背に9日間揺られ続けて尻が擦り切れ、5000メートルの峠越えでは猛吹雪に遭い、氷河の上にテントを張ってひと月を過ごし・・・2か月ずっと、ライさんと寝食を共にした。

 その彼が今、日本の山小屋で働いているという。

押し入れから登山靴を引っ張り出して、久々に山を目指した。

「ミヤサカさ~ん!」登山道でさっそく、荷揚げ中のライさんと出くわす。人懐こい笑顔が変わらない。彼の休憩時間を待って、小屋で一緒にランチした。

会った当時まだ20代だったライさんは、体力抜群だがガイドとしては少々頼りなかった。33歳になった今、すっかり落ち着いた表情。あの旅の翌年、山岳ガイドとしてマナスル峰(8163m)に登頂したという。

その後のエベレスト遠征では、8848mの頂上直下まで迫ったが、体調不良の顧客に付き添って下山した。着々とガイドの経験を積んでいた。

だが、日本語が話せる山岳ガイドとして順調だったライさんの生活は、ネパールを訪れる邦人登山者の減少で一変する。

向こうで会った頃のライさんは、1年の半分はガイド稼業でヒマラヤ山中にいた。それが最近は年に1~2度、1週間ほどのトレッキングの仕事があるだけ。仕事がなくてももらえていた月給も、支払われなくなった。

彼の会社にいた80人以上のガイドは、いまや10人以下だという。

そしてライさんは、妻と9歳の娘を残して、出稼ぎにやって来た。

山小屋では早朝、まず登山客のために朝食の準備。次に食料の荷揚げ(ボッカ)で山麓へ下りる。3040キロの荷を背負って、日に1~2往復。しばし休憩して、今度は夕食の調理と配膳。週末は260人分を用意する。

夜は従業員6人がひと部屋に雑魚寝。夏の3か月間、休日はほぼない。

ライさん曰く、辛いのはボッカと、ケータイがつながらないことだと言う。

彼がボッカを苦にするとは意外だが、ネパールではガイドとポーターが分業制で、ガイドの彼は重荷には慣れていないらしい。

そしてケータイ。辛うじてドコモの電波が拾える場所が近くにあり、週1回、スタッフのケータイを借りて家族の声を聞いている。

山岳ガイドという彼の仕事は、つくづく因果な商売だと思う。何か月も自宅を離れて、豊かな国からヒマラヤに山登りに来た人に付き添う。時には顧客のために、命をも危険にさらす。

そして豊かな国が不景気になったり、登山ブームが去ったりすれば、急に仕事がなくなる。すると今度は自分が外国へ、出稼ぎに行かなければならない。

もし彼が日本人で、自分はネパールに生まれていたら・・・?

ライさんの屈託のない笑顔に見送られて、初秋の山を後にした。ラッキーにも日本に生まれた以上、ぜいたく言うのはよそうと誓いながら・・・


肉食女子

わが母校は、伝統的に女子がキラキラ輝いて、男子が冴えない大学。 現在の山岳部も、 12 人の部員を束ねる主将は ナナコさんだ。 でも山岳部の場合、キャンパスを風を切って歩く「民放局アナ志望女子」たちとは、輝きっぷりが異なる。 今年大学を卒業して八ヶ岳の麓に就職したマソ...