2019年7月26日

ランチタイムは10分


「中学生の登山ガイド、お願いできませんか?」 「はあ」

 誘われて、なぜか山岳ガイドになった。

 まだ梅雨が明けない霧の中、他のガイドたちと登山口で待つ。やがて6台の貸切バスが現れ、1年生270人と引率の先生方が、わらわらと降り立った。

今どき珍しい男子校。声変わりしかけた怪獣たちの世話は、大変そう。

でも彼らはきちんと整列し、おとなしく先生の注意を聞いている。東京・世田谷の学校だそうだ。ガイドのひとりが呟いた。

「中学1年生というより、小学7年生」

 そして登山ウェアを忘れた私は、ユニクロのシャツとパンツ姿の「なんちゃって山岳ガイド」。ベテランガイドに先頭を任せ、隊列の最後を歩いた。

霧の高原に、色とりどりの花が咲いている。たとえ生徒に「この花、何ですか?」と聞かれても、わからない。ガイド失格。でもスマホで花を撮れば、アプリが瞬時に名前を教えてくれる時代。聞かれなくてよかった。

 ときおり前方から、担任のソーマ先生のだみ声が飛んでくる。「おーい、一列になって歩け!すれ違う登山者に道を開けろ!!」。彼がクラスを完全に掌握しているので、ガイドは何もすることがない。

 山頂に着くと、ソーマ先生が高らかに宣言した。「みんな集まれ!これから弁当を食べて、1235分に出発だ!」。えっ、あと10分しかないよ。「ありえない・・・」男の子たちと一緒に、目を白黒させながらおにぎりを頬張った。

 驚異的な速さで食べ終わったソーマ先生が、物陰を探している。それを見つけた生徒が囁いた。「先生何してんだ」「トイレか?」「あ、タバコ出した」「せっかくの大自然の中でタバコですか」「ありえない」

 養護教諭が体調の悪い生徒を集め、別コースからリフトで下山させた。そして本隊は、予定の午後2時30分きっかりに下山口に到着。再びバス6台を連ね、整然と帰っていった。

 ユニクロを着た「なんちゃって山岳ガイド」は、ブラブラと4時間ついて歩いただけで、全く出番なし。あっけにとられるほど、見事な集団行動だった。

子どもの頃、フランスでバスツアーに参加した時を思い出す。我々一家以外は、全員フランス人。案の定、行く先々で、集合時間を守らない人が続出した。予定をズタズタにする、恐るべき個人主義者たち。

集団行動優先と、エゴの塊。その間のどこかを、自分の立ち位置にしたい。



この登山と同じ頃、ベルリンではヒトラー暗殺未遂75周年の式典があった。ドイツ軍に入隊した新人兵士に向かって、メルケル首相が呼びかけた。

「(上官の命令に)従ってはならない時があります」

行き過ぎた全体主義の帰結を知る国の、首相の言葉は尊い。

 次の機会があったら、子どものために、ランチタイムの延長を申し出よう


2019年7月20日

看板娘の勇気


 この夏も、レンタカーを2か月借りっぱなし。

 ここ数年、年間3か月以上は借りている。

 ・・・いっそ、クルマを買った方が得かも。

 でも「所有」より「シェア」の方が、なんとなくカッコいい世の中だし。



 親しくしているレンタカー屋さんは、家族経営の小さな店。本業の自動車整備工場を両親が切り盛りし、片隅にあるプレハブで、娘さんがレンタカー業務を一手に引き受けている。

