2019年4月27日

雲の上も格差社会


 ハワイへは、アメリカの航空会社で往復した。

 全長64メートルの、巨大なボーイング777型機。その最前部から乗り込み、豪華なファーストクラス、座席が平らなベッドになるビジネスクラスを横目に、足元が広い上級エコノミーも通り過ぎて、最後部のエコノミークラスへ。

 後ろの席には中国のおばちゃん。スマホをスピーカーモードにして、誰かとものすごい大声で通話している。欧米人客も多く、日本人の姿はまばら。JALやANAでは味わえない、コスモポリタンかつ猥雑な雰囲気だ。

キャリン、キャリン、キャリン、キャリン、キャリン♪

 ベテランの客室乗務員(CA)が歌うように口ずさみながら、後ろ向きに機内食のカートを引っ張って来た。通路に突き出た乗客の肘や肩を、大きなお尻で押しのけながら進む。

 向こうの通路では、CA 2人がカートを挟んでにぎやかにおしゃべり。ときどき大笑いしながら、片手間に乗客から注文を取っている。

 日本の航空会社のサービスは、規律正しくきめ細かい。でもこうして、CAたちが楽しんで仕事をする姿を見ているのも、ぜんぜん悪くない。

 ハワイで帰国便をチェックしたら、ほぼ満席。上級エコノミーには空席があり、追加料金で買える。その金額は、搭乗前日までの間に180ドルから100ドルまで下がった。需給を見ながら価格を変える、ダイナミック・プライシング。

誘惑に負けて、100ドルを払った。いざ乗ってみると、上級エコノミーは空席だらけ。飛行機が尻もちをつくのではと心配になるほど、最後尾のエコノミークラスだけ混んでいる。100ドルを惜しむ人の方が多いようだった。

エコノミーに乗っていると、「早く着かないかなあ」と思う。ビジネスクラスに乗ると、「え、もう着いちゃったの?」。それぐらい、乗り心地が違う。

では、ファーストクラスは? 仕事で3日に1回飛行機に乗っていた頃、航空会社がファーストクラスをプレゼントしてくれた。行き先は、どこでもOK!

期待に胸を膨らませて、バンコク発シドニー行深夜便に乗り込む。すると他のファースト客は、やおらスーツを脱いで、備え付けのパジャマに着替え始めた。シートを倒し、水を枕元に置くと、あれよという間に寝てしまった。

パジャマ姿になれば、大臣もCEOも、ただのおじさん。しかも、揃って紫色のパジャマだ。これで縦じま模様でも入ろうものなら、かなり怖い。

せっかくなので、フランス料理のフルコースを頂く。暗がりの中で、ひとりナイフとフォークを動かす。自分がとてもさもしい人間になった気がした。

ファーストクラスの旅には、人としての器と、マイパジャマが必要だ。



2019年4月20日

ビーチに行かないハワイ


 ハワイの銀行は、ウクレレの音色のように大らかだ。

 アメリカ本土の銀行と違い、日本人旅行者も優しく受け入れてくれる。

 去年、ドル口座を開くためにハワイに向かった。

 ワイキキビーチにほど近い銀行を訪ねると、のんびりしたハワイ時間が流れている。手続きに1時間以上かかって、無事に口座を持つことができた。

 美しい絵柄のデビット機能付キャッシュカードは、日本のコンビニでも使える。おにぎり一つ買ってカードを差し出すたびに、ハワイの青い空と海を思い出す。

 そしてなんと、専属の担当者が付いた。私の担当はペギー嬢だ。

「ハイ、ペギー。最近私のカードが使えないんだけど・・・」

 先日メールを送ると、長期休暇中かな?とあきらめた頃に返事が来た。

「最後にカードを使ったスターバックスジャパンが、カードをブロックしたようです。ごめんなさい、再び使えるようにしました。ペギー」

 カフェラテ1杯の代金を引き落とせなかっただけで、人のカードを勝手にブロックするスタバっていったい・・・神に誓って、残高不足ではない。

 でも銀行に専属の担当者がいて、問題を解決してくれる。まるで大富豪になった気分。たった147ドルしか預金してないのに。

 ところが。

ハワイから戻ってネット検索していたら、ペギーさんの銀行よりさらに使い勝手がいい銀行を見つけてしまった。

 たとえば日本のコンビニATMで預金を引き出す際、「ペギー銀行」では15ドル+3%の手数料がかかるが、その銀行では一定の預金残高さえ維持すれば、手数料が免除されるのだ。この差は大きい。

 ペギーさんごめんなさい。浮気します。

 ビーチにもショッピングにもグルメにも興味のない人間が、再びハワイに飛んだ。

 早朝にホノルル空港に着き、その足でお目当ての銀行へ。

 ところが応対に出た行員は、私がゴミ預金者に見えたのか(事実だが)、最初から上から目線。口座開設の手続きを終えると、名も名乗らずに「あとは自分でバンキングセンターに電話してください」。取り付く島もない。

 でも一歩外に出れば、ここはハワイ。ヤシ並木を心地よい風が吹き渡る。



 将来もし、日本国債がデフォルトするような事になれば、ドルを持つ人は宝くじに当たったようなもの。ハワイ観光のついでに、銀行口座のひとつ持って損はない。

 わざわざ銀行のために2度行く人も、めったにいないと思うが・・・


2019年4月13日

ギグ・エコノミー


 フリーランス5年目に入った。

会社に雇われず、持ち家も車もないというこの状態、まるで浮き草だが、心地よい浮遊感がある。

「ギグ・エコノミー」ダイアン・マルケイ著 日経BP

 ギグ・エコノミーとは、派遣労働やフリーランス、自営業など、「終身雇用と無職の間の様々な労働形態」だという。どうやら、今の自分の状態も含まれている。以下は本の中で個人的に気になった部分。