朝8時から夜9時まで年中無休で、「連休が取れるのは正月の2日間だけ」。クルマを返す時は、お母さんがミカンや泥付きダイコンをくれる。

以下は、先日娘さんに聞いた話だ。

 ある日、上品な身なりの女性がクルマを借りにやって来た。その後も何度か、その人から予約が入った。時には、かわいい孫と一緒だった。

 すっかり信用していたある時、返却時間をすぎてもクルマを返してくれない。ケータイに電話しても、つながらない。

 SMSでメッセージを送ると、「いま取り込み中なので、しばらく待って欲しい」と。「次の予約があるので延長はできない」と返すと、とたんに連絡が取れなくなった。

 2日待って、警察に相談した。そして、警察に通報した旨をSMSで知らせた。すると、ほどなくクルマが戻ってきた。

 運転席から降り立ったのは女性ではなく、ガタイのいい見知らぬ男。クルマは無傷だったが、せっかくの禁煙車の車内が、むせ返るほどタバコ臭い。

「延滞料金、違約金と合わせて○○円頂きます」

そう娘さんが告げると、真冬なのにパーカー1枚のその男は、「暑いねえ」と言いながらそのパーカーを脱ぎ捨てた。

バーン! Tシャツ姿の首から腕にかけて、鮮やかな刺青が現れた。

「そ、それで、どうしたんですか?」と私。

「頂くものはきっちり頂きましたよ。決まりですので」

 男と対峙した娘さんは、天井から下がる監視カメラと集音マイクを、無言で指さした。

すると男はパーカーを着直し、金を置いてそそくさと帰っていったという。

「ここで甘い顔をしていたら、お客さんの質がどんどん悪くなりますから」

・・・やるなあ。



 なぜか私たち夫婦には、その年に仕入れた新しい車を回してくれる。

 今年の愛車は、3000キロしか走っていない白いホンダだ。


Diamond Head Beach Park, Honolulu

2019年7月13日

「コミュニケイションのレッスン」


 NPO活動をしていると、初対面の人と1対1で話す機会が多い。

 ここ数年、日替わりでこの3パターンが繰り返される。

ⓐ 無料の学習塾で、小中学生と一緒に90分勉強する

ⓑ 送迎ボランティアで、高齢者を助手席に乗せて20分走る

ⓒ 日本語教室で、外国人と簡単な日本語で90分会話する

 初対面の人と話すのは、いつまでも慣れない。ⓑだけは運転が主で会話は二義的、時間も短いので、ちょっとだけ楽だ。

ⓒではこれまでベトナム人、中国人、インド人、台湾人、イギリス人、ロシア人、タイ人、アメリカ人、エルサルバドル人らと日本語会話の練習をした。

ある日、夜の仕事をしているらしいフィリピン女性がやって来た。彼女の日本語は流ちょうだったが、真昼の教室の明るい蛍光灯の下では、お互い話題に困った。

 国籍や日本語レベルを問わず、やはり自分と似た育ちの人の方が、話がかみ合う。

そしてお互いカタコトでも、IYouで英語で話した方が親しくなれる。丁寧な日本語は、かえって相手との間に壁を作ってしまうようだ。

そして、ダントツに難しく感じるのがⓐ。特に、小学校高学年~中学生の女子との会話だ。

「疲れた? ちょっと休憩しようよ」と言ってから、彼女との間に、勉強以外の共通の話題が何ひとつないことに気づき、いつも呆然とする。恐怖の休憩タイムだ。

ただでさえ難しい年ごろな上に、生活保護を受けていたり、複雑な家庭環境に育った子もいる。プライベートな話題には、地雷が埋まっている。

 気まずい沈黙が1分、2分と続き、進退窮まってしまう。

小学生の頃から塾で会っていて、ただ一人気軽に話せるのが中1のRちゃん。藁にもすがる思いで、ローティーン女子の世界を教えてもらった。

「Rちゃん、いま一番ハマってるのは何?」

「キンプリ!スポンジボブ!スティッチ!平野ノラ!スプラトゥーン!・・・」

 何ひとつ、わからない。

 机の下でこっそりスマホ検索すると、火星語に聞こえた彼女の言葉は、実はジャニーズの6人組だったり、ディズニーのアニメだったり、お笑い芸人の名だったり、ニンテンドーの対戦型ゲームだったりするらしかった。

 長らく劇団を率いるコミュニケーションの達人、鴻上尚史。その名も「コミュニケイションのレッスン」という彼の著作を読んだ。

いわく、「沈黙しても焦らない」「穏やかに微笑み、体の力を抜き、重心を下に下げる」「そして、深呼吸をひとつ」「あなたの体がゆるんでいる限り、相手の体も自然にゆるみ、気づかないうちに再び会話が始まっている」

 そして、「コミュニケイションは技術であり、技術は場数で上達する」と。

 やっぱり場数が大切なのか。

さあ明日も、コミュニケーションの千本ノックを受けよう。



2019年7月5日

踊る仏像修復師


 高校時代の友人と30数年ぶりに会ったら、彼が「フリーの仏像修復師」になっていた。

 フリーの、仏像修復師。そんな職業あるんだ・・・

 彼、ワタナベ君自身も、職業欄にどう書こうか、いまだに悩むという。


絵画や書などは専門外だが、それがリッタイブツ(立体物)であれば、仏教だろうがキリスト教だろうが、何でも直す。でも十字架のキリスト像を修復したことは、まだない。

 

 ワタナベ君とは高校時代、一緒に南アルプスや奥秩父の山をぽくぽく歩いた。その頃の彼は無精ひげを生やし、もの静かな山男という印象だった。

大学院まで行き、文化財修復を専門にする会社で働いた後、独立した。

 地方の工房に半年間泊まり込み、休日返上で仕事をすることもあるらしい。

 小田原城に展示中の北条早雲像も、彼の手によるものだ。



 薄暗い工房でひとり、数百年も前の像と向き合う。制作した先人の息遣いを感じる。

「修復ついでにドサクサで、背中に自分のイニシャル入れてない?」

「ないない!」

 最近は、地方自治体がどこも財政難で、文化財修復の依頼も多くない。いろいろ、苦労があるみたい。



 ワタナベ君と会ったのは、新宿・歌舞伎町にあるしゃぶしゃぶの店(店の人はノーパンではなく、きちんと着物を着ていた)。夜の歌舞伎町に足を踏み入れたのは、実は初めて。

静かな半個室でゆったり食事を楽しんで、外に出た。いきなり、猥雑な音と光の渦に巻き込まれた。

 怪しげな店が軒を連ねる小路は、酔っ払いや客引き、外国人らであふれかえって、すごいことになっている。

人種・国籍・性的指向などなど、あらゆる属性の人が入り乱れた夜の歌舞伎町。その中で、およそ中年男らしくない、澄んだ瞳のワタナベ君は、ひとり異彩を放っていた。



 その彼は50代のいま、コンテンポラリー・ダンスにハマっている。

 女性たちに交じって、パツパツのタイツで踊っているのだろうか・・・

 踊る仏像修復師。


Waikiki at night

肉食女子

わが母校は、伝統的に女子がキラキラ輝いて、男子が冴えない大学。 現在の山岳部も、 12 人の部員を束ねる主将は ナナコさんだ。 でも山岳部の場合、キャンパスを風を切って歩く「民放局アナ志望女子」たちとは、輝きっぷりが異なる。 今年大学を卒業して八ヶ岳の麓に就職したマソ...