Uberのドライバーには残業代や最低賃金がなく、福利厚生や失業保険もない。ではなぜ、タクシーでなくUberで働くドライバーがたくさんいるのか? 働く時間と量を自分で管理できるから

・重役秘書や経理担当者など、これまで正社員が担ってきた仕事も業務委託になってきた。新聞社もフルタイム従業員を大きく減らし、フリーランサーへの執筆業務委託を増やしている

・大学はすでに講座単位で多くの非常勤講師を雇っているが、この教育モデルはやがて小中学校にも導入される

・このように「ジョブ」という型から「ワーク」という中身を取り出すことで、私たち労働者は、会社勤めで得られる以上の自律性、柔軟性、選択権を得られる

・アメリカを代表する大企業群であるS&P500社の平均寿命は、今や15年。こんなに短くては、キャリアを築く暇もない。私たちは、いやでもギグ・エコノミーに移行せざるを得ない

・ギグ・エコノミーでは、人は新しい仕事の可能性を探しながら、環境を常に変化させていく。収入は山あり谷あり。その変動を乗り越えるには、固定費を抑える必要がある。借金は絶対に避けるべき

・家や車のローンは、家庭の支出の半分を占める。人々から柔軟性と選択権を奪い、転職や転居、起業、休暇の可能性を狭めている。所有からアクセス(レンタル)へ、考え方を変えなければならない

・会社とマイホームの間を往復する伝統的な生活から、通勤手段、職場、住環境、現状に囚われない生活に移行する

・新しい成功の形も、持ち家の広さや車の大きさ、預金の多さより、経験・人間関係・個人的充足感に重きを置くようになる

・モノとサービスをレンタルする機会が都市部に偏っているので、今後、都市と郊外の相対的な生活費の差は逆転する

・学位・肩書・ブランドといった資格重視の経済から、具体的な知識や経験に価値を置くスキル重視の経済へ



 読んでいて、まるで自分のことじゃないか!と思う点も多い。ひょっとして、時代の先端を行ってるのでは? でも、自分に一番ふさわしい呼び名は、たぶん「フリーター」だ。






2019年4月5日

ランウェイの美女は・・・


 部下の管理を生きがいとする上司に仕えるのは、とても大変だ。

 だが私の東南アジア赴任時に上司だったHさんは、部下を管理しようという気が、毛ほどもない人だった。

 支局長室のドアを開け放ち、いつもソファに大の字で寝ている。おもむろに起き上がったかと思えば、今度はパソコンで将棋のネット対局。

「カネがない」が口癖で、屋台で買う1本のトウモロコシが、彼のランチの定番だ。日が傾くと急にソワソワし始め、「じゃオレ帰るから」と言い残して、アジア最大の歓楽街の方角に消えていく。

 まだ5時前なんですけど・・・

 一度、ゴーゴーバーに連行された。ランウェイ上では半裸の美女たちが、腰をくねらせて踊る。そのひとりが舞台を降り、するりと私に身を寄せた。

 思わずボーっとなっていたら、BGMの大音響に負けないHさんのだみ声が飛んできた。「おいミヤサカ気をつけろ! そいつはオカマだ」

 Hさんのベトナム出張にお供した時のこと。「今度こそミヤサカに夜遊びを教えてやる」行きの飛行機の中から張り切っている。

 生まれてこの方、早寝こそこの世の楽しみとする私だが、今度ばかりは逃げられない。目的の「ドイモイ20年」取材も終わり、とうとう日が暮れた。

絶体絶命と観念したまさにその時、臨時ニュースが流れた。

「インドネシア・ジャワ島で大きな地震、津波も発生している模様」

「すぐ現地に向かいます」すかさず、空港行きのタクシーに飛び乗った。

 率先して私を送り出す職責のはずのHさん、なぜかとても残念そうだった。

 やがて帰国した私は会社を離れ、Hさんも定年退職。いつしか、年賀状のやり取りだけになった。先日、突然ケータイが鳴った。

例のだみ声で「元気か?来週そっちに行くから」。

何年ぶりかの再会。聞けばHさん、自宅を改造して書道教室と学習塾を開き、毎日子どもに教えているという。

「死んだオヤジに、本当は新聞記者でなく、書の道を究めて欲しかったと言われたのを思い出してね。相変わらずカネはないけど、精神生活はとても充実してるよ」。夫妻で俳句を詠み、ゴルフの腕も磨いている。

長くサラリーマンをすると、「○○会社の社員」というペルソナが体に染みついてしまいがちだ。Hさんは軽やかに転身した。

「Hさん、国際報道記者30年のハイライトはいつでしたか?」

「うん、アジアもアメリカもよかったけど、やっぱり最後の転勤で行った九州だな。何しろ週3でゴルフに行けたから。『今度東京から来たえらい人はゴルフの話しかしない』って、うわさになってたらしいぞ。ハハハハハ!」

たった1年半だが、Hさんの下でのびのび働けた日々が、私にとっては間違いなく、会社時代の黄金期。

そして今、「上司と部下」から解放され、のんびり話ができるのが嬉しい。


Dhalat, Vietnam

肉食女子

わが母校は、伝統的に女子がキラキラ輝いて、男子が冴えない大学。 現在の山岳部も、 12 人の部員を束ねる主将は ナナコさんだ。 でも山岳部の場合、キャンパスを風を切って歩く「民放局アナ志望女子」たちとは、輝きっぷりが異なる。 今年大学を卒業して八ヶ岳の麓に就職したマソ...